イタリアでは労働許可や市民権の取得が厳しく制限されるなど、幾つもの要因が重なり、外国人労働者はいくら能力が高くても、良い職に就くことが非常に難しい。写真はミラノにあるレストランのキッチンで働く移民。4月26日撮影(2023年 ロイター/Claudia Greco) [28日 ロイター] - フィリピンで長年、高校の数学教師を務めたマリリン・ネーバーさん(49)は14年前、イタリアに移住してきた。ガリレオやフィボナッチを生んだこの国で、腕に磨きをかけたいとの希望を胸に──。
ただ無に帰するんだよ 「ふわふわのふわりんさ,妖精さんの光の粉だよ.存在しちゃいない.物質じゃない.元素表なんかに載っちゃいないんだよ.」――マーク・ハンナ 株式市場や暗号通貨市場の崩壊について,このところずいぶん書いていて,たまに,こんなことを言ったりする――「2021年後半のピーク時に比べて,想定元本の2兆ドル以上が,いまや消え去ってしまっている.」 すると,こんな質問が寄せられることがある.「その富はいったいどこに行ったの?」 一言で答えるなら,どこにも「行って」はいない.消失したんだ.存在をやめてしまったんだよ.とはいえ,そんなことを聞かされても,自然にピンと直観でわかる話じゃないよね.「なにがどうなれば富が消失してしまうなんてことが起こりうるのよ.」 そこで,今回の記事ではそのへんがどういう仕組みになっているのかを解説しよう.このあと読んでもらうとわかるように,これには政策への含
Twitterで「社会権力(ソーシャル・パワー)の四つの源泉」についてつぶやいたら、大量の質問が――異を唱える声もいくつか――寄せられた。Twitterは突っ込んだ議論をするのに格好の媒体とは言えないので、代わりにブログで詳細をまとめようと思い立った。以下の私なりのまとめは、マイケル・マン(Michael Mann)が『Sources of Social Power』(邦訳『ソーシャルパワー:社会的な<力>の世界歴史』)で展開している理論の修正版だと言える。マンが提示している枠組みは、いくらか修正を加えた上で、権力について研究している社会学者たち――例えば、ビル・ダンホフ(Bill Domhoff)――に広く受け入れられている。 まずはじめに問うべきは、(ワットで測れる物理的な力と区別されるところの)社会権力って何ぞや?ってことだろう。「他人の行動に影響を及ぼす力」というのが簡潔な答えだ。
我らは、相反する考えや感情を同時に抱く「アンビバレント派」なり。言い争う二つの陣営のそれぞれの言い分が理解できないわけではないが、無人地帯で身動きできずにいる。己の正しさを信じて疑わない大勢の者たちに両側から挟まれるようにして。我らは、自分の名前も言えない。真っ向から対立する考えを同時に信じていると告白しようにも、まともに取り合ってもらえないからだ。対立し合う候補者全員に選挙で一票ずつ票を入れることができないからだ。 アンケート用紙を隈(くま)なく眺めても、「私は、これらの見解(相反する二つの見解)のどちらにも同意します」という回答欄が見つからず、問いに答えないか、「わかりません」と回答するか、歯を食いしばって無理矢理どちらかの見解に賛成するしかないからだ。それゆえ、我らアンビバレント派の痕跡は、世の中に一切残らない。だからといって、どこにも存在していないというわけではないのだ。 アンビバ
トーマス・シェリング(Thomas Schelling)の訃報を耳にしてから、彼の著作を何冊か再読している。今日読んだのは、経済学の書の中でも私の一番のお気に入りのうちの一冊であり、学生にいつも薦めているあの本。そう、『Micromotives and Macrobehavior』(邦訳『ミクロ動機とマクロ行動』)である。タイトルからも察(さっ)しがつくだろうが、一人ひとりの行動(ミクロの行動)の合計がいかなる集合的な結果(マクロの結果)を生むに至るかが個々の間の相互作用を考慮に入れながら考察されている一冊だ。例えば、第7章――「ホッケーのヘルメット、サマータイム:二値選択モデル」――の冒頭では、ホッケー(アイスホッケー)の選手たちがヘルメットを自発的に被(かぶ)りたがらないのはなぜなのか――ヘルメットを被る方がずっと安全だと選手全員がわかっている場合でさえ――にメスが入れられている。 そ
(人種差別に向き合えない「白人の脆さ」がテーマになっている)以下の論文 [1]訳注;論文の著者は、ロビン・ディアンジェロ(Robin DiAngelo)。 … Continue readingは、既にお読みになったでしょうか? http://libjournal.uncg.edu/ijcp/article/view/249 この論文はダメでしょうか? ダメなのだとしたら、どこがどうダメでしょうか? 経済学にも批判的人種理論にも同じくらい興味を持っていて、どちらも突っ込んで勉強しようと思っている大学新入生の知的好奇心を掻き立てるように説明するとしたら、この論文のどこがどうダメなのかをどんなふうにして語って聞かせるでしょうか? この問いは、 「社会正義を志向する学術研究全般のどこがどう望ましくないのか?」というもっと大きな問いにもつながってきます。貴殿がこの件についてどっちとも取れる曖昧な感じ
本書は、歴史の専門家と地域の専門家が慣れ親しんでいる史料を繋ぎあわせ、〔1850年から1950年という〕この重要な100年間における国家の歴史について、一貫性のある考察を展開している。 ケンブリッジ(マサチューセッツ)の本屋でチャールズ・メイヤーの『リヴァイアサン2.0』を目にしたとき、当時近代国家の発展を学ぶ学生だった私は、当然のように興味をそそられた。 実際、『リヴァイアサン2.0』は、わざとらしくキャッチーでポップな歴史本的タイトルから受けた最初の印象よりも、はるかに独創的で専門的な本である。私が本書を重要だと考えている理由を、簡単にまとめさせてほしい(本書はこれまで、あまり注目を集めてこなかった)。本書はまさしく、1850年代から1950年代までの近代国家のグローバルヒストリーである。扱う範囲が野心的だと思われるかもしれないが、その通りである。しかしメイヤーの資料への理解力は高く、
マリオ映画公開記念!宮本茂さんインタビュー 制作の始まりから驚きの設定まで 2023.04.252023.05.06インタビュー 「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」日本公開を前に、本作のプロデューサー・宮本茂さんのインタビューが実施されました。 制作の始まりから深い制作秘話、マリオたちのアッと驚く秘密まで、どうぞお楽しみください。 ※映画の内容のネタバレはありません Profile 宮本 茂 任天堂株式会社代表取締役フェロー。マリオの生みの親として知られる。 任天堂とイルミネーションの共同制作、その密な関わり Q スーパーマリオの映画化における宮本さんの役割や、任天堂がどのように制作に関わっていたのかを教えてください 宮本: 本作は共同制作ですから、任天堂側も自分たちの制作物のひとつとして、スタートから「一緒に作りましょう」という形で始まりました。 配給のユニバーサル・ピクチャーズ
子供は、生育地域によって将来の収入や学歴に影響を受けるかもしれない。この論文では、デンマークでの難民家族の準ランダムな地域分布的自然実験を元に、該当地域での不良犯罪の水準が、子供の犯罪派生率にどのように影響を与えるかを調査した。子供は、不良が多い地域で育つと、男子は19歳までに犯罪を犯す可能性が、女子は10代で母親になる可能性が高まり、男女ともに経済的成果に長期的なマイナスの影響を与えることが判明した。 子供は、育つ地域の特徴によって、将来の所得や学歴に影響を受けるのだろうか? これまでの研究では、地域環境が、子供の将来所得や学歴に影響を与えることが示されている(Chetty et al.2016、Chetty and Hendren 2018、Fatemeh et al.2019)。 地域環境での犯罪が、10代の発達に与える影響は特に懸念されている(Deming et al. 2016,
ポール・クルーグマン(Paul Krugman)が『The Return of Depression Economics』(邦訳『世界大不況からの脱出』)で巧みな比喩を持ち出している。 講堂に備え付けてあるマイクとスピーカーは、フィードバック・ループの製造機だ。マイクに拾われる音は、スピーカーによって増幅される。そして、スピーカーから出る音もマイクに拾われて、スピーカーによって増幅される。講堂が音をあまり反響しない造りになっていて、スピーカーの(音量を調節する)つまみがそこまで右に回されていないようなら、音は増幅されずに徐々にしぼんでいくので、これといって問題は起きない。しかし、スピーカーのつまみがほんのちょっとでも右に回され過ぎてしまうと、音が爆発的なまでに増幅されてしまうことになる。ほんの些細な音でもマイクに拾われて増幅され、それがまたマイクに拾われて、瞬く間に耳をつんざくような爆音が
ブラッド・デロング(Brad DeLong)がロバート・ルービン(Robert Rubin)の新著『In An Uncertain World』(邦訳『ルービン回顧録』)を書評している。ルービンは、どうやら頭脳明晰な人物のようだ。これまでに一度も直接会えずにいるのが残念なところだ。デロングの書評の一部を引用しておこう。私のお気に入りの箇所だ。 時折眉を吊り上げて、ポツリとつぶやく。「その指摘は非常に興味深い。もの凄く重要だ。じゃあ、次はX氏の番ですね。彼が何を語るか、みんなで耳を傾けるべきでしょうね」。会議の間、それくらいのことしか口にしないのに、自分が望む方向に向けて全員の意見を集約させることができてしまえるのは、私が知る限りルービンくらいしかいない。 ルービンは、己の身に沁みついている「蓋然的思考」(“probabilistic thinking”)を強調してやまない。「他にどんなこと
この世の中には、二通りの国がある。お金(自国通貨)を刷って政府の借金を返す(国債を償還する)という手が使える国と、その手が使えない国である。カナダは前者の「使える国」であり、(ユーロを導入している)ギリシャは後者の「使えない国」だ。 どちらのタイプの国も借金を抱え過ぎてしまう(国債を発行し過ぎてしまう)と、トラブルに見舞われてしまう可能性がある。とは言え、「使える国」と「使えない国」では、見舞われるトラブルの質に大きな違いがある。「使える国」が見舞われるのは、「負のフィードバック」型のトラブル。その一方で、「使えない国」が見舞われるのは、「正のフィードバック」型のトラブル。何かよくないことが起きると、「正のフィードバック」は「負のフィードバック」よりもまずい結果を生むのが常である(反対に何かいいことが起きると、「正のフィードバック」は「負のフィードバック」よりも好ましい結果を生むのが常であ
時は2012年2月、ヘッジファンドのトレーダーらがどう見ても割安の値(ね)が付いているように思えるCDS指数――CDX IG 9――を見つけ出した。その指数に組み込まれている125社のCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)をそれぞれ個別に(125社分)買い集めるよりも、指数自体を買う方が安くつきそうだったのだ。瞬く間に金儲けできる機会がすぐそこに転がっていたのだ。その指数を買って、その指数に組み込まれている個別銘柄をどれか空売りする。すると、あれよあれよという間に、指数の値(ね)が上がるか、個別銘柄の値が下がるかする。決済を済ませたら、大きな儲けが手に入るというわけだ。 2月が終わり、3月が終わり、4月がやってきた。しかしながら、その指数の実際の値とトレーダーらが適正と見なした値との差は、広がり続けた。トレーダーらの上司は、口々に問い質(ただ)した。「とっくに値が上がっていてもいいはず
画像の出典:https://pixabay.com/ja/illustrations/%e4%ba%ba-%e4%ba%ba%e3%80%85-%e7%a4%be%e4%bc%9a%e4%ba%ba-%e6%99%82%e9%96%93-%e5%b8%82-246239/ 週末に、Radiolabのポッドキャストを聞いていた。私が聞いたその素晴らしい回では、ボブ・レヴィン(Bob Levine)が道を行き交う人々の歩行速度についてインタビューを受けていた。レヴィンによると、規模が大きい(人口が多い)都市ほど、歩行者の歩く速度が速い傾向にあるらしく、その傾向は驚くほど一貫しているとのこと。都市ごとの歩行速度の違いは一体何に由来しているのだろう? 聞き手役のジャドが投げかけている問いを繰り返すと、人が都市を作るのだろうか? それとも、都市が人を作るのだろうか? この方面の研究の先鞭(せんべん)
アセモグル(Daron Acemoglu)&ロビンソン(James Robinson)の言い分によると、権力を握る利口な少数者の手を縛ることはできないようだ。 ————————————【引用ここから】——————————————- “Shock Therapy on the Altiplano” by Daron Acemoglu and James Robinson: 1952年に起きたボリビア革命は、ドイツの社会学者であるロベルト・ミヘルス(Robert Michels)が言うところの「寡頭制の鉄則」の実例と見なせることを前回のエントリーで説明した。ミヘルスは、『Political Parties』(邦訳『現代民主主義における政党の社会学』)の中で次のように指摘している。 「社会は、支配的な・・・(略)・・・政治階級の存在を抜きにしては存立し得ない。支配階級を構成する要素(支配階級の中
アクトン卿のかの格言――「権力は腐敗しがちな傾向にあり、絶対的な権力は絶対的に腐敗する」――についてはよく知られているだろうが、権力を行使する人間だけが腐敗(堕落)してしまうかというと、そうじゃない。権力が行使されている様を傍(はた)から見ている人間(権力を持たざる多くの者たち)も腐敗(堕落)してしまうのだ。 権力には、「権力を持たざる者たち」の「権力を持つ者」に対する見方を変える力が備わっている。権力には、強大な権力を手にしている人物を実際よりも高潔であるかのように見えさせる力が備わっているのだ。権力を持つ者が誰かに批判されていると、権力を持たざる者たちは権力を持つ者についつい肩入れしてしまう。その誰かの言い分にはもっともなところがあると心の中で感じていたとしてもだ(権力を持つ者が女性であっても同じだろうと思う。たぶん)。 保守派の多くは、トランプ大統領よりも、ボルトン/セッションズ/マ
バルザックの『Père Goriot』(邦訳『ゴリオ爺さん』)の中で次のようなセリフが出てくる。「これという理由もなしに築き上げられた巨万の富というのは、犯罪がばれなかった証拠なのだ」。ブレヒト&ヴァイルの『The Threepenny Opera』(邦訳『三文オペラ』)では、金貸しがゆすり屋として登場する。金融業者や実業家について同様の見方に立っているのがライト・ミルズ(C. Wright Mills)の『The Power Elite』(邦訳『パワー・エリート』)である。一部の金融業者と一部の実業家――「パワー・エリート」――が冷戦下の1950年代のアメリカ社会を牛耳(ぎゅうじ)っていたというのがミルズの見立てだ。ミルズが浮き彫りにしている世の姿は、アイゼンハワー大統領が警鐘を鳴らした「軍産複合体」なるものよりもずっと暗澹(あんたん)としている。ミルズによると、1950年代のアメリカで
イギリスのマンチェスター大学で教鞭をとるアンドリュー・クロンプトン(Andrew Crompton)教授は、我々の距離感覚がどれくらい正確なのかを知りたいと考えた。 そこで自校の学生に協力をお願いすることにした。学生自治会が入っている大学の建物(A地点)を出発点として、そこからまっすぐ伸びている一本道を歩いていくと到着する場所(B地点)までの距離――A地点からB地点までの距離――がどのくらいあるかを、建築学部で学ぶ1年生から3年生までの学生140人に見積もってもらったのだ。学生であれば何度も歩いたことがある(あるいは、つまずいたことがある)道だ。 結果はどうだったか? その道を歩いたことがある回数が多い学生ほど、距離を長く見積もる傾向にあった。正確な距離は1マイルなのだが、1年生の見積もりの平均はおよそ1.24マイル。それに対して、3年生の見積もりの平均はおよそ1.45マイルだったのだ。こ
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・・・(略)・・・道を案内する方法には二通りある。いわゆる「主観的な地べた視点」(route perspective)で行き先を伝えるのが一つ目だ。一人称視点で空間を把握して、曲がり角だったり何らかの目印だったりに言及するのがその特徴だ。いわゆる「客観的な俯瞰(ふかん)視点」(survey perspective)で行き先を伝えるのが二つ目で、空の上から見下ろして指示を出す場合を想像してもらえばいい。方位(北、南、東、西)で向かう先を伝えたり、距離を正確に伝えたりするのがその特徴だ。 どっちがいいんだろうね? フント率いる研究チームは、ベニヤ板でミニチュアの町を作って、道案内を聞いた大学生がその町の中にある目的地に辿り着けるかどうかを調査した。すると、興味深いアノマリー(不思議な現象)が起きた。学生たちは、「主観的な地べた視点」で説明される方がわかりやすいと答えたのだが、「客観的な俯瞰視点
下りのエスカレーターに乗っていて、突然上に戻りたいと思ったらどうするだろうか? そのまま立ち止まってなんかいないし、歩いて上に戻ろうともしないだろう。クルッと体の向きを変えて、全速力で駆け上がる(あらん限りの力を振り絞って走って上まで戻る)だろう。 1年以上前になるが、マーク・ソーマ(Mark Thoma)が「凍った丘」の比喩を使って財政刺激策の是非を云々(うんぬん)していた。いい比喩だなと思って、これまでずっと頭に残っていた。しかし、ちょっと引っかかるところもあった。「凍った丘」という比喩にどこかおかしなところがあるんじゃないかと感じられたのだ(凍った丘の中腹で車のアクセルペダルを思いっ切り踏むなんてことは誰もしないだろう。タイヤがクルクル空回りするだけだからだ)。ソーマの言い分を引用しておこう。 財政刺激策は、車で「凍った丘」を登るようなものだと思う。最初の勢いが十分じゃないと、車を丘
ジョナサン・ホプキン(Jonathan Hopkin)&ベン・ロザモンド(Ben Rosamond)の二人――ホプキンはLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)に籍を置く政治学者で、ロザモンドはコペンハーゲン大学に籍を置く政治学者――が一連のエントリー(こちらとこちら)で、「政論版ウンコ」をテーマに興味深い議論を展開している。「ウンコ(な議論)」というのは、プリンストン大学の哲学者であるハリー・フランクファート(Harry Frankfurt)の用法に従うれっきとした専門用語〔邦訳『ウンコな議論』〕だ。嘘つきもウンコ吐きも(結果的に)間違いを語る点は同じだが、ウンコ吐きが嘘つきと異なるのは真実なんかには目もくれないところだ。ウンコ吐きの語る話は、世間の常識だったりタイラー・コーエンが「常識道徳」(common sense morality)と呼ぶものに強く訴える力を持っている。テレ
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