タグ

ブックマーク / mb101bold.cocolog-nifty.com (27)

  • 「同和」という言葉をめぐって - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    当は専門家が語るべきだろうと思うが、今回の騒動で問題となった同和という言葉を中心に少しだけ。僕らの世代では当たり前でも、今の若い人たちはあまり知らないことなのかもと思うし、極めて党派的対立が強い分野なので、専門家ではない一般人がアウトラインを語る意味は少しはあるだろうと思う。 もともとこの言葉は被差別部落の環境改善と差別解消を目的とした事業を、差別によって立ち遅れていた生活インフラや都市環境を他の地域と同じような水準にすることで差別を解消しようという意味で同和事業と呼んだことから来ている(追記あり)。地方で個別に行われていたものが、69年、同和対策事業特別措置法として正式に立法化され国策事業になった。10年の時限立法だった。 多額な予算を投入する国策事業なので、どうしても利権ができる。で、その利権を巡るいくつかの騒動が事件となり同和利権という言葉ができた。一方で、部落解放運動の中で、大き

    「同和」という言葉をめぐって - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2019/10/09
    同和は「同胞融和」の略語。
  • ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 糸井重里さんの重さ

    コピーライターの時代がありました。言葉を武器に、ひたすら言葉が紡ぎ出す世界を付加価値にして、コピーライターという職業は時代の寵児になっていきました。いま思えば、それはバブルだったのかもしれません。その付加価値には、きっと広告が含まれていなかったのだと思います。小説家、詩人、作詞家、そして、コピーライター。言葉のプロフェッショナルを指向してはいても、それは広告のプロフェッショナルを指向してはいませんでした。 けれども、あの時代はそれでよかったのでしょう。それでもものが売れました。あの時代から少したって、つまり、バブルが崩壊する真っ最中に、私はコピーライターになりました。CIプランナーからの転身だったので、時代の寵児としてのコピーライターにはあまり興味はありませんでした。うまいコピーはうまいと思いますが、そこに憧れはなかったような気がします。 そんな中、これはまいったなと唸らせられたのは、糸井

    ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 糸井重里さんの重さ
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2018/08/30
    “「糸井は終わった」と業界ではよく言われていました。でも、そう言いながら、私たちは業界の中で「誰でもできること」に負け続けながら、その場をしのいでいました。ほんとうに終わったのは「広告」だったのではな
  • 『世界一のクリスマスツリーPROJECT』について僕が考えていたこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    僕がこのイベントを知ったのは少し遅くて、Twitterのリツイートで流れてきた例の「冷笑」ツイートを見て、なんか嫌な感じのことをつぶやいているなあ、何があった、と少し不可解かつ不愉快な気持ちになって、それから2、3日後のことでした。リツイートでおぼろげながら例のツイートの理由みたいなものが分かってきて、少し時を遡って調べてみると、通常のしくじりや、Twitterで起こりがちな派手で面白そうなものごとに対する異論反論、嫌儲をベースとした批判等とは違う問題の複雑さが次第に浮かび上がってくるように僕には感じられました。 僕が調べ始めた時には既に所謂「炎上」になっていて、大勢の方々がそれぞれの思いで批判の言葉を投げかけていました。マスコミ等で今も引用され、イベント運営側が批判に対する反論として使われる「木がかわいそう」という言葉は、この初期のツイートを指しているのだと思います。この言葉は「生活のた

    『世界一のクリスマスツリーPROJECT』について僕が考えていたこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2018/08/30
    西畠清順
  • [書評]『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』松本麗華(講談社) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    オウム事件から20年が経ちました。あの頃、私は六木にある広告制作会社に勤めていました。1995年3月20日の朝、いつものようにJR恵比寿駅を降りて地下鉄日比谷線の恵比寿駅へ向かおうとしたところ、駅の入り口に人だかりができていました。時間は記憶が定かではないけれど、確か朝の8時半だったように思います。どうやら地下鉄が運休していることのようでした。 「どうしたんですか」 「何やら中毒があって地下鉄が止まっているようなんですよね」 なぜ中毒で地下鉄が止まるのだろう。そんなことを考えながら、六木に向かうために都バスに乗ったことを覚えています。会社に着いてデスクワークをこなしていると、大阪に住む母から電話がありました。その頃、携帯電話は一般的ではありませんでしたので、正確には、会社に電話がかかってきたということです。会社に入って間もなくだったこともあり、正直、恥ずかしいなあという思いがありま

    [書評]『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』松本麗華(講談社) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 月見うどん - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    大阪にいたときは、月見うどんがきらいでした。 どうしてかって言うと、せっかくの澄んだ黄金色の昆布出汁のおつゆがにごってしまうから。おつゆに生卵が完全にまざって乳白色になるんですよねえ。あれがええんやんか、と言う方もいらっしゃると思うんですが、私はあれがちょっと苦手です。 同じような人がいるからなのか、大阪では、立ちいではなく、ちゃんとしたうどん屋さんには、けいらんうどんというものがあります。けいらんは、漢字にすると鶏卵。片栗粉でとろみのついたおつゆに、生卵をといたものを入れて、かき玉にしたものです。ものすごく熱くて、お口の中の皮がべろべろになるけど、あれは好き。生姜なんかも入っていて、寒い冬はいいんですよね。でも、月見うどんはどうも駄目。 なのに、東京では月見そば(東京ではなぜかうどんは頼みません)をよく頼みます。それは、なぜか東京の鰹だしの濃いめのおつゆなら、生卵がまざらないからなんで

    月見うどん - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2010/09/22
    この人の文章、食い物の話になると東海林さだおが降りてきてるような感じになるな。
  • 「あえて狙わないほうがいい」という時代 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    消費者が広告を見る目があきらかに変わって来たなあ。 そんなふうに思ったのは、思い返してみると、2000年を少し過ぎてからのような気がします。これまでも、メインストリームではなく、どちらかというと異端的な考え方を好んでしてきたので、それ以前から、なんか新しいやり方は探してはいたけれど、それは、例えば、Saatch & Saatchが提唱していたSMP(Single-minded Propsition)だったり、どちらかというとメッセージ開発の手法的な話が中心だったような気がします。私にとっての90年代は、そんな感じです。 SMP理論は、簡単に言えば、あるブランドがある市場環境に置かれるとき、そのブランドが持つ課題を達成するために必要なのは、つきつめると、たったひとつの短く強いメッセージになるはずだ、という理論で、その成功例としては英国の労働党から保守党へ政権交代を実現した"LABOUR IS

    「あえて狙わないほうがいい」という時代 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2010/07/29
    成熟した社会ってことか。インターネットが登場した時はこんなことになるとは全く思わなかったけど。
  • 新しくできた回転寿司屋さんで自由と多様性についてぼんやり考えました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    回転寿司が好き。 あまりほめられた嗜好ではないし、回転寿司が好きなんだよなあなんてことは人前ではあまり言わないけれど、まあ、好きなものはしょうがないよなあ。そんな感じの好きさ加減です。味もそこそこ、なにより手軽。ひとりものには、とてもありがたい存在だったりもします。あまりお腹がすいてないけど事を済ませたいなあ、でも牛丼は重いしなあ、なんてとき、さくっとべて出て行けるのも回転寿司屋さんのいいところ。それに、回転しててもお寿司なので、ちょっとした満足感や贅沢感も満たせますし。 回転する寿司なんて当の寿司じゃないよ、なんて意見もあるでしょうけど、ま、それでも回転寿司屋さんは多くの人に支持をされているわけで、回転寿司屋さんには回転寿司屋さんの挟持なんてものもあるのでしょう。 回転しない寿司と回転する寿司の違いは何か。そこらへんに回転寿司が支持される理由がありそうです。と、もったいぶって書くま

    新しくできた回転寿司屋さんで自由と多様性についてぼんやり考えました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2010/07/23
    あとで。
  • 餃子もたのもか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    夜10時頃の中野、18、9の娘さんとその母親らしき人が、とある中華料理屋さんの前でショーケースに飾られたサンプルを眺めておりました。地元の人ではなさそうで、どこかから用事で来ていたような感じでした。 きっと、夜も遅くなって、家でつくってべるのもじゃまくさいので、中野で夜ご飯をべて帰ろう、みたいなことなんでしょう。 「お母さん、タンメン。」 「じゃあ、私、五目ラーメンにする。」 「餃子もたのもか。」 「うん、たのも、たのも。」 とびきりおいしい中華屋さんでもなさそうなごくごく普通のお店でしたが、その餃子は、なんとも言えない幸せな味がするんでしょうね。

    餃子もたのもか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2010/07/05
    ちぇっ、こんな文章が結構心に沁みるって、年食ったのかもね。こういう短文、センスあるなぁ。さすがコピーライター。
  • 「大衆の原像」をどこに置くか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そもそも「大衆の原像」なんてものはないんだよ、幻想なんだよ、今の時代ではすでに失われたものにすぎないのだよ、という言い方もできるし、その立場に立てば「どこに置くか」という問いは無効になります。でも、私にとっては、この問題は結構切実だったりもします。 「大衆の原像」というのは吉隆明さんの概念で、戦後知識人の転向というコンテクストで使われた言葉です。知識人がその知識なり思想なりに「大衆の原像」を繰り込んでいかないと、その知識は大衆から乖離していくよ、ある政治集団なり、知識集団なりに閉じられてしまうよ、そうした思想はいかに高度であっても欺瞞でしかないんだよ、みたいなことです。大雑把な理解ですが。 吉さんにとっての「大衆の原像」のイメージ。自分や家族が今日を生きることができ、明日もまた同じように生きることを望む存在で、それ以外の政治経済や思想などについては無関心である、というもので、それは戦後

    「大衆の原像」をどこに置くか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 改札の前で若い女性が泣いていました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    とあるターミナル駅の改札。人の流れから、ほんの少し離れた場所。きっと恋人同士なんでしょうね。若い男女が人ごみにまぎれて、話し込んでいました。結構な人ごみだったのですが、人たちは、まわりにたくさんの人がいることがまったく見えていないようでした。 女性が泣いていました。きっと、別れ話か何かをしているのでしょう。 こういうシーン、改札前で何度か見たことがあります。私もそんなことを改札前でしたかどうかは忘れてしまいました。都合の悪いことは忘れるたちですので。 改札を通って、電車に揺られながら、どうして改札前なんだろうな、そう言えば、ドラマでは、港とか公園とかで別れ話をしているのをよく見かけるけど、実際に見かけるのはきまって改札前なんだよなあ、なんてぼんやり考えました。 ひとつの仮説です。 ほんとは別れ話はしたくなかったんでしょうね。楽しい事をして、いつものように、じゃあまたね、という感じでいこ

    改札の前で若い女性が泣いていました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2010/03/12
    なんか、うまいな。良い感じだ。Gayっぽいけど。
  • 「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    はてなブックマークでもたくさんのブックマークを集めていて(参照)、再び話題になっているようなので、久々に「タイプ別性格判断」というものをやってみました。ここ最近の話題の発信源は、このブログのエントリのようですね。 「世の中にはSとNの二種類の人がいる」My Life in MIT Sloan このブログによると、この性格判断に使われている理論は、MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)と言われるもの。ユングの理論の応用だそうです。 MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)とは E(Extravert:外向的)かI(Introvert:内向的) S(Sensational:直感的)かN(Intuitive:直観的) T(Thinking:論理的)かF(Feeling:感情的) J(Judgmental:断定的)かP(Perceiving:決

    「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • キャズムの超え方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    AppleからiPadが発表されました。 新しもの好きのPCユーザーにとっては、なんとも複雑な製品ですね。だって、タブレットPCでしょ、今までにもあったでしょ、って涙目で愚痴りたくなりそうな感じです。確かに薄くなって、解像度も上がって、きっと稼働時間も長くなって、OSも使いやすくて、ソフトも豊富。だけど、タブレットPCじゃねえかよ、なんて思っている人も多いのではないでしょうか。 iPhoneの時もそうでした。欧米ではBlackBerryがあって、日ではW-ZERO3がすでにありました。それこそ、ケータイとPCの融合は、Windows CEが先行していたはずです。モバイルコンピューティングに限って言えば、Windows CEの果たして来た役割は大きいと思います。思いますが、キャズムを超えられなかったのは、やっぱり事実なんでしょうね。iPodもそうですよね。Appleが初めてのシリコンオーデ

    キャズムの超え方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2010/02/01
    なんだかんだ言って、三歩後くらいになってしまっているのが現実だからなあ。三歩後じゃ駄目なんだよなあ。
  • ネットよりも新幹線のほうがすごい - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    大阪から帰ってきました。1泊2日。サクッと行って、サクッと帰れるのは、新幹線があるおかげ。会って、顔を見て、いろいろ話せばいろいろ安心できるし、時代が変わっても、このへんはずっと変わらないだろうな、と思います。 タイトルの「ネットよりも新幹線のほうがすごい」という言葉は、アメーバニュース編集長の中川淳一郎さんの新書「ウェブはバカと暇人のもの」にあった言葉です。この、タイトルに少し毒があるけれど、すごくいいです。基、新書は繰り返しは読まないけれど、このは、わりと何度もパラパラと読んでいます。 ウェブ2.0とか、プラットフォームの時代へだとか、コミュニケーション・デザインとか、いろいろ言われていますけど、このにあるようなことがベースになるものだと思います。ネットは便利だし、こうして私のような普通の人が、ブログでものが言えて、ブログを書く人たちや読む人たちとささやかなコミュニケーション

    ネットよりも新幹線のほうがすごい - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2009/10/12
    これは同意しないな。単に古くからあるってだけのもんでしょ。
  • 消えたのではなく、溶けた。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    一昨日、親しくさせていただいているあるカメラマンの方とゆっくり話す機会がありました。 私はその方の写真が単純に好きです。ブログを参照してもらえればわかると思うんですが、なんかまっすぐなんですね。こういう写真を見ていると、なんとなくね、批評の言葉というのが下品に思えてくるんです。こうだからいい、とか、ああだから悪い、とかではなく、ただ、ええなあ、と。そんな感じ。 以前、ご一緒させていただいた広告の仕事。長野県の上田市のロケ。 細い路地をロケハンしていたとき、突然、その方は立ち止まり、すっと息を吸い込んで、肩幅に足を開き、カメラを背筋を伸ばした目の位置に持っていって、息を止め、シャッターを押しました。私は、背後からその姿を見ていたんですが、一瞬、その方の存在が消えてしまったような気がしたんですよね。1秒もないくらいの、ほんの一瞬ですが。 うまく言葉にはできないけれど、その方の写真を見て、ええな

    消えたのではなく、溶けた。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2009/10/02
    カメラマンて不思議
  • 外資系広告代理店ブームが去って、いま思うこと。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    少し前に広告業界には、外資系広告会社ブームみたいなものがありました。フィー制の導入が叫ばれたり、アカウントプランナーという新しい役職が脚光を浴びたり、ストラテジーという言葉が流行ったり、マーケティング局がストラテジック・プランニング局になったりしました。また、クリエイティブエージェンシーもたくさんできました。フリーでもなく、クリエイティブブティックでもなく、クリエイティブエージェンシーというところが、この時代ならではなんですね。 クリエイティブの世界でも、いわゆるエンドラインという作法で作ったCMやグラフィックが、意識的な制作者たちから生まれてきました。エンドラインというのは、いわゆるキャッチコピー的なものではなくて、その広告の「テーマ」になる短い言葉のことを言います。その多くは、長尺CMの最後に置かれたり、グラフィックだと右隅のロゴの上に置かれたりするので、エンドラインと言われます。テー

    外資系広告代理店ブームが去って、いま思うこと。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2009/08/25
    「大阪方言はテキサスなまり」
  • レンタル日記とブログ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ブログができる前は、レンタル日記というサービスがありましたよね。というか今もありますね。「エンピツ」とか「さるさる日記」とか。 テキストサイト全盛の頃、「htmlとか書けなくても大丈夫。レンタルで気軽に日記を公開。」みたいなコンセプトで、知り合いにも使っている人がちらほらいました。おもしろいから使ってみたら、と誘われたりもしましたが、どうも日記というのがいまいち私にはピンと来ませんでした。今まで日記なんか夏休みの宿題でしか書いたことがないし、みたいな感じです。 そんな私が、もはやブロガーといっても何の違和感もないくらいな感じでブログを書いているのは不思議な気がします。Movable Typeが標榜していた「Personal Publishing System(現在はSocial Publishing Platform)」のPersonal Publishingの部分に、なんとなく、これいい

    レンタル日記とブログ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2009/08/17
    なるほど、SNSとBlogとどっちも書くけど使い分けてるわ。
  • TCCのこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    この話は一生書かないでおこうかな、と思っていたけど、そろそろいいかなと思う部分もあり、今ならルサンチマン風味を加えずに書ける気もするので書くことにします。TCC、つまり東京コピーライターズクラブのこと。 私は、TCCの会員ではありません。TCCに入会するには、年に1回行われるコピー年鑑作品募集の新人部門に応募し、新人賞を受賞しなくちゃいけなくて、私がTCC会員ではないということは、つまり、新人賞をもらっていないということ。 私の世代のコピーライターにとっては、TCC新人賞はコピーライターの登竜門的なところがあって、私も例に漏れず、TCC新人賞は大きな目標でした。確か、計8回ほど応募したはずですが、ノミネートが3回で、ついに縁がありませんでした。ちなみに、募集要項は、単独コピーライター作品(つまり複数のコピーライターがかかわっている仕事は除外)で、印刷だと5点必要。年に十数人が受賞します。

    TCCのこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2009/06/26
    なるほど。 そういう賞とか試験とか資格とかって学生以来とんと縁が無いな~。
  • 「それじゃ商売にならない」という言い方が好き - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    コピーでも、アートでも、デザインでも、レイアウトでも、絵コンテでも、企画でも、マーケティング戦略でも、なんでもそうですが、いろいろたくさん考えるけれど、その中で世の中に出るのはたったひとつだけ。しゃらっとテレビや新聞、雑誌なんかに登場する広告やプロモーションなんかの後ろには、たくさんの没アイディアが隠れています。能天気に歌って踊る、アホみたいなCMも、ほんとはけっこう苦労してつくっているのよねん、みたいなことを言いたいわけじゃなく、要するに、クリエイティブって「チョイス」だったりします、ということが今夜は言いたいのでした。 なんとなく英語で「チョイス」という言葉を使ってみましたが、つまりは、数多くのアイデアから選択をしているわけで、選択の裏側には「だめ、これはない」みたいなことがあるわけです。いわゆる「没」というやつですね。 アイデアを没にするためには、理由がいります。まあ、理由なく「没」

    「それじゃ商売にならない」という言い方が好き - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2009/06/02
    なるほどね。でも反論される余地もあるわな。それはいつもか。
  • 広告村の外に出てみる - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    それこそ20年近く広告村で飯を喰ってきて、社会人になってから広告しかやったことがないし、ゴールデンウィークの長い休みだというのに、広告のことをぼんやり考えたり残してきた仕事の企画書を書いたりしているような奴でもあるし、他にやりたいこともないし、今のところは、他のところでは飯は喰えないだろうなと思うので、まあ、広告村の住人としてはごくごく平穏に暮らせているのだろうなとは思います。 広告村。そんなものはないのかもしれないし、はてな村と一緒で、それは外部からの視線が定義するものにすぎないだろうけど、ほんの少し前までは、私が書いているような広告の話は、業界の中で流通していただけだったし、その中には、コピーライターの誰それが何したとか、広告村の住民でしか面白いと思わない話もたくさん含まれていて、ま、そういう村的な話の豊かさが、業界の豊穣さを計るメルクマールだったりもするわけで、「広告批評」という雑誌

    広告村の外に出てみる - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 最後からしゃべらんかい! - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    「じゃりン子チエ」でのテッちゃんとヤクザの会話。賭博場にて。ヤクザが、「警察対策のためにビスコ1枚を1000円で買って、それを掛け札に勝負をし、後に現金に清算する」というシステムをテッちゃんに説明しようとしています。 「ビスコ!?」 「知らんのか… ほら、クリームサンドのビスケット…」 テッちゃん、ヤクザの頭をどつく。 「なんの話しとるんじゃ。ワシ、カブやりに来たんやど!」 「そやから、ワシらカブでビスコの取り合いやるんや…」 テッちゃん、またまた頭をどつく。 「こいつ〜〜 死ぬ気で冗談ゆうとるなあーー!」 「た…頼むから、最後まで聞いてくれ。頭もたん」 「最後からしゃべらんかい!」 これ、そのまま企画書なんかのビジネス文書やメール、電話に応用できますね。ベテランの人にとっては当たり前の話でしょうが、春に入ったばかりの新人さんは、このテッちゃんの台詞「最後からしゃべらんかい!」を覚えておく

    最後からしゃべらんかい! - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2009/04/10
    じゃりんこチエ