答えるな、と言っているが、答える。 まず、学術誌か学会発表でなければ論として認めないという田中氏の姿勢には私は疑問を感じる。私は既に独立学者であるから、そういう、原稿料の出ないものには原則として書くつもりはない。それならば学者ではない大塚氏が何を書こうとそれは論ではないということになり、学者の傲慢でしかないであろう。現に私は、田中も認めるとおり『一冊の本』の連載でこれについては書いているし、活字にすらしている。(『リアリズムの擁護』に書いてあったのを後で思い出した) 次に小和田は、端的に言って何の典拠もあげていない。もし田中氏が知らなかったというのであれば、では1998年に『桃山歴史・地理』に書いた時は、何が典拠だったのか。かつ、『あやかし考』に載っている「淀殿拾遺」には、何ら典拠も先行研究も記していないから、初出一覧を見て、田中の1997−98年の創意であると見るのが普通である。辻、田端
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