天皇皇后両陛下は、日本に留学していたインドネシア人が創設したダルマ・プルサダ大学で、日本語を学ぶ学生らと交流されました。流暢な日本語で趣味や将来の夢を話す学生たちに感心しながら、陛下は「どういうきっ…
だれが「天皇」を作ったのか おれは前に、易姓革命の対象にならない、中国の皇帝とも違う、ほかの国の「王」とも違う、「神格化された天皇」についての本を三冊読み、その感想を書いた。 古代日本と天皇の起源に興味を持ったので、いろいろ調べてみた。 そこで松本健一がこんなことを述べていた。 日本の古代国家において、そういう虚構をつくりあげた人物(もしくは組織)があったことは、たしかである(現在の私は、その人物が天武であり、その協力者が藤原不比等だったのではないか、と考えている)。 『「孟子」の革命思想と日本』 そう、天皇の神話というものは自然発生的に生まれたものではないだろう。自然発生したところがあったとしても、それをまとめた『日本書紀』の編さんにおいては、その時の権力者による希望が反映されていないわけがない、そう思った。 で、だれなんだ? とか思いながら、古代日本あたりの本を読んでいて、こんなタイト
秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さんは、26日午前10時すぎ、赤坂御用地の秋篠宮邸を出発しました。 長年暮らした住まいをあとにする際には、秋篠宮ご夫妻や妹の佳子さまから見送りを受けました。 ブーケを手にした眞子さんはご夫妻や佳子さまとあいさつを交わし、佳子さまとは抱き合っていました。 そして、車に乗り込み、見送りの職員たちに手を振っていました。 また赤坂御用地の門を出る際には集まった人たちに手を振って応えていました。 車が門を通過する際、眞子さんは集まった報道陣に会釈をし、沿道の人に笑顔を見せ手を振っていました。 集まった人たちは写真を撮ったり「おめでとうございます」と声をかけたりしていました。 沿道に来ていた男子大学生は「30年間暮らしたお住まいを離れられる瞬間を一目見たいと思い来ました。眞子さまのご公務の様子を見られなくなるのはさみしいですが、いままでは皇室のために尽くしてこられたので、これか
宮内庁と堺市は27日、世界文化遺産「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の一つ、仁徳天皇陵古墳(大山(だいせん)古墳、堺市堺区)の発掘調査を10月から始めると発表した。発掘調査は古墳の保全を目的とした調査で、平成30年以来2回目。令和元年7月の世界遺産登録後では初めてとなる。 今回の調査では、前方後円墳の墳丘を二重に取り囲む堤のうち、内側の第1堤の3カ所を発掘し、遺構や遺物の残存状況を確かめる。調査期間は10月5日から12月上旬。今後の護岸工事など保全整備のための資料収集が狙いとなる。 ■ 墳丘は少しずつ削られている 平成30年10~12月に行われた前回の調査では、第1堤の南側から東側の墳丘前方部に近い範囲で発掘し、1列に並んだ円筒埴輪(はにわ)、石敷きを確認した。今回は調査範囲を広げ、後円部に近い東側から北側を対象とした。 仁徳天皇陵古墳は、墳丘長が486メートルある国内最大の前方後円墳。5世紀
秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまが、婚約が内定している小室圭さんと年内にも結婚される方向で調整が進められていることがわかりました。婚約や結婚に伴う儀式は行われない見通しです。 関係者によりますと、眞子さまと小室さんは、小室さんがアメリカ・ニューヨーク州の法律事務所への就職の見通しが立ったことから、年内にも婚姻届を提出して結婚される方向で調整が進められているということです。 眞子さまは、結婚によって皇室を離れたあと、アメリカに渡って小室さんと新たな生活を始められる見通しです。 一方、一般の結納にあたる「納采の儀」や、天皇皇后両陛下にお別れのあいさつをする「朝見の儀」など、女性皇族の婚約や結婚に伴う皇居・宮殿での儀式は、すべて行われない見通しだということです。 また、皇室を離れる際に支給される一時金についても、眞子さまは、受け取らないという意向を示されているということです。 眞子さまの結婚について
令和2年12月23日:上皇職 上皇陛下は,仙洞仮御所において87歳のお誕生日をお迎えになります。 仙洞仮御所はかつて高松宮邸として使用されていましたが,陛下は,ご疎開先からご帰京になった翌年の昭和21年2月,当時の高松宮邸をご訪問になっています。その頃,仮御所に隣接する高松中学校はまだ建設前で,その場所は宮邸の敷地内でしたが,陛下は,そこにあった大きな池に坂を下りて行かれたことを懐かしく思い出されていました。 仙洞仮御所でのご生活は,新型コロナウイルスの蔓延により,当初の想定から一変しました。陛下は,上皇后さまと共に,新型コロナウイルスの感染が国内外で拡大し,人々の健康と日常生活に大きな影響を及ぼしていることを深く案じられ,この感染症への理解と感染防止のための医学的,社会的な取組みに関心を向けてこられました。侍医や侍従からは日々の感染状況を,永井皇室医務主管からは100年前に流行したスペイ
上皇さまは、29日、皇居にあるお住まいで一時意識を失って倒れ、30日午前、宮内庁病院で検査と診察を受けられましたが、原因となるような所見はみられなかったということです。宮内庁は、今後も引き続き注意深く様子をみていくとしています。 そばにいた上皇后さまの知らせで医師らが駆けつけると、上皇さまは、いびきのような息遣いをしていて、診察が始まるとほどなく意識が戻られたということです。 上皇さまは、寝室で必要な処置を受けたあとそのまま就寝し、30日午前、宮内庁病院で頭部のMRI検査や医師の診察を受けられました。検査の結果、症状の原因となるような所見は見られなかったということです。 上皇さまは、最近は、上皇后さまとともに、仮住まい先の高輪皇族邸への引っ越しの準備に専念していましたが、29日は、午後に外出し、お住まいに戻って1時間ほどたったあと倒れられたということです。 上皇さまは、去年7月には、一時的
大正天皇即位礼饗宴(きょうえん)の儀の際に供された「ザリガニ」を用いたスープが栃木県日光市中宮祠の中禅寺金谷ホテルで再現され、今冬からホテルのフルコースのメニューに仲間入りする。日本では食材のイメージが薄いザリガニだが、関係者が研究を重ねてポタージュとして仕上がった。天皇陛下ご即位の年に完成した皇室ゆかりの逸品は、栃木の新しい名産として注目が集まりそうだ。 国際的には食材として一般的なザリガニだが、日本では食べる習慣がほとんどない。しかし、大正天皇の料理番を務めた秋山徳蔵は、フランス料理で用いられるザリガニを使ってスープを作ることを思いついた。北海道の支笏(しこつ)湖産のニホンザリガニを使ったスープが、1915(大正4)年に京都で開かれた饗宴の儀に供されたという。 関係者によると、この時使用されなかったニホンザリガニが日光田母沢御用邸(同市本町)に持ち込まれたとの記録があった。さらにこのニ
いざ羽田へ今日2019年10月21日(月)は即位礼の義の前日。天皇即位の儀式に招かれた各国の要人たちが、数日前からVIP機(特別機)で羽田や成田入りをしているわけですが、今日21日が最も多くのVIP機が飛来するとあって、日帰りで羽田に出張してまいりました。とりあえず今日ゲットしたものをお見せすべく、速報版でお伝えします。 午前中は小型機がメイン羽田に着いたのは9時。そこからP3駐車場に向かいました。 こちらウクライナ政府A319(UR-ABA)とボンバルディアGlobal Express(LX-ABC)。ウクライナはウクライナからですが、ルクセンブルク籍(LX)の機体はルーマニアからだそうです。 続いて何となく中東っぽい737-700(T7-PAL)。こちらはArab Wingsという会社のサンマリノ籍の飛行機ですが、Twitter情報によるとどうやらパレスチナのアッバス議長が乗ってきたよ
はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日本のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の”家庭教師”になったのが「
京都市の寺で、およそ1200年前から歴代天皇が即位する際にだけ開帳される秘仏が、1日、天皇陛下が即位されたのにあわせて、およそ30年ぶりに公開されました。 京都市東山区にある長楽寺は、平安時代、天台宗の開祖、最澄が桓武天皇の勅命で創建したと伝わる寺で、本尊の「准胝(じゅんてい)観音像」は、歴代天皇の即位の際にだけ開帳される秘仏とされています。 天皇陛下が即位された1日、この本尊がおよそ30年ぶりに公開されることになり、牧野純山住職が読経したあと、像に息がかからないよう白い布で口を覆いながらゆっくりとずしの扉を開きました。 姿を現した「准胝観音像」は、高さおよそ40センチの木像で、最澄自身の作とも伝えられています。腕が18本あり、左右に大きく広げていて、多くの人々を救済する姿を表しているということです。 参拝した人たちは、秘仏に見入っては静かに手を合わせていました。 岡山県から訪れた50代の
「日本の象徴天皇制は自然消滅する」 ショッキングな表現でそう語っているのは改元の前夜に放送された「NHKスペシャル」に登場した古川貞二郎・元官房副長官だ。今のままでは象徴天皇制は存続し続けるかどうかわからないと警告する。番組を見ると、象徴天皇制で初めてとなる「生前退位・即位」という大きな出来事を前にして、政権の中枢にいた人物でさえ強い危機感を露わにしていることがわかる。その危機感が国民の間であまり知られていないように思う。この「NHKスペシャル」が問いかけた内容は後でくわしく述べるが、他の番組は「お祝いムード」一色で、肝心な”不都合な真実”がまったくと言っていいほど報道されていないのだ。 「5,4、3,2、1・・・令和、おめでとう!」 2019年(=平成31年)4月30日から翌日となる2019年(=令和元年)5月1日にかけて、テレビ番組は”改元”の話題一色である。連休中の人々があちこちに集
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く