業界初となるどんぶり型容器とともに、1976年にデビューした「どん兵衛」(正式なブランド名は「日清のどん兵衛」)。発売以来進化し続け、現在もカップうどん・そばの王者の座に君臨しています。「10分どん兵衛」が話題になったことも記憶に新しい中、ありそうでなかったユニークな商品が新発売されました。「日清のどん兵衛 限定プレミアムきつねうどん 史上最もっちもち麺」です。 「日清のどん兵衛 限定プレミアムきつねうどん 史上最もっちもち麺(以下「もっちもち麺」)」。限定プレミアム品ということで、お早めに! その特徴は、麺の太さともちもち食感。希少な国産もち小麦を使うとともに、独自の3層太ストレート製法によって、今までになく太い、“史上最もっちもち麺”を実現したとのこと。さらにはお湯を入れて待つ調理時間も、8分とかなり挑戦的。 なるほど、これは気になるじゃないですか。ということで、通常の「どん兵衛」と食
物井敦史 / モノ @monoia これはけっこうダメなレベルの間違い方。逮捕はあくまで『容疑』なんだよね。逮捕の時点で実名報道したり犯罪者と決めつける風潮のせいで子供たちが勘違いしてるとこもあると思う。 拘置所と刑務所の違い、容疑者の定義、保釈金、冤罪、起訴、裁判、判決とかって社会科の授業でやるんだっけ…?🤔 x.com/gomatsuhira5/s… 2024-04-23 18:13:54
かつては関西の大手私鉄も、各社で時刻表を作成・販売していました。阪神電鉄でも20~30年位前はダイヤ改正の度に作っていたようだが、比較的早い内に、全線の時刻表の作成がなくなったようでした。 手元に、ちょうど30年前の1988(S63)に発売された阪神の時刻表があります。どんな状況だったのか、鉄道のダイヤを中心に振り返ってみます。 表紙は当時の最新系列、8000系のイラストです。№1844で書いたとおり、1984(S59)年より製造が始まった急行車で、翌1985(S60)年より大幅なモデルチェンジが行われました。時刻表発売の時点では、クーラーが集約分散式に変更された第6編成(8219F)までが製造されています。 表紙をめくると、すぐに阪神タイガースのCM。村山実監督と、バース、掛布、岡田、真弓の4選手の写真。キャラクターグッズの宣伝もあります。 カラーページ 阪神電車沿線案内図 当時は当然阪
ゴルフに導いてくれた男が、西日を浴びるグリーンで歴史をつくろうとしていた。ウイニングパットを沈める。この10年、松山英樹が優勝した時にしゃべることを考え続けてきた。それが運命だと思っていた。ただ、気持ちはあふれすぎた。 米男子ツアー、マスターズで松山英樹(29=LEXUS)が日本人初のメジャー制覇を成し遂げた。その姿を生放送で伝えたTBSの実況&解説陣の“もらい泣き中継”が、米中継局のCBSでも流されるなど、大きな注目を集めた。解説の中嶋常幸、宮里優作とともにメイン実況を務めた小笠原亘アナウンサー(48)には「放送事故ですね」と自ら話す55秒の沈黙もあった。実況者と選手、2人の10年間の歩みを聞きました。 ◇ ◇ 「松山英樹、マスターズを勝ちました! ついに、日本人がグリーンジャケットに袖を通します。日本人が招待されて85年、ついに、ついに、世界の頂点に松山は立ってくれました!」 そう
“2軍新球団”が追いかける2つの成功 NPB復帰目指す元侍・薮田和樹に指揮官「もったいないな」 2024.04.22 著者 : THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 Twitter Facebook B!Bookmark 今季からプロ野球の2軍は、2球団増えた14球団で行われている。新潟を本拠地に参加するオイシックスは、昨季独立のBCリーグで戦ったチームに、NPBを戦力外となった選手も復帰を目指し加わった。広島で2017年に15勝を挙げ、日本代表「侍ジャパン」に選ばれた薮田和樹投手もその1人。ここまで、先発の軸として試合を作っているものの、橋上秀樹監督はNPBに戻るためには別のやり方も必要だと口にする。チームと個人、それぞれのアピールが必要になるオイシックスならではの事情がある。
生まれて初めてオリンピックで生観戦した競技は、1996年のアトランタ大会で、女子バスケットボールの日本対中国戦だった。 この試合は大接戦の末、日本が1994年の世界選手権2位の中国を破る「アップセット」、番狂わせを演じた。 このチームには、今回の東京大会の解説を務めている萩原美樹子氏(現・東京羽田ヴィッキーズ・ヘッドコーチ)らがいて8強に進み、準々決勝では大観衆の前で地元アメリカと戦ったのが忘れがたい。 アトランタ大会は7位になったが、当時の代表監督を務めていた中川文一氏は、 「俺はアップセットを起こすバスケットはしたくないのよ。それだと勝ち切るチームになれないから」 と思いを語っていた。 その言葉はいまに続く課題であり、指導者が変わって、出場権を得たアテネ、リオデジャネイロ大会で、日本はユニークなスタイルでアピール力はあったが、いかんせん8強の壁を破れなかった。 そこには高さの壁が常にあ
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