平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)の開会式を見た。開幕前から南北融和の押しつけにへきえきしていたためか、いつものように心から感動できなかった。南北合同チームの真冬のカーニバルのような行進も、平和の祭典のお題目にまんまとつけ込んだ国家元首の悦に入った顔が脳裏にちらつき、何だか偽りの平和のようにも見えてしまい、気持ちがめいった。 五輪が提唱する平和や融和という甘美な言葉は、世界中の権力者にとっても実に都合のいい甘い蜜なのだということを、平昌はむき出しのまま突きつけているようだ。この難題の答えを誤ると、平和の祭典はその力を失いかねない。金妍児さんが点火した聖火が、五輪の終わりの始まりを告げる灯でないことを、私は祈った。 26年前の2月、私はアルベールビルの開会式会場にいた。東西冷戦が終結し、ソ連が崩壊して初めて迎えた五輪だった。分断された旧ソ連の国々が一団となって五輪旗を掲げて入場し、ベルリン