千里眼事件(せんりがんじけん)は、明治末(1900年代から1910年代初頭まで)の日本で、当時の社会状況・学術状況を背景として起きた、超心理学に関する公開実験や真偽論争などの一連の騒動である。千里眼・念写の能力を持つと称する御船千鶴子や長尾郁子らが、東京帝国大学の福来友吉や京都帝国大学の今村新吉らの一部の学者とともに巻き起こした。 熊本県生まれの御船千鶴子が「千里眼」能力の持ち主として注目されるようになったのは、1909年(明治42年)、23歳の時のことである。その能力を見出したとされるのは、自身が催眠術による心霊療法を行なっていた、義兄の清原猛雄であり、千鶴子は実家を出て清原家で千里眼による体内透視の「治療」を、前年より行なうようになっていた。1900年(明治30年代半ば)頃の日本では、催眠術ブームが起こり、清原や千鶴子のような民間療法を行なう民間医が多数存在した。 最初に千鶴子を取り上