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2010年8月7日のブックマーク (7件)

  • 日本の人事システムについて - 内田樹の研究室

    ツイッターで茂木さんが就職活動について書いている。 多くの点で、私も同意見である。 けれども、完全には同意できないところもある。 意見が違うというのではなく、話を「切り出す順番」が違うということなのかも知れない。 それについて考えてみたい。 茂木さんはこう書いている。 「大卒2割、就職も進学もせずという今朝のニュース(http://bit.ly/9IP2QS )に思うところあり、日の就職について連続ツイートします。 大学3年の夏から、実質上就職活動が始まる日の慣習は、明らかに異常である。学問が面白くなって、これからいよいよ格的にやろうという時に、なぜ邪魔をするのか。 そもそも、新卒一括採用という慣習は、経営的に合理性を欠く愚行だとしか言いようがない。組織を強くしようと思ったら、多様な人材をそろえるのが合理的である。なぜ、一斉に田植えでもするように、同じ行動をとるのか? 日の企業が

    tazan
    tazan 2010/08/07
    なぜかフリーライターにも似たような側面がある。
  • 「白紙答案で強行入社」した森元総理の語るエピソード(00年4月)

    大分県で明らかになった「コネ人事」や「採用試験の不正合格」のことを考えていて、 ふと思い出したことがある。2000年(平成12年)4月5日に小渕元総理が急死すると、後に低支持率にあえぐことになる森喜朗総理が「密室」で誕生する。衆議院予算委員会では、誕生したばかりの森総理に対して各党の代表が質問した。社民党では私が立って自著で「新聞社の入社試験に白紙答案を提出して……」と自慢していることを取りあげた。これは「恫喝コネ入社」ではないかと。予算委員会の議員席は笑いに包まれ、与党席からは「立派なコネじゃないか。たいしたもんだ」という称賛の野次も飛んだ。今、このやりとりを改めて読み直してみる。森総理の著書である『あなたに教えられ走り続けます』というをかざして、私は問いかけた。 [衆議院予算委員会00年4月25日] ○保坂 御自身でお書きになったものをまとめられたものということなんですが、私は、まず

    tazan
    tazan 2010/08/07
    森喜朗は碌でも無いやつだ。
  • 格差社会:大卒の親と高卒の親、子どもの入試で20点の差(下) | Chosun Online | 朝鮮日報

  • 格差社会:大卒の親と高卒の親、子どもの入試で20点の差(中) | Chosun Online | 朝鮮日報

  • 格差社会:大卒の親と高卒の親、子どもの入試で20点の差(上) | Chosun Online | 朝鮮日報

    格差社会:大卒の親と高卒の親、子どもの入試で20点の差(上) 【特集】韓国社会から消えゆく「階層上昇のはしご」 李明博 | 盧武鉉 両親の学歴や経済力によって、修能試験やTOEICの点数に差 隙だらけの「平準化政策」が低所得層には悪夢に 教育を通じ、地位向上の機会を与える目的で導入された「教育のはしご」政策は、保守派・進歩派を問わず、韓国で最も重要な政策として位置付けられている。「自律と競争」を掲げる李明博(イ・ミョンバク)政権も、「平等と参加」を掲げた盧武鉉(ノ・ムヒョン)前政権も、「どぶから竜が出る(地位の低い家から立派な人物が出る)」社会を築こうというスローガンでは共通している。 しかし、「教育のはしごを修復せよ」という勇ましい掛け声の割には、芳しい結果が得られていないことが分かった。親たちの学歴が、子どもの大学修学能力試験(修能=日の大学入試センター試験に相当)の成績、国際コミュ

  • 「シューカツ」という理不尽 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    毎月東大出版会から送られてくる広報誌『UP』(「うぷ」じゃなく、「ゆーぴー」です)の8月号の冒頭に、田由紀先生が『「シューカツ」という理不尽』というエッセイを書かれています。 読まなくてもだいたい中身は想像されるとおりですが、最後近くのところで、次のように述べています。 >・・・これらのすべてから、腐臭が立ち上る。こうした事態を放置しておくべきではないという認識は、かつてよりもずっと広がってきているが、具体的な動きは遅々としている。たとえば・・・ >それに対して、日学術会議の「大学教育の分野別質保証の在り方検討委員会」のもとに設置された「大学と職業との接続検討分科会」の最終報告においては、大学と職業との接続をめぐる構造的問題の指摘と、その変革に向けての包括的な提案が掲げられている。しかしこれも、どれほどの社会的影響力を持ちうるかは未だ未知数である。 ご承知の通り、この分科会には田さん

    「シューカツ」という理不尽 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 本が書けない人たち - jun-jun1965の日記

    金×淳×も、『ユリイカ』などに著書の広告が出てはや二年。今私たちの興味関心は、これが三周年を迎えるか、どうかである。 私は三十歳の頃から、周囲の人たちを、編集者に紹介して著書を出させようとしてきた。今思えば、親切なようで、恩に着せようとしていたのだろう。だが、うまくいかないことのほうが多く、うまく行ったのは、既に著書を出している人の例であった。 さる英文学者が、今はなきカッパブックスで、シェイクスピアのソネッツに関するを書きたいなどと言っていて唖然としたことがある。まあそれはそれとして、初めてを出す時は、一冊分原稿を揃えて売り込まなければまず問題にならない。金×のようなのは、上×千×子だか誰だか知らないが、よほどの大物が押し込んだ結果としか思えないのである。その上×が、90年代初めに、日で初めて男性同性愛について博士論文を「書いた」と言って興奮していたように記憶する古××は、実際は博

    本が書けない人たち - jun-jun1965の日記
    tazan
    tazan 2010/08/07
    大物が押し込んで編集者にせっつかれるのは羨ましい。こっちは自分で自分をせっついている。/しかし、こう言うのを読むと「単著を書く」という自分の目標が達成されるか不安になる。