高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日(1747年6月15日)[1] - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の武士、尊皇思想家。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。諱は正之、字は仲縄、号は金山・赤城山人[2]、戒名は松陰以白居士。 父は高山彦八正教、母はしげ。兄は専蔵正晴。妻はしも、後にさき。子に義介ほか娘など。 多年にわたる日記を残しており、吉田松陰はじめ、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人物である。また、二宮尊徳や楠木正成と並んで戦前の修身教育で取り上げられた人物である。三島由紀夫が強い関心を持っていたことでも知られる(他には、葉隠・神風連・三輪神社・大乗仏教・密教・陽明学)[3]。 上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市)の郷士高山彦八正教の二男として生まれる。先祖は平姓秩父氏族である高山氏出身