10年くらい前から、人から(主に同僚から)、「機械のように働かされる」もしくは「機械のように働きたくない」というセリフをきいたとき、自分たちの置かれている状況としては、もちろんそういう面があったりして頷きながらも、どこかそれとは違う思いをしているということが必ずあって、そういうときは、かならず、「そうではなくて、われわれは、機械にすら、なれない、というのが正解なんじゃないの?」ということを思っていた。だから、そのひとのいう(そのひとの中でなぜか貶められた)「機械」には「未だ」落としこめない仕事を考え出さなくていけない、という結論にしか、そういう愚痴の帰結はなかろうかと思っていた。それにしたって「人間は機械にすらなれない」という感慨のソースが自分ではよくわからなかった。なぜって、自分は「ターミネーター」世代であって(最近「T4」を観ました。映像もさることながら、さらに機械と人間の分割線の問題