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読み物とプログラミングに関するtatatayouのブックマーク (4)

  • 自分の稼ぎで食っている:プログラマで、生きている:エンジニアライフ

    ◆ はじめにおことわり ◆ 今回のテーマは「わたしがプログラマという職業を選んだ理由」で、実は1行で書こうと思えば書けるんですけど、それだとかなり意味不明になってしまって、ちゃんとわかるように書こうとするとやたら長くなります。 自分で言うのもなんですけど、わたしはちょっとレアな人なので普通な人(←表現がおかしい気もするけど、適切な表現が思いつきません)に読んでいただいても、進路選択の参考にはならないと思いますが、もしかしたら、昔のわたしと似たような問題にぶちあたってる人の目に留まるかもしれません。そんな偶然が存在して、なおかつ、この出会いがほんの少しでもよい方向に作用することを期待して、この文章を書きました。 少々、重いお話になるので、そういうのが苦手な方はここで引き返すことをおすすめします。せっかくきてくださったのに、申し訳ありません。 ◆ 10才のわたしは20才の自分に絶望していた ◆

    自分の稼ぎで食っている:プログラマで、生きている:エンジニアライフ
  • ぼくはこうしてプログラミングを覚えた

    オリジナルはココです。フェイスブックのエンジニアでで史上ベスト3に入るといわれるEvan Priestley氏への質問「どうやってプログラミングを覚えましたか」に対する人からの答えです。 手短かに言えば 何年もの歳月の賜物というか。ぼくはただひたすらプログラミングが大好きで、(フェイスブックで働いていた)過去4年間、ほとんど他のことをしていない。その前も2.5年ほどプログラマーとして働いていたし、そのさらに前も6年くらい趣味でプログラミングをしていた。ぼくは高校も大学も中退しているので、それで空いた時間もプログラミングに費やした。つい最近フェイスブックを辞めたけど、未だに起きている時間のほとんどはプログラミングだ。 もっと詳しく言えば 月並みだが、ぼくはちっちゃい頃からコンピューターが好きで、我が家にあったヤツで(最初はMac Plusで途中からIIsiになった)で散々遊んだ。8歳か9歳

  • モバイルゲームの歴史を年代別にご紹介します。モバイルゲームの成長と今後について詳しく解説していきます。

    モバイルゲーム 物凄い勢いで勃興したモバイルゲーム業界は、いろいろな課題や問題に直面しながらも巨大化し、今日の時点でのスマートフォン向けゲームの市場へと継承されていきます。 モバイルゲーム歴史 2001 Javaアプリと3Dゲームの登場 Javaが利用できるようになったことにより、ダウンロード型のゲームが供給できるようになりました。 2002 携帯電話端末の大容量化・3D化競争 Java搭載携帯電話端末が登場してからごく僅か1年の間に、アプリのサイズに関しては10倍に広大化し、表現方法も2Dから3Dにシフトし始めました。J-PHONEは『ゼビウス』や『スペースハリアー』などといった昔のアーケードゲームを、ドコモはSIMCITYなどパソコンで世界的規模のヒットを飛ばしたゲームを主力商品としていました。 2003 モバイルゲームの一般化 メモリの制限が厳しいJava仮想マシン上ではなく、OS

  • なぜ新人は聞きに来ないのか? - teruyastarはかく語りき

    プログラマで、生きている: ググるな危険 http://el.jibun.atmarkit.co.jp/hidemi/2009/11/post-9d2b.html わたしが新人が検索に頼ってしまうことを危険視するのは、コピペの寄せ集めでもなんとなく動くコードが書けちゃって、それで自分は仕事を達成したという錯覚に陥ってしまうからです。 たいていの場合、新人プログラマには「きちんとしたコードを書くこと」は期待していません。先輩たちが期待しているのは「きちんとしたコードを書ける人になってくれること」です。 そこらへんの意識が行き違っちゃってるから、仙台に行くことよりも、新幹線に乗ることの方が重要事項になっちゃうんですかねえ。 最後に、わたしが新人の時に先輩から言われた言葉をご紹介させていただきます。 「自分で説明できないコードを1行たりとも書くな!」 間違うのはしかたありません。けれども、「自分

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