勝海舟は江戸幕府の幕臣として活躍し、特に江戸城を無血開城したことでよく知られています。勝海舟が早期停戦と江戸城の無血開城を主張し、和平交渉を行なったことで江戸の住民150万人の生命と家屋・財産が戦火から救われたのです。もし、勝海舟が江戸城の無血開城を主張せず、血気盛んに江戸幕府が籠城して徹底抗戦していたとすれば、今の日本はなかったかもしれません。 そんな勝海舟のライバルが負山舟です。どう読めばよいのでしょうか。よくわかりませんが、とりあえずみなさん適当にお読みいただければ結構かと思います。勝海舟が江戸城の無血開城を主張したのに対し、負山舟が江戸城の流血閉城を主張したのです。 ちなみに、勝海舟は子どもの頃に狂犬にキンタマを噛まれて死にかけています。負山舟もバター犬にちんちんを噛まれて死にかけています。そんなトラウマを抱えたライバル同士でしたが、徳川慶喜は勝海舟を重んじ、負山舟を軽んじました。