空に向かって無限に伸びるコンクリートの塔。大正11年に作られた無線塔が大変やばいビジュアルをしている。 この塔については以前(2005年の拙記事)にも書いたことがある。が、いかんせん凄さが伝え切れてなかった。というか実物のあまりの凄さに、これはもう一度ちゃんと伝えなければ!と思った。すごいことは何回言ったっていいだろう。
空に向かって無限に伸びるコンクリートの塔。大正11年に作られた無線塔が大変やばいビジュアルをしている。 この塔については以前(2005年の拙記事)にも書いたことがある。が、いかんせん凄さが伝え切れてなかった。というか実物のあまりの凄さに、これはもう一度ちゃんと伝えなければ!と思った。すごいことは何回言ったっていいだろう。
鉄川 与助(てつかわ よすけ、旧字:鐵川與助 1879年1月13日 - 1976年7月5日)は、長崎県を中心に多くのカトリックの教会堂建築を手がけた、長崎県南松浦郡魚目村(現新上五島町)出身の大工棟梁・建築家である。 1879年(明治12年)、長崎県の五島列島を構成する島の一つである中通島の青方村で、大工の棟梁である鉄川与四郎の長男として生まれる。幼少の頃、近郊の魚目村に移る。(いずれも現在は長崎県南松浦郡新上五島町) 有川高等小学校卒業後、家業を手伝うが、1899年(明治32年)、20歳の時に魚目村に曽根天主堂が建設された際、野原棟梁と出会う。野原はフランス人宣教師A・ペール神父の指導のもとで、当時数少ない天主堂建築を手掛ける大工であった。与助にとっては初の西洋建築との出会いでもあり、以後、野原のもとで修行を積むことになる。また、その頃の五島列島は、信者たちが天主堂建設を合言葉にするほど
東武伊勢崎線浅草駅(東京都台東区)のビルが、八十年前の姿に復元されることになった。外壁を改修し、百貨店併設ターミナルビルとして開業した当時の、重厚なネオ・ルネサンス(近世復興)様式をよみがえらせる。来週にも着工し、東武沿線に建設中の東京スカイツリー(墨田区)が開業する来年春の完成を目指す。 東武鉄道は改装の理由を「浅草駅は東京スカイツリーの玄関口となる。利便性を高め、一大繁華街・浅草のシンボルだったビルを復活させて活性化を図りたい」と話す。 東武によると、地上七階、地下一階の浅草駅ビルは一九三一(昭和六)年五月に完成。二階には東武線の始発駅が、「浅草雷門駅」(当時)として開業した。 同十一月には百貨店「松屋」が開店。日本最古といわれる屋上遊園地、関東初のエスカレーターも設置された。東京大空襲により内部は焼けたが、建物は残った。 七四年の改修時に全体をアルミ材で覆ったため、アールデコ調の外壁
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