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  • 道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、大史廟に祀られている神様の種類は多い | 写真とエッセイ by awazo.com

    ジャカルタのグロドック地区にある大史廟という中国寺院の中に足を踏み入れた。小さな門をくぐると堂の建物へと続く道の真ん中には太いロウソクが何も立てられていた。春節を祝うためなのだろうか。いずれにしてもも、これだけ太いロウソクはあまり他の国では目にすることがないものだった。どのロウソクも火が点けられていて、柱のようなロウソクの上で炎がゆらゆらしていた。 ここは福建南部系華人が建てた廟で、謝玄という中国東晋の将軍を主神として祀っているのだそうだ。そう聞くと道教の寺院だと思ってしまうが、道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、その種類は多い。日の神社でも祀られている複数の神様が祀られていることが多いけれど、この中国寺院も負けてはいない。これだけ多くの神様が祀られていたら、どのような祈願をされても誰かが対応できるに違いない。 燃え盛るロウソクを眺めながら境内にあるベンチで腰掛

    道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、大史廟に祀られている神様の種類は多い | 写真とエッセイ by awazo.com
    tetsu_1895
    tetsu_1895 2020/06/09
    ジャカルタのチャイナタウンにある中国寺院
  • クロントゥーイ市場にはカエルの専門店があって、店先に大量のカエルが陳列されていた | 写真とエッセイ by awazo.com

    大きなクロントゥーイ市場では見慣れた材が売られていると同時に珍味もまた売られている。タイの人にとっては当たり前の材であっても、日人の僕にとっては珍しいものも売られている。歩いていて最初にびっくりしたのはタガメだった。一見するとゴキブリにしか見えず、ドキッとする。もっとも昆虫の世界の先進国タイで、タガメは高級材らしい。まあ僕は高級材と言われてもタガメをべたいとは思わないけれど。 次に驚いたのはカエルだった。この市場にはカエルの専門店があって、店先に大量のカエルが陳列されていた。日でもカエル自体は珍しいものではないし、道路上で干からびているのを目にすることがあるけれど、スーパーマーケットで見たことは一度もない。しかしカエルの脚はフランス料理でも使われるし、中華料理にも使われる材だ。そのため中華料理の影響を大きく受けているタイ料理でもカエルの肉を使った料理があっても不思議ではな

    クロントゥーイ市場にはカエルの専門店があって、店先に大量のカエルが陳列されていた | 写真とエッセイ by awazo.com
    tetsu_1895
    tetsu_1895 2020/03/09
    市場で売られているカエル
  • 男の子が韓国アニメのロボカーポリーのTシャツを着ていた | 写真とエッセイ by awazo.com

    ネットの上では、ここダラのことをヤンゴンの貧民街だと書いている人もいた。でも、少なくともこの集落を歩いている限りではそのようなことは感じない。お店の前にはそれほど古くないバイクが停まっていたりする。確かにヤンゴンのダウンタウン辺りと比べると平均所得は低いからもしれないけれど、極端に低いとはいえない程度だろう。 そうこうしていると、幼い男の子が僕のところにやってきた。カメラを構えると、顔にタナカを塗っている男の子は楽しそうにピースサインをしてくれる。よく見てみると、男の子の着ていたオレンジ色のTシャツにはなにやらアニメのキャラクターらしきものが描かれている。いかにも日のアニメのキャラクターといった感じだ。でも、調べてみると日のものではなかった。正解は韓国製のロボカーポリーというアニメの登場キャラクターだった。男の子のTシャツに描かれているのはそのアニメに登場するアンバーというキャラだ。救

    男の子が韓国アニメのロボカーポリーのTシャツを着ていた | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 目ざとく僕の挙動に注目する人が無遠慮に声を掛けてくるときは、僕にとっては待ってましたと思う瞬間だ | 写真とエッセイ by awazo.com

    バンコクまで向かう列車の出発時間まではまだ時間があったので、引き続きマハーチャイにある商店街の中をウロウロと徘徊していた。ここは観光地でも何でもない普通の商店街だ。歩いている人はみな地元の人で、旅行者の姿は見当たらない。おそらく、僕はこの時この通りを歩いていた唯一の外国人だろう。お店の人はのんびりと仕事をしていて、買い物客もゆったりと道を行き来している。僕がカメラを片手に歩いていても、興味を示したりする人はあまりいない。商店街にはのどかな空気が充満していた。 それでも中には目ざとく僕の挙動に注目する人もいたりして、そういう人たちは無遠慮に声を掛けてくる。僕にとっては待ってましたと思う瞬間だ。写真の花柄のシャツを着た男もそのようなひとりだった。歩いている僕に声を掛けてきた男にカメラを構えると、こんな写真が取れたら楽しいだろうと言わんばかりの勢いで、戯けたポーズを取り出した。その熱意に応じるた

    目ざとく僕の挙動に注目する人が無遠慮に声を掛けてくるときは、僕にとっては待ってましたと思う瞬間だ | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 黄昏の中を走る自動車 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    迪化街をウロウロしているうちに日が低くなってきていた。とろんとした黄昏の光が道に降り注いでいる。路面は黄色に輝いていて、道を走る自動車たちはシルエットになっていた。多くの人が家路に就く時間なのだ。でも、僕は家路に就くことはない。僕の家はここから遙か遠くだ。 黄昏に染まった道を眺めていると、一日が終わりつつあるのを感じる。そして、何故だか分からないのだけれど、子どもの頃を思い出すのだった。今実際にいるのは異国の地なのに。黄昏には郷愁に浸らせる力があるのかもしれない。

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  • 世界で一番有名な白菜 | 写真とエッセイ by awazo.com

    入った展示室は広々としていて静かで、真ん中に大きなガラスケースが置かれていた。ケースの中にはこの博物館の目玉である財宝が陳列されていた。翠玉白菜という翡翠の彫刻だ。僕はこれを見るためにわざわざここまで足を伸ばしたのだ。 宝石で作った彫刻というと、何やら豪華なものをイメージしてしまうけれど、これが意外なことに白菜の形をしている。でも、ただの白菜ではない。翡翠の色合いがちょうど白菜の葉っぱの色に合致している。そして、緑の葉っぱになっているところにはバッタとキリギリスも彫られているのだった。とても精巧な彫刻だ。でも、一番気になるのは、作者が翡翠の原石を見た時になぜ白菜を彫ろうと思ったのかということだ。 考えながらじっと見ていると、他の来館者もガラスケースのところにやって来た。そして、白菜を指差していた。

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  • ヒルガオのクローズアップ | 写真とエッセイ by awazo.com

    とある家には木製の格子があって、そこにはヒルガオが巻き付いていた。そして、花を咲かせていた。紫色のヒルガオだった。真ん中には立派な雌しべも見える。花びらの奥からひょこんと頭を出している。自らの花粉をばら撒く準備はもう既に整っているようだ。でも、残念なことにこの花には花粉を運んでくれる昆虫の姿は見当たらない。雄しべはじっと、いつ何時やって来るかわからない昆虫がやって来るのをじっと待っているのだ。 ちなみにヒルガオの花言葉は絆だそうだ。

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  • 赤い扉に黄色い乳鋲 | 写真とエッセイ by awazo.com

    行天宮は台北にある関帝廟で商売の神様である関羽が祀られている。出来ることならお金持ちになりたいと願う人はどこの国でも多い。そのため台北観光の目玉のひとつでもある関帝廟は連日賑わっている。やってくるのは観光客よりも地元の人の方が多いように見える。 参拝客が出入りする入口よりも立派な扉が設けられているものの、その扉はしっかりと閉じられていた。反対に回ると太い閂で閉じられているのが分かる。鮮やかな朱色に塗られた扉には乳鋲のような飾りが幾つも付いていた。まるで侵入者がこの扉から侵入してくるのを防いでいるかのようだ。 扉の上に目を向けると扁額が掛けられていて、寺院の名前が書かれていた。両脇の柱には彫刻が施されていた。御祭神である関羽はこの扉のちょうど向こう側に鎮座しているのだけれど、人間が中に入るには脇にある小さな扉から入らなければならない。神様の真正面から入るのは不謹慎なのだろう。正中を避けるよう

    赤い扉に黄色い乳鋲 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 玉取崎に浮かぶ雲 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    玉取崎展望台からの見晴らしは素晴らしい。細長く続く砂浜とどこまでも続く青い空がよく見える。海の色はくっきり2色に分かれている。浅瀬の色は薄い青になっていて、深い場所は濃い青になっている。そして、陸地に沿って力強い雲が浮かんでいた。 白い砂浜が広がっているけれど、そこには海水浴客の姿はあまりないように見える。見晴らしが良いからといって、岬の上から暢気に眺めている場合では無いかもしれない。今すぐにでも岬から降りて、白いビーチへ向かうべきなのかもしれない。

    玉取崎に浮かぶ雲 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • ピカピカと光るマグロ | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    大きなマグロの塊がまな板の上に置かれていた。今朝行われた競りで競り落としたものなのだろう。塊は大きい。これだけの大きさがあると一体どれくらいの値が付くのだろう。きっと高いに違いない。 傍らには恰幅のいい男が立っている。男はタオルを手に持っていて、しきりにマグロの表面を拭いている。解凍されたばかりのようで、水分が表面に出てくるのだろう。遠くの海で採れたマグロは、ここまで冷凍されて運ばれるのだ。マグロの塊は伝統の下でピカピカと光っていた。

    ピカピカと光るマグロ | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 裏口の猫 | 写真とエッセイ by awazo.com

    建物の裏口の前で二匹のが屯していた。一匹はお座りしながらじっと扉の方を眺めていて、もう一匹は辺りをウロウロしている。二匹は餌をねだっているようだった。でも、が見詰めている扉は開くことはないはなかった。 餌の時間が来ているのかどうかは分からない。でも、の様子を眺めている限りでは、もう来てしまっているのだろう。そして、餌をくれる人が現れるのを切に願っているように見える。は不安そうな視線を閉じられたままの扉に注ぎつつけていた。

    裏口の猫 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 手と手を繋いで歩くカップル | 写真とエッセイ by awazo.com

    僕の前を若いカップルが歩いていた。背筋をピンと伸ばしたふたりはしっかりと手を握って歩いている。でも指は絡み合っていない。男は包み込むようにして、彼女の手を握っていた。 ふたりの間にはちょっとした距離があって、ふたりの心理的な距離もちょっと離れているように見えてしまった。ふたりはまだそれほど付き合いが長くはないのかもしれない。心理的な距離が縮まるのはこれからなのだろう。つきあい始めは一番楽しいときだ。ふたりも距離感が縮まっていくのが楽しい時に違いない。

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  • 寸胴鍋の中のビリヤニ | 写真とエッセイ by awazo.com

    お揃いの制服に身を包んだ男が店頭に立っていた。ここは堂だ。ふたりの前には寸胴な目が置かれている。中にはどっさりとビリヤニが入っていた。ビリヤニとは南アジアの炊き込みご飯の一種だ。 ここのビリヤニはうっすらと色付けされたご飯の上に肉を載せたもののようだ。周囲には美味しそうな匂いが立ち込めている。男は皿にご飯を盛っているところだった。その所作を見ていると、もう我慢の限界だった。僕はすぐさまに堂の中へと入り、ビリヤニを注文したのだった。

    寸胴鍋の中のビリヤニ | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 浅草寺の人混み | 写真とエッセイ by awazo.com

    大勢の参拝客がいて、浅草寺の境内は大混雑していた。階段の上にある堂の入口近くに立って参道の方を眺めていると、参拝客の中に埋もれるようにして香炉があるのが見える。次から次へと線香が投入される香炉からは、モクモクと煙が上がっていた。 今日はお祭りの日でもなく、何の変哲もない週末だ。それでも大勢の参拝客で参道は埋め尽くされていた。参道の途中にそびえる宝蔵門の先に見える仲見世通りも人で溢れているのが垣間見える。一体どれだけの人が境内にいるのだろう。

    浅草寺の人混み | 写真とエッセイ by awazo.com
  • マンゴー売りとリクシャー | 写真とエッセイ by awazo.com

    町角に出した椅子に男が腰を下ろしていた。前には台が置かれている。男はコルカタの路上でマンゴーを売っているのだ。テーブルの上にはマンゴーが山積みになっている。でも、残念ながらここはあまり人通りがない。男の店にも誰もいなかった。男はじっと椅子に腰掛けたまま客が来るのを待っているのだ。 そんな屋台を眺めていると、通りの向こうからリクシャーが走ってきた。座席には二人のアバヤを被ったイスラム教徒の女性が座っている。目以外の全身を覆っていて、とても暑そうに見えるけれど、これは余計なお世話だろう。ふたりがマンゴーに興味を示すかどうか、じっと見守っていたけれど、ふたりはマンゴーには一切の興味を示すこともなかった。ふたりを載せたリクシャーはそのまま走り去っていったのだった。

    マンゴー売りとリクシャー | 写真とエッセイ by awazo.com
  • スカイツリーと人力車 | 写真とエッセイ by awazo.com

    信号待ちをしていると、目の前を人力車が通り過ぎていった。ここ浅草は都内随一の観光地で、日国内はもとより海外からも大勢の旅行者が訪れている。そして、このような古めかしい人力車はそのような観光客を運んで周辺の名所を巡っているのだった。歩くのは疲れるし、かといって車で回るのは面倒だから、人力車の上から町並みを眺めるのはお手軽で良いのかもしれない。インドと違って人力車は公共交通機関ではないのだ。 ふと、遠くに目をやるとスカイツリーが空の聳えているのが見えた。こうやって見ると。押上に建っているスカイツリーも浅草から近くにあるように見える。

    スカイツリーと人力車 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • うっすらと雪化粧した富士山 | 写真とエッセイ by awazo.com

    写真の山は富士山だ。独立峰である富士山の姿は美しい。周囲には高い山は一切なく、富士山だけが大空の中に聳えているのだった。残念なことに、見に来た日は生憎の天気だった。富士山の山頂付近は雲に覆われてしまっていた。 僕は湖畔に立って、雲がどこかへ行ってしまうのを待っていた。すると、僕の気持ちが通じたのだろうか、晴れ間が現れて山頂が雲の合間から姿を現したのだった。頂上付近はうっすらと雪化粧しているのが見えた。8月だと言うのに、山頂付近はかなり寒いのだろう。

    うっすらと雪化粧した富士山 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • グラバー園のチューリップ | 写真とエッセイ by awazo.com

    ここはかつてグラバーさんの家だけが建っていたところと思っていたけれど、実際には他にも二人の英国商人の家も建っていたところらしい。見晴らしのいいこの場所には、フレデリック・リンガーとウィリアム・ジョン・オルトという人の居宅も建っていたのだった。そして、二人の家も保存されている。グラバーさんの知名度に比べると、二人の知名度はぐっと落ちてしまう。ちなみに、ちゃんぽんのリンガーハットの名はこのリンガーさんから取っているようだ。 庭園は手入れが行き届いていた。花壇ではチューリップが咲いている。満開だった。この地に居を構えていた三人は皆英国商人なのだけれど、オランダと長崎は深い関係があるから植えられているのかもしれない。

    グラバー園のチューリップ | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 鎮西大社諏訪神社の鳥居 | 写真とエッセイ by awazo.com

    鎮西大社と呼ばれることも多いこの神社の正式名称は諏訪神社だ。諏訪神社だけに御祭神は建御名方神とその妃神である八坂刀売神だ。 長崎市の丘の上に建つ拝殿に向かって伸びる参道の両脇には住宅が迫っていた。かつては家が建っている場所も神域だったに違いない。でも、都市化が進むに連れて浸されてしまったのだろう。参道だけが残された場所のようだった。そんな参道には今でも参道であることを誇示するかのように石造りの立派な鳥居が並んでいた。 鳥居越しにまた別の鳥居が見える。鳥居の見た目はそれぞれ異なっているから、それぞれ建てられた時代が異なるのかもしれない。使用されている石材も違う。白っぽい鳥居もあれば、黒っぽい鳥居もあった。統一感の欠如がかえってこの神社が地元に人に慕われていることの証のような気がした。

    鎮西大社諏訪神社の鳥居 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 山のようなマンゴーと男 | 写真とエッセイ by awazo.com

    町角には粗末なお店があって、中では男が大量のマンゴーに囲まれて座っていた。傍らにある二つの籠はマンゴーで一杯になっていて、男の前の床にもマンゴーが山積みになっている。これらは皆売り物だ。男の小さなお店はマンゴーで溢れかえっていたのだった。後ろの壁には申し訳程度にバナナが掛けられている。 男は写真を撮れ撮れと五月蠅かったのに、いざレンズを向けると、先程までの調子は何処へやら。険しい顔つきになってしまった。残念。

    山のようなマンゴーと男 | 写真とエッセイ by awazo.com