信貴山城(しぎさんじょう)は、奈良県生駒郡平群町信貴畑にあった日本の城[1]。木沢長政・松永久秀の居城となった[2]。 信貴山城は大和と河内の国境にある生駒山系に属する信貴山(標高433m)山上に築かれた山城である。信貴山は大和と河内を結ぶ要衝の地で、松永久秀はこの山上に南北880m、東西600mに及ぶ城郭を築いた[3]。信貴山中腹には、朝護孫子寺がある[3]。また、付近には、高安山城、南畑ミネンド城、立野城といった支城が存在した[3]。 信貴山城の城域は、古代山城の高安城の範囲に含まれるが、城域には高安城の遺構は現存していない[1]。また、南北朝時代に楠木正成によって築城されたという伝承も存在するが、しかし、同時代史料の裏付けはない[4]。 『経覚私要抄』には、長禄4年(1460年)10月、応仁の乱の過程で戦闘に敗れた畠山義就が「信貴山」に陣を退いたという記述がある[4]。城郭史研究者の