文学に関するtaknakayamaのブックマーク (6)

  • ぼくは、機械のように。:ヒュー・ケナー『機械という名の詩神』 - みみのまばたき

    10年くらい前から、人から(主に同僚から)、「機械のように働かされる」もしくは「機械のように働きたくない」というセリフをきいたとき、自分たちの置かれている状況としては、もちろんそういう面があったりして頷きながらも、どこかそれとは違う思いをしているということが必ずあって、そういうときは、かならず、「そうではなくて、われわれは、機械にすら、なれない、というのが正解なんじゃないの?」ということを思っていた。だから、そのひとのいう(そのひとの中でなぜか貶められた)「機械」には「未だ」落としこめない仕事を考え出さなくていけない、という結論にしか、そういう愚痴の帰結はなかろうかと思っていた。それにしたって「人間は機械にすらなれない」という感慨のソースが自分ではよくわからなかった。なぜって、自分は「ターミネーター」世代であって(最近「T4」を観ました。映像もさることながら、さらに機械と人間の分割線の問題

    ぼくは、機械のように。:ヒュー・ケナー『機械という名の詩神』 - みみのまばたき
  • ジョナス・メカス「森の中で 1」 - 記憶の彼方へ

    そして 私も 人生の 道のりの なかばを 過ぎて、 暗い 森の中へ 入って 行った、 *1 そして そこには 街道も なければ 小径さえ ない、 そして ふたたび 私は なにもかも 最初から 始めねば ならない、 そして 考えに 考えた すべての こと、 それが 私自身の 質 だ------ 落ちていく 落ちていく 奈落の ように、 そして 私は 裸で 立っている、 ふたたび 事物の あいだに そして 初めの位置に、 私は どこに いるのか そして 私は 何者なのかと 尋ねながら、 静けさに じっと 耳を 澄まして 聴き入ろうと 努めながら 努めながら、 だが、 ただ 事物の 際限ない 深淵が 聞こえるのみ、 過去は どのように 潰えていくか 潰えていくか そのありさまを 眺めながら、 一つ一つの 新しい 言葉が、 感覚が、 情熱が どのような ものかを 感じながら ふたたび 私自身の

    ジョナス・メカス「森の中で 1」 - 記憶の彼方へ
  • なぜ日夏耿之介のポーの詩の訳文が大江健三郎の新作の題名に選ばれたのか - mmpoloの日記

    大江健三郎の新作「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」の題名は日夏耿之介訳のポーの詩「アナベル・リイ」から採られたという。 その日夏耿之介訳(講談社文芸文庫) 月照るなべ 臈たしアナベル・リイ夢路に入り、 星ひかるなべ 臈たしアナベル・リイが明眸俤(めいぼうもかげ)にたつ 夜のほどろわたつみの水阿(みさき)の土封(つむれ) うみのみぎはのみはかべや こひびと我妹(わぎも)いきの緒の そぎへに居臥す身のすゑかも。 阿部保訳(新潮文庫) というのは、月照ればあわれ 美わしのアナベル・リイは私の夢に入る。 また星が輝けば、 私に、美わしのアナベル・リイの明眸(ひとみ)が見える。 ああ、夜、私の愛する人よ、恋人よ、 私の命、私の花嫁のそばにねぶる。 海沿いの墓のなか 海ぎわの墓のなか エドガー・アラン・ポーの原文 For the moon never beams, without brin

  • ドノソ「夜のみだらな鳥」 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    よし今度は短編小説でなく長編にいこうと、力が湧いてはきたが、果たして最後までいけるだろうか。前から、まとまった時間が取れたら読もうと古書店で買い求めておいたドノソの「夜のみだらな鳥」。邪道かもしれないがラテンアメリカ文学はいつも解説(鼓直)から先に読む。あまりに遠い世界なので、手がかりになるものは何でも使って、しがみつこうと思うから。 ドノソがその作品のなかで繰り返し取り上げてきたのは、チリにおけるブルジョア階級の無残な頽落ぶりであり、その同じ閉ざされた社会の影の部分で主人の不潔な分身として蠢いている、召使という特殊な階層の女たちの生きざまである。(中略) それぞれが身内に深く秘めていて、ある出来事をきっかけに、たがいをへだてる階層の枠を越えて奔出するおどろおどろしいオブセッション、すなわち欲望や執念、妄執や怨念の具現者として内面から捉えられている。特権的な世界の崩壊をまざまざと予感するこ

    ドノソ「夜のみだらな鳥」 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    taknakayama
    taknakayama 2007/07/20
    ドノソ
  • 田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んで - mmpoloの日記

    田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んだ。数多ある寺山修司論の中でもこれは白眉だ。私は数冊の寺山修司論を読んでいるに過ぎないが、仮にこれ1冊しか読んでなくてもそのことは断言できる。 著者の田中未知は20歳のとき寺山に会った。その時寺山は30歳だった。田中は結成したばかりの天井桟敷に入団し、すぐ寺山の秘書になった。その頃寺山は結婚相手の九条映子と別居していた。田中は秘書から寺山の身の回りのこと、劇団の運営、劇団の照明係、寺山の同居人と丸ごと寺山に関わった生き方をした。寺山が亡くなるまで16年半も。寺山修司の一番身近な人だった。 書は6つの章から構成され、第1章「他者を映し出す鏡」、第2章「天井桟敷の現場から」、第3章「母地獄」、第4章「病気を生きる」、第5章「最後の映画撮影」、第6章「寺山修司の死」となっている。 第1章は寺山の俳句や短歌が剽窃だと言われていることへの反論だ。 私は最

    田中未知「寺山修司と生きて」(新書館)を読んで - mmpoloの日記
    taknakayama
    taknakayama 2007/07/12
    寺山修司
  • Passion For The Future: わたしを離さないで カズオ・イシグロ

    わたしを離さないで スポンサード リンク ・わたしを離さないで 出版社の紹介文を引用。 「 自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春 の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々 がたどった数奇で皮肉な運命に……。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく――英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』を凌駕する評されたイシグロ文学の最高到達点 」 「施設」で暮らすキャシー、トミー、ルースの生活は、一見のんびりした普通の子ども時代のようで、

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