「それで他人をコントロールしようとしている」「モラハラ」という批判や「ようやく対人関係で感情を出せるようになったのだ、ほほえましいではないか」という弁護論とか。けっこう活発な論壇だ、と気づきました。
1984年生まれ。2008年にJAXAに入社し、約9年半勤務した後、2017年にカラーへ入社。有限会社ゼクシズに出向し、『あさがおと加瀬さん。』に制作進行として携わった後、カラーに復帰。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の制作進行を担当。2023年7月にプロジェクトとしての『シン・エヴァ』映画制作を振り返る公式報告書籍『プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン』を上梓。2023年11月下旬に株式会社カラーを退社、以降フリーランスとなる。 SNSアカウント:@Narita_Kazumasa 書籍公式サイト: https://www.khara.co.jp/project-eva/ 電子版詳細:https://www.khara.co.jp/2023/07/10/2023071018/ ニコニコ動画開発者がシステムを再設計 まずビジョンから アニメ制作のデジタル化は1990年代ごろから急速に進んでお
問題提起 そこそこ有名な「自然言語にwell-definedを求めるな。」という文がある。 X (ex-Twitter) ではこの文に様々な意見がついている。 この文の形式(=つまり文そのもの)について議論することは一定程度可能だと思う。 しかしこの文の意味する主張の妥当性についてあなたが議論しようとするとき、私はあなたが正しくこの文を解釈できているのか問いたい。 文の中には文脈(context)、違う言い方をすればその文を取り巻く環境(environment)への明示的・暗黙的な参照(reference)が散りばめられており、文章を解釈するためにはこれを正しく参照解決(dereference)してやらねばならない。 あなたはこの文が発せられた当初のコンテキストを、あるいはその出来事を記憶している人々が発するこの言葉のコンテキストを調べずにこの文の意味を断定しようとはしていないか?その状態
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く