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2007年7月22日のブックマーク (5件)

  • まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか

    「感情労働」時代の過酷 以下の「「感情労働」時代の過酷」の記事は現代の傾向を象徴しているのではないだろうか。 「感情労働」時代の過酷 (AERA:2007年06月04日号)  http://www.asahi.com/job/special/TKY200706050068.html 看護の領域などで知られる、「感情労働」という言葉がある。「肉体労働」「頭脳労働」と並ぶ言葉で、人間を相手とするために高度な感情コントロールが必要とされる仕事をさすものだ。・・・平たく言えば、働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められており、来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のことだ。・・・そしてここにきて、この「感情労働」があらゆる職種に広がり始めている。 ・・・「ひと相手の仕事は昔からあっただろうと、働く側の問題点を指摘する声もありますが、一概にそうではないと考えま

    まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか
    tinsep19
    tinsep19 2007/07/22
    先生、医者などは、教育する機械、医療する機械となる。こちらの要望を投げつけ、うまく処理してもらえればよい。しかし逆に失われつつある倫理観を過剰に担わされている。
  • めちゃモテ日本 - 内田樹の研究室

    CanCamの「ひとり勝ち」状態について、これまでメディア関係者から何度か訊かれたことがある。 「どうしてなんでしょうね」 そんなこと私に訊かれても。 しかし、ありがたいことに学の学生諸君には多くのCanCam読者がおり、彼女たちは当該雑誌と競合誌『JJ』や『ViVi』との記号論的差異について、世界でいちばん詳しい。 その中のひとりであるM村くんが、CanCam系ファッションの究極の目的であるところの「めちゃモテ」とはどういう状態を指すのか、というたいへん大胆にしてラディカルな問題提起をゼミでしてくれた。 こういうおいしい「現場ネタ」を寝ころんだまま拾えるのが女子大教師の特権である。 同僚の教師諸君の多くは教室で「学生に知識を教える」ということをされているが、私はできるだけ「学生から知識を教わる」ようにしている。 お給料をいただいてそれでは「やらずぶったくり」というか「盗人に追い銭」では

    tinsep19
    tinsep19 2007/07/22
    「みんなに愛されたい」というようなプリティなことが繰り返し表明されるのは、そうでもしないと生き残れないというくらいに私たちの社会がリスキーなものになりつつあることの現れ
  • なぜもはや「動物化」だけでは生きられないのか 1  「動物化」をめぐって その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    環境問題と「資−ネーション−国家」 たとえば環境問題を考えると、「資重視の対策」とは、日が進めるような技術革新である。環境の優しい製品を販売し、資は活発化し、環境問題も解決される。これが資中心の対策である。しかしこのような対策がうまくいっていないことは明かである。なぜなら、そんなせずにただ安い商品を売る方が儲かるからだ。国家的な補助政策があってかろうじて、成り立っている。 「ネーション重視の対策」とは、環境問題を欲望の対象とすることである。簡単にはダイエットブームのようなものである。事制限、運動は辛いがこれを、逆に流行りもののようにみせる。みなが求めているものとすることで、欲望の対象へ逆転する。これは少しずつ成功している。いまや「環境にやさしい」のかっこよさは、子供にまで浸透している。しかし強い欲望の対象までにはなりにくいのが、現実である。多様な趣向のコミュニティが乱立する中で

    なぜもはや「動物化」だけでは生きられないのか 1  「動物化」をめぐって その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    tinsep19
    tinsep19 2007/07/22
    アーキテクチャー化によって自由を触発して創発性を重視するリバタリアン的な自由は良いが、その裏でアーキテクチャーへの楽観的な信頼が隠されている。そして人間の持つ共同体への執着が軽視されている。
  • なぜもはや「動物化」だけでは生きられないのか 2  「動物化」をめぐって その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    予測可能性向上の閉塞 たとえば近代以前は、<環境>の影響が巨大だった。自然災害の猛威であるとともに、天の恵みのように豊かさも<環境>という巨大な力として作用されていた。このような時代では、とても一人では生きてはいけないので、集団性という助けあいが重要になる。それは、国家としてできあがっていなくても、ネーションとしての人間化=信頼の力学(愛着と排他の力学)が重要になる。うかつに資=自由に走れば、個人は環境に殺されてしまう。 しかし近代以降の工学化による技術革新は、<環境>の猛威への強力な対抗策となった。このために集団性という助けあいが重要でなくなる。むしろ資を活性化する個人の自由が重視される。そして集団性につながるネーション、国家が軽視される。 工学化とはなにかといえば、予測可能性を高めることだ。<環境>世界はなにが起こるかわからない予測不可能で不確実な世界である。工学化は、それを分析、

    なぜもはや「動物化」だけでは生きられないのか 2  「動物化」をめぐって その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    tinsep19
    tinsep19 2007/07/22
    環境問題も同じである。環境問題が意図するものはなにかといえば、<環境>は回帰してくる、ということだ。工学化によって乗りこえたつもりだったが、結局、環境問題として回帰してきた。
  • なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜウェブは資主義を越えていくのか 池田信夫「ウェブは資主義を越えていく」(ISBN:4822245969)を読んだ。書では、この野心的な題名の意味はなにかを経済学的に説明している。 資主義社会の前提は、資が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資家だから、資の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。P96 これによってITの世界では、資家と労働者を区別している「資」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことだできるようになった。「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれ

    なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    tinsep19
    tinsep19 2007/07/22
    効率的に高速に欲望を充足するようなコミュニケーション。それは情報が適切に伝達されたという意味ではなく、逆に適度に失敗すること、そこにコミュニケーションの楽しみが生まれるからだ。