3はひねくれてて、7はまっすぐだけど融通がきかない。 9はこわい、8は中途半端。 素数は孤独。 負の数は卑怯。
ATRと京都大学、fMRIで測定した人間の脳活動のみから、その人が見ている画像を機械学習を用いて再構成する提案を発表。心の中でイメージした内容の画像化にも成功 2018-01-14 ATR(国際電気通信基礎技術研究所)と京都大学の研究者らは、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)によって測定された人間の脳活動のみから機械学習を用いて視覚像を再構成する提案を論文にて発表しました。 Deep image reconstruction from human brain activity 著者:Guohua Shen, Tomoyasu Horikawa, Kei Majima, Yukiyasu Kamitani (左が見ている画像、右が再構成された画像) 本稿は、人間が見ている画像を、fMRIで測定した脳活動パターンのみで知覚内容を視覚化する機械学習を用いた手法を提案します。 提案手法では、画像を見
行き詰まる「サッチャリズム2.0」と若者たちの「社会主義2.0」 『イギリス現代史』著者、長谷川貴彦氏インタビュー 情報 #イギリス#新刊インタビュー#コービン リーマンショックによる金融危機は、1930年代の大恐慌、1970年代の石油危機に匹敵する「第三の危機」だといわれる。大恐慌は福祉国家をもたらし、石油危機はサッチャリズム(新自由主義)を生み出した。それでは、現在の危機はどのようなシステムを生み出すのか? 「サッチャリズム2.0」が延命するのか、それとも「社会主義2.0」が未来を切り開くのか? 『イギリス現代史』の著者、長谷川貴彦氏に話を伺った。(聞き手・構成 / 芹沢一也) ――かつてイギリスは「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる福祉国家のモデルでした。労働党も保守党も福祉国家を支持していたことから、73年のオイルショック以前は「コンセンサス政治」の時代と呼ばれますね。 「コンセンサ
「破綻する日本企業には類似点が多い」―企業再生の専門家がよく口にするこの言葉を端緒に実施した、実際に破綻に至った企業群と対照的に好業績を続ける企業群を対象とする比較事例研究の結果を紹介する。具体的には、1)破綻した企業群には共通する組織内メカニズムが駆動していること、2)当該メカニズムは事業環境が安定している間は問題とならないもののひとたび事業環境が変化するとそれへの適応を著しく困難にさせる性質を有していること、3)日本企業には当該メカニズムが駆動しやすい文化的な癖があること、が明らかにされる。3)については1990年代に生まれた新しい学術分野である文化心理学の知見を援用した議論を展開する。 これらを踏まえ、今後の日本企業のコーポレートガバナンスへの教訓の導出を試みる。 本日のテーマは、私の個人的な研究の成果を発表するもので、所属機関の意見ではありませんので、ご理解いただければ幸いです。具
物理学者の故湯川秀樹博士が1945年の終戦前後に記した日記が公開された。海軍の原爆研究に関与していたことを示す記述がある一方、戦後、反戦・核廃絶運動にとり組むに至る軌跡がうかがえる。 興味深いのは、45年秋以降、京都学派と言われた著名な哲学者や文学者に頻繁に会っていたことだ。核兵器のもたらす悲惨な現実を目の当たりにして、科学者の果たすべき役割を考えていた時期と思われる。 日記を分析した専門家は、異分野の碩学(せきがく)との議論が湯川の思想形成に影響を及ぼした可能性を指摘する。本人の胸の奥は明らかでないが、いまの社会に大きな示唆を与えてくれる。 すなわち、科学者が自らの研究の意義や影響について、専門外の人と対話を繰り返し、広い視野を持つことの大切さだ。 原子力に限らず、科学技術は意図していなかった使われ方をする恐れが常にあり、人間を幸福にするとは限らない。 2012年に新たなゲノム編集技術ク
Samuel Bowles, Wendy Carlin 07 September 2017, VoxEu.org A new paradigm for the introductory course in economics サミュエル・ボウルス、ウェンディ・カーリン 2017年9月7日 VoxEU 現在用いられている経済学初級課程の枠組みは、1948年にサミュエルソンによって書かれた教科書を基としている。しかしこの初級課程は経済学それ自体の劇的な発達を反映した内容とはなっていない。例を挙げるなら、不完全情報の理論と戦略的相互行動理論、これら二つは経済学において欠かすことのできない革命的発展となるが、初級課程で積極的に教えられることはない。更に経済学は、気候変動、発明と革新、経済の不安定性、格差の拡大など、その時々に直面する社会問題に絶え間なく取り組んできた。これら公共政策と経済学の関わり
あけおめ(死語)。昨年は本当にろくでもない仕事が振ってきて、あまりのストレスで体重は一時5キロも減り (残念ながらその後リバウンド)、しかもそれが期間延長というトホホなことになって、秋に終わるはずが年内いっぱいかかり、ギリギリのところで何とか終えて、年末年始はほぼ脱力状態。おかげで去年はMake系のおもちゃもいじれなかったけれど、正月休みにそれをやるだけの気力もなくて、いやはやもう歳ですなー、なんか威勢のいいことをやるのも疲れたぜ〜〜 と思っていたところで読んだこんな話。 econ101.jp ほうほう、経済学の新しい枠組みね。 さて、ぼくは「従来の経済学ダメー」「新しい経済学だぜー」といった話にはあまりいい印象を持っていない。基本、学問ってある程度は単純化による理解なので、すべて入ってないというだけで批判したことにはならないと思う。ここに挙がっている表を見ても、わかってて単純化した部分に
これ、ドヌーヴへの反論という形だけど、ドヌーヴを支持する男への反論にもなってるね。 それも「男性は豚じゃない! 男性を野獣扱いするのはやめましょう!」って男性を持ち上げる風な言い方をして、 持ち上げられた側はどうしても「いや持ち上げないでください」って言いづらいから黙って聞いてしまうところに 「もちろん、豚じゃないんだからちゃんと人間らしく規律正しく己を制御できますよね」って要求を押し付けてくるかなり卑怯な論法してるな。 たとえるなら、まず昇進させて褒めて、それから「本当、あなたほどの人はその地位が正しい場所ですよ。ですからその地位に見合った義務と責任を果たしますよね? 果たせますよね?」って迫ってくる感じ。 律しがたい欲求を抱えてる奴の辛さを考えずに義務と責任を求められるくらいなら、豚ですブヒブヒ~! 豚だから難しいことわかんねえしメシと女よこせブヒ~!って言いたくなるわ。 そう考えると
実際はここ最近起きていることだと感じているけど、この両者の本質を理解できない限り100年戦争になると感じている。 第一に、化粧とは誰もがしていいものである。その自由がある。 第二に、化粧とは現代日本社会では女性のマナーとされている部分がある。 アニメ系オタクは…そもそもアニメ系オタクとする表現は正直間違っている。この場合は使いやすいだけで、そして圧倒的に数が多いだけでタイトルに使ったが、実際は『化粧にあまり力を注がない系のオタク』のことである。謝罪。 上記の一、二に反論する形で「限界オタク」などという言葉を使い「限界コスメ」などといい さすがに化粧にはどうなのかという商品(日焼けニキビを増すだけのニベア下地とか)を薦めたり、 化粧オススメ画像をパロディとする形でアニメやゲーム、食べ物を紹介する画像を作るのがバズっている(この言い方は古いか)。 このパロディはどのネタを見ても、奥底に感じるの
機械じかけのオレンジって何が凄いの? https://anond.hatelabo.jp/20180113204136 ここで書くこと『時計じかけのオレンジ』は凄いけど、聖書を読まない日本人にとってはピンとこないテーマを扱ってるので、「何が凄いの?」という疑問が生じるのももっともだ。という話を書く。 『時計じかけのオレンジ』のテーマは何か『時計じかけのオレンジ』のテーマは、キューブリック監督曰く、以下の通り。 本作のテーマは、自由意志の問題と関係がある。もし善悪の選択ができなくなれば、私たちは人間性を失うのではないか?タイトルが示すように、時計じかけのオレンジになってしまうのではないか? それってどういうこと?この説明を読んだとき、多くの人はもっともらしい顔をして「ふんふんなるほどね」と思うのだけど、その実ぜんぜん分かっていない。何故かと言えば、説明中の「自由意志」という言葉の意味が分かっ
架空の二次元キャラにどんな妄想をぶつけてもいいけど、現実に存在する人間である声優が結婚するだの付き合ってるだのの話で二言目には性生活に言及するのは確実にキモいし、そういう止めない限り一般人にキモオタ呼ばわりするなって言っても無理があるぞ
――本日は「市民社会」という言葉と概念、あるいは思想についてお聞きしたいと思います。この言葉の原語である〈civil society〉について、まずは教えてください。 英語で〈civil society〉という言葉が初めて使われたのは、日本で言えば安土桃山時代にあたる16世紀末のことでした。『オクスフォード英語辞典』(OED)は、英単語の語源や初出を具体的な文例で示していることで有名ですが、それによると、1594年に出版された英国教会派の神学者リチャード・フッカーの著書『教会統治法』に、この言葉が出てきます。 ところが、『教会統治法』を実際に読んでみると、この言葉が出てくるのは、じつは古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『政治学』からの翻訳語としてなのです。その際にフッカーが使用したと思われる『政治学』のテクストは、1438年にフィレンツェの人文学者レオナルド・ブルーニが出版し、その後ヨー
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く