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リベラルアーツに関するtamekkoのブックマーク (11)

  • コロンビア大学のコア・カリキュラム(1) - adawho's diary

    先週iPadが発表されたとき、Twitterの一部で「教養」について話題になっていた。ジョブスがアップルの理念を説明したときに、どうやら"liberarl arts"の重要性について話したらしい。基的に僕はチキンで無精なので、Twitter上の荒波に議論を投げかけることはしなかったが、こちらにきてから気づいたことがあるのでひっそりとここに書き留めておく。実は務校では「教養研究センター所員」という職にもついているので、大学における教養教育について関心を持つべき立場にもある。それにこのサイトを見ている人の中には少なからず大学関係者もいると思うので、もしかしたら何らかの参考になるかもしれない。(いつものように日記に組み込もうとも思ったけど、少し長くなりそうなので別にトピックを立てることにします)。 ぼくはコロンビア大学には客員研究員という立場で来ているので、たまに大学院のセミナーを聴講する以

    コロンビア大学のコア・カリキュラム(1) - adawho's diary
  • シゴタノ! —    わかりやすい文章を書く上で最低限おさえておきたい読点の二大原則

    By: Alex Ziv – CC BY 2.0 「わかりやすい」と言われるような文章を書きたいものです。 とはいえ、単に「わかりやすい文章」というだけでは具体的に何をどう改善すればいいのかがイマイチ「わかりにくい」。 そこで、今回は読点(テン)の打ち方に絞って「わかりやすい文章」に一歩、近づくことにします。参考図書は、現代国語や小論文が苦手だった学生時代の僕に文章を書くことの楽しさと深遠さを教えてくれた以下の一冊。 「血まみれ」になったのはどっち? 、(テン)や。(マル)や「(カギ)のような符号は、わかりやすい文章を書く上でたいへん重要な役割を占めている。とくにこの場合、論理的に正確な文章という意味でのわかりやすさと深い関係をもつ。(p.74) ということで、テンの役割の重要性を示すために挙げられているのが次の例。 渡辺刑事は血まみれになって逃げ出した賊を追いかけた。 渡辺刑事は、血まみ

    シゴタノ! —    わかりやすい文章を書く上で最低限おさえておきたい読点の二大原則
  • 「ひらめき」のためにはいったん思考を保留して、機を熟すのを待つことも必要: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 わからないからといって焦ってわかろうとする必要もなければ、その逆にすぐにあきらめてしまうのも違うだろうということを「わからないことへの耐性」と「「わからない」を自分で引き受ければ他人の目を気にして焦る必要はない。」の連作で書いてきました。 未知のものに出くわし「わからない」と感じたら、焦るのでも、あきらめるのでも、思考停止状態に陥ってしまうのでもなく、とにかく自分のペースで「わかる」まで付き合ってみようとする保留の状態をつくることが大切なことがあると思っています。あきらめずにゆっくりと「わからない」ものにとことん付き合ってみることで「わかった」と感じるときが来ると思っています。 そんなことを書いてきたわけですが、ちょうどいま読んでいる岡潔さんの『春宵十話』のなかに、まさにそ

  • NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: リベラルアーツとは、学びほぐしである!?

    中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 せんだって、あるシンポジウムに登壇した際、パネラーのお一方が、あるセンテンスを数時間にわたって連呼しておられました。 曰く '''「これからの時代は人間力!''' '''そして人間力を向上させるためには''' '''教養を勉強すること」''' なのだそうです。 そうなんだ、へー。 「人間力」ね・・・「教養」を「勉強」ね。 なるほど。 ▼ 残念ながら、僕自身は、'''「人間力」という言葉を聞くたびに背筋が寒くなってしまう人間のひとり'''ですが、この言葉ほど、利用する人の恣意によって、多様に用いられる言葉はありません。 ある識者は、それを「コミュニケーション力」「問題解決力」「決断力」と定義します。 ある識者によれば

  • お茶の水女子大学 | News&Info | 附属図書館第1期改修工事完了。新しくラーニング・コモンズが誕生しました。

    附属図書館第1期改修工事完了。新しくラーニング・コモンズが誕生しました。 お茶の水女子大学附属図書館では、『附属図書館は時間と空間を越える知的交流の場であり、次世代の知を創造し発信する学術情報基盤として機能する。』の理念の下、全学的な取り組みである「21世紀型文理融合リベラルアーツ」の一環として、様々な新しい取り組みを行っています。 平成18年度は、学長裁量経費により図書館内の改修を行い、図書館1階の南側スペースにIT環境を整備した学生のためのスペースを新設しました。 このスペースは、単なるパソコン利用スペースとしてではなく、「21世紀型文理融合リベラルアーツ」を支える学生のための共同コミュニケーションスペースです。 我々はこのスペースを「ラーニング・コモンズ」と名づけました。 「ラーニング・コモンズ」の誕生 現在のお茶の水女子大学附属図書館の建物は、昭和34年(1959年)に建て

  • 金融業界は過去最悪な時期がありましたが現在はどうなのですか

    金融業界は以前最悪な経営状態の時がありましたが、現在の状況はどうなっているのでしょうか。 一時状況が良くなかった消費者金融会社も今は盛り返しています 貸金業法の改正の為利息などの規制も施行されその上総量規制で借入する人を逃してしまった為に消費者金融会社は窮地に立たされました。加えて利息制限法でグレーゾーンと言われる金利を支払った人から過払金返還請求が後を絶たず、かなりの赤字経営を余儀なくされたのです。2010年頃の経営不振のピークから徐々に盛り上げ、大手消費者金融会社は2013年度の業績が黒字に転じている所もあります。もちろん過払い金返還請求はまだ完全には払拭できていない状態ですが、各社共に明るさを取り戻しているようです。 各消費者金融は今後貸付金額が上昇する事を願い、良質な新規顧客の獲得に力を注いでいるとの事です。消費者金融会社の中には銀行と提携するところや、銀行の傘下に入るところが増え

  • 埼玉大学 | 教育・研究 | 特徴ある教育

  • 09年クオリティスクールを求めて 06 論文編集力 - 私立学校研究 (c) ホンマノオト

    「09年クオリティスクールを求めて 05 イノベーション <2>」のつづき。 ☆12のアイテムのうち「(4) 格的論文編集指導力」のスコアが4以上の学校を紹介しよう。私立学校であれば、大学入試に出る小論文の指導は十分になされている。しかし、これでは全くの不十分である。またAO入試の指導を行っているところなら、かなりの程度の論文指導はなされている。しかしこれでもなお不十分なのである。 ☆このレベルだと、スコアは3である。大学入試における小論文はやはり選択する側の顔色を見ながら書かねばならない。独創性なるものは、入試においては役に立たない。論理的であることで十分なのであるから。 ☆もちろん、これはこれで大事なのである。したたかでなければ、サバイバルすることは到底できない。 ☆しかし、これではイノベーションもチェンジもない。クリティカルでなければならないし、クリエイティブでなければ、書いていて

    09年クオリティスクールを求めて 06 論文編集力 - 私立学校研究 (c) ホンマノオト
  • 発想法―創造性開発のために/川喜田二郎: DESIGN IT! w/LOVE

    といっても、単にKJ法だけを紹介したじゃありません。タイトル通り、発想法について書かれたで、KJ法はそのなかで使うツールの一部です。で、発想法とは何かというと、こんな説明があります。 発想法という言葉は、英語でかりにそれをあてると、アブダクション(abduction)がよいと思う。 アブダクション(abduction、発想法)インダクション(induction、帰納法)デダクション(deduction、演繹法) という3つの分類はアリストテレスによる論理学の方法の分類。帰納法と演繹法については知られていますし、その方法もギリシア以来発展してきていますが、アブダクション=発想法はそれに取り残されてきた形です。アブダクションという言葉もアリストテレス以来、忘れられていて、その名前がひさしぶりに登場したアメリカのプラグマティズムの祖として知られるチャールズ・パースが取り上げたからでした。 と

    tamekko
    tamekko 2009/01/15
    大学1年の最初にやったな、KJ法。今でもときどきやりたくなる。手を動かすのがいいよね。
  • 「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net

    「メディアリテラシー」ということばがある。Wikipediaには「情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」と定義してあって、そもそもWikipediaをソースとして使うこと自体がメディアリテラシーの観点からは問題になりうるのだろうが、この定義はよく見かけるものとさほどちがわないように思うので当面これを使っておく。他の定義もいろいろあって、最近は発信者としての個人に着目するものも少なくない(英語版のWikipediaはその色合いがより強い)が、まあそれはそれとして。 でも最近、もう1つ、新たな意味が必要なのではないかと思ったりすることがある。それは、「メディアの人たちのリテラシー」だ。 メディアリテラシーということばは、なんだかんだいっても、マスメディアが発信者、個人が受信者という図式をデフォルトとして念頭においているように思う(歴史的な経緯か

    「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net
  • リベラルアーツの意義(20050209)

    リベラルアーツの意義… 「日の場合、・・・“技術優先”の世の流れと“即戦力”を求める企業姿勢のなかで、日的瑣末化と専門化はとどまるところを知らず進んでいます。」(1) 誰でもが、なんとはなしに感じていることだと思う。 それでは海外は、と問えば、同じように進んでいると答えざるをえまい。 (但し、海外では、これに抗して、研鑽に励むビジネスリーダーの集まりがあるのは確かだが。) 実際、米国西海岸で働けば、正真正銘のコンピュータオタク経営者に出くわすそうだし、中国沿海州で雇った中国の大学生に論語の話をしても全く通じないことがよくあるという。 周の時代に六芸が官制上の必修科目だったことは歴史で習った覚えがあるが、今や、こんなことさえ知らない中国の若者が多数派になっているのかもしれない。 こうした風潮がさらに進めば一体どうなるのか、と危惧の念を抱く人は少なくないと思う。 ・・・と考えさせられたのは

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