日頃もっぱら手に取るのは科学読み物などのノンフィクションである。純文学も推理小説も子供の頃に読んだだけで、大人になってからは書店でも専門コーナーから足が遠のいた。純文学を読むには感性が鈍磨してしまったし、推理小説を読むにはトリックの伏線すら気づかなくなってしまった。 いっぽうで歴史小説は蓄積した知識や経験の量に比例した楽しみ方ができるし、新たな薀蓄も得ることができる。なによりも、たった一冊の本でタイムトリップすることができるわけで、じつに健康的な現実逃避の手段なのだ。 細川ガラシャを描いた司馬遼太郎の『胡桃に酒』を読んだのは、初めての部長職に就いたときだった。なれない部下の管理や英語でのレポートなどに追われて、円形脱毛症ができていたことである。いっそのこと会社を辞めて、故郷の札幌に帰ろうかなどと思っていたときに、書店で『故郷忘じがたく候』という本を見つけた。はじめは「故郷」という言葉に引っ