7月の参院選は自民、公明の与党で改選定数の過半数を上回ったものの、日本維新の会と合わせた「改憲勢力」は憲法改正に必要な3分の2の議席に届きませんでした。自民は8つの選挙区で現職が落選しており、有権者の判断は、長期政権の安定は評価したものの全面的に信任したわけではない、という微妙なものになったようです。 これを受けて安倍首相は憲法改正を「加速」させたい意向ですが、そもそも国民の多くは改憲に興味があるわけではないので、前途多難が予想されます。対する野党も、「年金2000万円不足問題」で攻勢をかけようとしたものの、「消費税増税反対」との股割きで一貫した主張ができませんでした。高齢者の関心はいまの年金収入を守ることで、「増税しなければ社会保障の財源が枯渇する」との主張を覆すのは容易ではありません。 私はこれまで繰り返し、「日本社会は“リベラル化”しており、右傾化と呼ばれるものは“日本人アイデンティ
韓国の大法院(最高裁)が元徴用工の賠償請求を認める判決を出したことで、またもや日韓関係が揺らいでいます。1965年の請求権協定で「(強制動員の被害補償は)完全かつ最終的に解決済み」というのが日本政府の立場で、河野外相が「両国関係の法的基盤が根本から損なわれた」と批判するのも当然でしょう。 国際政治では長らく、リアルポリティクス(現実主義)とリベラル原理主義が対立してきました。典型は核兵器問題で、リアルポリティクスの論者(大半の国際政治学者)はゲーム理論に基づき、米ソいずれも相手を確実に破滅させられる核兵器を保有する「相互確証破壊」こそが平和を維持しているとして、中途半端な軍縮交渉を批判してきました。それに対してリベラル原理主義は、こうした賢しらな論理を嫌悪し、核兵器は「絶対悪」なのだからどんなことをしてでも全廃しなければならない、と主張します。 こうした対立は、日本では沖縄問題で顕著です。
麻原彰晃らオウム真理教事件の確定囚7人が死刑執行されたのにつづいて、残る6人の確定囚の死刑も7月26日に執行されました。1カ月のあいだに2度、13人もの死刑執行は日本だけでなく世界に波紋を広げています。 前提として、民主国家において量刑は有権者の総意によって決められるもので、国民の8割が死刑制度を容認している日本で、人権団体や欧州諸国からの批判を根拠にいますぐ死刑を廃止するのは現実的ではないことを確認しておきましょう。政治家が国会で死刑制度を議論できるようになるためには、現在1割以下しかいない廃止派がせめて4割に近づかなくてはなりません。 しかしそれにもかかわらず、今回の大量死刑執行に納得しがたいものを感じたひとも多いのではないでしょうか。 死刑を支持する背景には、「重罪は死をもって償うべき」という道徳観があるとされています。犯罪被害者が極刑を望んでいることや、死刑があることで犯罪が抑止さ
民進党の蓮舫代表(7月27日に辞任を表明)が「二重国籍でないことを証明する」ため、戸籍の写しなどを公表したことが波紋を広げています。この問題についてはネットを中心に膨大な議論がありますが、話がややこしくなるのは、「国会議員が二重国籍なのは違法だ」と思っているひとが(ものすごく)たくさんいることです。すでに指摘されているように、公職選挙法では国会議員が日本国籍であることを定めているだけで、二重国籍を排除する規定はありません。 2007年の参院選挙では、国民新党がアルベルト・フジモリ元ペルー大統領を比例代表候補として擁立していますが、フジモリ氏が日本とペルーの二重国籍であることはまったく問題にされませんでした。蓮舫代表のケースでは、国籍についての過去の発言に矛盾があることは確かですが、司法の判断の前に経歴詐称と決めつけ、有権者によって選ばれた議員の資格を一方的に否認するのは民主国家としては明ら
4月23日に行なわれたフランス大統領選の第1回投票では、独立中道右派のエマニュエル・マクロンと、国民戦線(FN)党首マリーヌ・ルペンが決選投票に進むことになりました。この記事が掲載されるときにはすでに結果が出ていますが、現時点の世論調査ではマクロンがルペンを大きく引き離しています(世論調査のとおり大差でマクロンが勝ちました)。 各社の報道を見ていて気になるのは、いまだに国民戦線に「極右」のレッテルを貼るところが大多数なことです。極右(ultranationalism)は「国粋主義」のことですから、たんなる「自国ファースト」のナショナリズムではなく、自民族の優越性を前提とした人種主義(レイシズム)と見なされます。 国民戦線が「極右政党」なら、ルペンに投票した770万人(決選投票では1000万人)のフランス人は「人種差別主義者(レイシスト)」になってしまいます。もし大統領に当選すれば、フランス
日本弁護士連合会が10月7日の「人権擁護大会」で死刑制度廃止を宣言しました。きっかけは2014年に袴田事件の死刑囚の再審開始決定が出たことで、「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」というのが理由です。これは杞憂というわけではなく、1990年の足利連続幼女誘拐殺人事件では無実の市民が20年なちかく収監されたように、誤認逮捕はいまでも現実に起きています。 ヨーロッパでは英仏独など主要国が死刑を廃止しており、EU(欧州)は毎年10月10日の「死刑廃止デー」を共催し、国連でも「死刑執行停止決議」が117カ国の賛同を得て採択されています。その一方で日本では、世論の8割が死刑を容認するなど、世界の潮流からかけ離れているように見えます。 主権者である国民の圧倒的多数が死刑を支持しているのだから、民主的な決定に国際社会が口をはさむ権利はない、という主張はそのとおりでしょう。しかし気になるのは、日本
新刊『リベラル」がうさんくさいのには理由がある』の「まえがき」を、出版社の許可を得てアップします。 ************************************************************************ 最初に断っておきますが、私の政治的立場はリベラリズム(自由主義)です。 故郷に誇りと愛着と持つという意味での愛郷心はありますが、国(ネイション)を自分のアイデンティティと重ねる愛国主義(ナショナリズム)はまったく肌に合わず、国家(ステイト)は個人が幸福になるための「道具」だと考えています。 神や超越的なもの(スピリチュアル)ではなくダーウィンの進化論を信じ、統計学やゲーム理論、脳科学などの“新しい知”と科学技術によって効率的で衡平(公平)な社会をつくっていけばいいと考える世俗的な進歩主義者でもあります。 自由や平等、人権を「人類の普遍的な価値」とす
昨年末の「慰安婦」日韓合意は戦後史に画期をなす出来事ですが、その意義がじゅうぶんに理解されているとはいえません。 従軍慰安婦問題についてはさまざまな立場があるでしょうが、国際的には、日韓のナショナリズムの衝突ではなく、女性の人権問題と見なされていることを押さえておく必要があります。 旧ユーゴスラビアの解体とボスニア内戦は、その凄惨さによって西欧諸国に大きな衝撃を与えました。とりわけ戦場における虐殺と性暴力は、「人権の擁護は国家の主権を超える」という新しい流れを生み出しました。従軍慰安婦問題も、こうした「普遍的人権」の枠組みのなかで国際社会で取り上げられるようになったのです。そこで重視されたのは、日韓の歴史認識のいずれが正しいかではなく、戦争の被害者である女性をいかに救済するか、ということでした。 しかし残念なことに、こうした冷戦後の新しいパラダイムは、日本でも韓国でもほとんど理解されません
安倍政権が安保関連法案を衆院で強行採決し、野党が強く反発しています。衆院憲法審査会で自民党が推薦した憲法学者が「安保法制は憲法違反」と明言する“敵失”から法案の審議は迷走を始め、野党がそれを利用して違憲論争に持ち込み、安倍政権を窮地に追い込みました。 もっとも、与党が提出した法案を違憲だというのなら、どれほど“熟議”を重ねても合意に至るわけはありません。これは数で圧倒する与党を強行採決に追い込んで批判する“弱者の戦略”で、それが悪いとはいえませんが、野党にだって最初から議論するつもりなどなかったのです。 「戦争」だとか「徴兵制」だとか、いたずらに国民の不安を煽る言動も、政権奪還の気概を持つ(はずの)政党としては大人気ないかぎりです。こんなことでは、自民党と(永久護憲野党の)共産党の2つがあればいい、ということになってしまいそうです。 残念なのは、安保法制が違憲だとして、だったらどうするのか
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