「本質」という言葉を、みんな気軽に使う。オイラも含めてね。 そういう自分に気がついて、自己嫌悪に陥った。 いまや、「本質」という言葉にかつての重みはない。 本質の大安売りだ。デフレだ。 「本質を理解した」、と人が感じるとき、人は対象を単純化してとらえている。 人は、整理し、単純化し、要点を取り出すことができていないと、「分かった」という感じはしない。 しかし、本質自体が複雑なものごとがある。 本質を損なうことなく、整理し、単純化することのできないものごとがある。 たとえば、個別具体的な人間だ。たとえば、個別具体的な社会だ。たとえば、個別具体的な生命だ。たとえば、個別具体的な愛だ。たとえば、個別具体的なソフトウェアシステムだ。たとえば、個別具体的な惑星だ。たとえば、個別具体的な組織だ。 そういうものごとの、「本質を理解した」と人が感じるとき、そこには「理解」の衣を着た「誤解」があるだけだ。