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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/naoya_fujita (21)

  • SF表象におけるサイバースペースと宗教性(メモ) - the deconstruKction of right

    とあるところに書いた原稿のアウトテイクです。ゼロアカ三次論文「非現実の祝祭」で考えていた、SF・文学とインターネットにラインを引くという構想の続きとして書かれたものです。ただ、あまりに知識不足などのため、構想自体が全く止められている状態であり、この文章自体はあまりにも文章がひどいので、没原稿だとお考えください。この方面で物事を考えていますよというアピール程度にご覧ください。「SFとインターネット」に関しては、いずれもっときちんとした形で調べてきちんとした原稿にしたいと思っております。 ・SF表象におけるサイバースペースと宗教性 サイバースペースと宗教性は、従来のSF的想像力の中でも近しいものと表象されてきた。ウィリアム・ギブスンのサイバースペース三部作二作目『カウント・ゼロ』は、サイバースペースに多神教的なヴードゥーの神々が現れるものであったし、士郎正宗『攻殻機動隊2 MANMACHIN

  • ゼロアカの優勝者が村上裕一くんに決まりました - the deconstruKction of right

  • システム改変的想像力の作品群 - the deconstruKction of right

    今、最後までこの記事を書いて、結構熱い文章だったのに、操作ミスで文章が全部消えて、マジでテンションがなくなっている藤田です。講談社BOXさんにご恵投いただいた至道流星さんの流水大賞作『雷撃☆SSガール』を読んで、現代における「システム改変的想像力の作品群」の重要性について延々書いていたのですが…… 仕方ないので、要点だけもう一度書き直すことにします。 現代において、エンタテイメントの想像力が、セカイ系からバトルロワイヤルのモードに変化しており、それは社会を反映しているのだというのが、宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で提示した見取り図であった。そしてそのバトルロワイヤルの「決断主義」の時代において、それをもたらした小泉改革のような新自由主義の政策自体は不可避だと捉えた上で、小さな共同体を作り、そこを新自由主義的なもののバッファにするという『ラストフレンズ』を代表とするような作品を、宇野は「生き

    システム改変的想像力の作品群 - the deconstruKction of right
  • 限界ザクティ革命 - the deconstruKction of right

  • 批評の生成力をどう考えるか - the deconstruKction of right

    今、批評と生成力を巡って軽い論争が起こっています。『Xamoschi』に執筆していただいた佐々木寛太郎さんの意見に対し、kenzee氏が反論したのがきっかけ(kenzee氏のこの一連の記事全体は興味深いものではあります) (kenzee氏の発端) http://bungeishi.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/ee-jumpj-pop-pa.html (佐々木さんの反論+藤田のコメント) http://d.hatena.ne.jp/h_sasaki/20090529/1243628975 (kenzee氏の再反論、ゼロアカ全体について) http://bungeishi.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/kenzeepart5-1b4.html的に僕のゼロアカでのスタンスは佐々木さんのところのコメントに書いたとおり、「批評」

  • 『社会は存在しない』に論文掲載します。 - the deconstruKction of right

    予告していた佐藤友哉論文、「セカイ系の終わりなき終わらなさ――佐藤友哉『世界の終わりの終わり』前後について」、が、限界小説研究会編の『社会は存在しない』に掲載されて6月(予定)に出ます。この論文が書きたくて佐藤さんに会いたいという欲望から、ザクティ革命が始まったのです。来『Xamoschi』に入れるべきであったでしょうか。佐藤友哉を通し、何故セカイ系は北海道を舞台にするものが多いのか、という問題に答えようとしています。過去の佐藤友哉論文と比べても、総合的な佐藤友哉論になっているのではないかと思います。 個人的な思い入れを語れば、実はこれは商業媒体でまともな枚数で書く、デビュー論文以来の論文でした。(「ひぐらし」論とは書いた時期と掲載が前後しています)これがうまく書けないと、自分はもう終わりかもしれないと思いながら必死に書いたものです。だから割と実直な文学研究的なアプローチをしています。ゼ

    tokada
    tokada 2009/05/29
    限界小説研究会編 笠井潔/小森健太朗/飯田一史/岡和田晃/小林宏影/佐藤心/蔓葉信博/長谷川壌/藤田直哉/渡邉大輔
  • 円城+円堂+</etml End> - the deconstruKction of right

    tokada
    tokada 2009/03/25
  • GEISAI決定! - the deconstruKction of right

    tokada
    tokada 2009/03/08
  • 荒木飛呂彦『ストーン・オーシャン』 - the deconstruKction of right

    忙しいんだけど、なんか書きたくなったので。『ジョジョの奇妙な冒険』の中で、一番気になっているのはやっぱり6部だった。ゴシックホラーのような1部、2部の完成度、スタンドが登場する3部の達成感、4部のポスト感、5部のスリリングさなど、一応「物語」として分かりやすい5部までと、6部は何かが明らかに違う。何が違うのか。自分でもよくわからないままに最終巻を何度も繰り返し読んだりもしていた。『ユリイカ』の特集で6部論を書かれた吉田アミさんとも6部が一番気になるという話をした。そこで、なんで6部が気になるのか、自分なりに考えてみた。 6部は簡単に言うと、3部の主人公承太郎の娘、ジョリーンがハメられて刑務所に入り、脱獄し、そこの神父がディオの骨から生まれた緑色の赤子の能力を得て、宇宙を一巡させる、という話である。何が気になるのか。端的に言って、「緑色の赤子」と「宇宙一巡」の異様さである。緑色の赤子は、近づ

  • ラルク・藤田対談3 - the deconstruKction of right

    知っている人は知っている、ご存知くだらない番組の3を撮ってきました。よっぽどお暇な方以外、つまり、まじめな文芸評論家としての僕に興味がある人はごらんになっても仕方がないと思います。(そういえば、ちゃんとした長めの評論が近々出ます。確定したら告知しますのでよろしかったらご覧ください)ただの余興ですが、一応告知しておきます。そういえば、2月25に阿佐ヶ谷ロフトでゼロ年代批評nightというのをやるのでした…… 生ラルク・藤田対談は実現するのだろうか。これから打ち合わせしてきます。ではでは。 ラルク・藤田対談3 第一部 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5969313 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5969337 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5969352 http://www.nicovideo

  • 虚構から現実へ その1――暴力はいかなる場合に許されるのか? - the deconstruKction of right

    2008年まとめ。かつ、2009年はじめに来るべきエントリを二回に分けて書こうかと思います。今、年末なのに一人ぼっちで、とある方にいただいた非常に美味しいワインでしこたま酔っ払っているのでおかしいことを書くかもしれません。そしたらエントリが消えてもキャッシュで漁らないで下さいw さて、「東浩紀と池田雄一の論考が虚構と現実をテーマにしていて面白い」というので、さっそく文学界一月号を読んでみた。確かに面白い。対比も明確だ。東さんは、虚構の中の唯一性、シミュラークルの中のアウラ、の話をしており、池田さんはスペクタクル(虚構)の実体化、という話をしている。似ている論旨で全く逆の結論(しかし、それは同じなのかもしれない)が出ているのが非常に面白かった。これはこの両者の「政治」への態度の違いを表している感じもして、象徴的である。 さて、2008年。個人的に振り返るのと、世相が混ざるが、僕がやってきたの

  • 東氏より連絡 - the deconstruKction of right

    http://d.hatena.ne.jp/toled/20081212/p1 で起ころうとしている授業突撃祭りですが、「大人数でくるのは大学的にまずい」「事務に連絡することになる」と東氏が仰っておりました。とりあえず、僕は連絡役としてここで報告しますが、そのことに特に意味はありません。偶然連絡が取れて今PCが使えるので。ご了承ください。

  • クリストファー・ノーラン『メメント』 - the deconstruKction of right

    『ダークナイト』で今最も注目されている監督のひとりになっているノーランであるが、ノルウェー映画のリメイクである『インソムニア』やプリースト原作の『プレステージ』などの注目すべき作品をいくつも撮っている。気になったので、二作目の出世作『メメント』を見返していた。 僕は、この作品は、現代における人々の基的条件を表している作品だと思っている。ものすごく高く評価している。あらすじはというと、短期記憶しかもてない男が、メモを頼りに、を殺した男に復讐を図るというものだ。ここから先はネタバレの連続になるので、見てない人は読まない方がいい。実際に見て驚いた方がいい。常に忘却に教われる中で、オーソライズも不確かな文字情報と写真だけで物事を判断する。そして復讐すべき相手の「事実」(FACTS)は身体に刺青で彫られている。 この主人公は、とある事件以前の記憶は確かに持っている。それ以降の短期記憶がもてない。

  • Digra JAPAN講演『同人ゲームの潮流?〜「ひぐらし/うみねこのなく頃に」に見るコンテンツとコミュニティ〜』レポート+『謎の解像度』 - the deconstruKction of right

    ミステリ/音楽評論家の円堂都司昭さんに言及いただきました。http://d.hatena.ne.jp/ending/20081030/p1 法月綸太郎さんの『ふたたび赤い悪夢』などに対するキング・クリムゾンの影響や、シド・バレットなどにも言及しながらミステリを評論されている円堂さんが「符牒」に気づいてくれて、まさかそこまで意図を見ないだろう、という、ネット(projeKct live)からスタジオへ(紙媒体)へ練り上げる、など、裏の意図を察知してくださって、非常にうれしかったりします。 今回の竜騎士07さんとBTさんの講演も、かなり円堂さんと近い。円堂さんは、基的に、空間やテクノロジーの変化から人々の変化を音楽やミステリを通じて解読するやり方で、畑違いながら、ひそかに、やろうとしていることが近いと思い、参照させていただき、先輩として尊敬させていただいていました。『謎の解像度』はその竹

    Digra JAPAN講演『同人ゲームの潮流?〜「ひぐらし/うみねこのなく頃に」に見るコンテンツとコミュニティ〜』レポート+『謎の解像度』 - the deconstruKction of right
  • 「批評と小説をめぐる十時間連続公開シンポジウム」感想 - the deconstruKction of right

    徹夜で夜勤してそのまま行ったので、むやみに眠く、最近風邪気味で若干思考に「すいませんモード」が入ってきており、多大な迷惑をかけている方々や、力を貸してくださった方々とお会いし、「生まれてきてすいません」という感じになる。そんな感じで言ったので、多少解釈バイアスがかかっているかもです。こんな豪華な面子が集まっていて、それを集めた早稲田文学の方々の苦労も多少は理解しているうえで、僕は僕なりの正直な感想を書こうと思う。 なんか、僕は、微妙に、見ていて歯噛みしたというか、歯がゆかったというか、「これなら東スレのガチの論争の方が面白くね」とか思ってしまった。それはガチとスピードに慣れているからだと思う。出版、批評、書評、全ての論争の裏に、前田氏と東氏は「ニコニコ動画」や「ブログ」や「アマゾン」の話をしていたが、僕には自明の後者を、いまだ遅れている、遠い、前者の世界に言葉を届けるという儀式だった、とい

  • 動物化論再考 - the deconstruKction of right

    東浩紀スレッドに書き込んだものですが、ちょっと僕の考え自体がモロでてるのでこっちにも書いておきます。 そのラカン理論の「享楽」がやっぱポイントだと思います。それが無限にたどり着かない消失点として機能するのは理解しているのですが、そしてしろうとさんもそれと資主義のつながりを示唆していますが、僕のデビュー論文はまさにその「消失点」と資主義について考える論文でした。 そこで「無限」について考察したのですが、非ユークリッド幾何学では、平行線の果ての点は交わるし、空間内に存在する。平行線と言うものを想定できる時点で、それはユークリッド的な世界観じゃないですか。それは近代ですよね。つまり、非ユークリッド的世界観ですと、「享楽」は消失点、つまり存在しない点ではないんです。それに、「無限」がそもそも存在するのか、という点なども、集合論とかを参照して考えたのですが、「無限は存在しないよ派」とか「直観論理

  • ロスジェネシンポジウムレポート - the deconstruKction of right

    というわけでフリーター論壇vs東浩紀という、僕が行かないで誰が行くんだというシンポジウムを、ハートの講演会やパーティなどを蹴って、行ってまいりました。会場で昼間さんと文尾さんと出会っていろいろ話をしました。まぁそれはともかくレポートです。今回はかなり省略して書いています。相も変わらず人の発言と違う場合がありますので、ご注意ください。 第一部 浅尾、雨宮、増山 雨宮:(加藤について)自殺願望とセットになった殺人願望を書いたメールはずいぶん届いてる。 増山:性欲が殺気立っている気がする。性風俗の充実に国が保護を出して3000円で女を抱けるようにするべきでは。 雨宮:構造が見えないと苦しい。敵が見えないと。 増山:怒ることにした。文句言うことにした。もっと怒っていい。 浅尾:勝谷は(若者は)蟹工船で働けといった。 雨宮:精神論でぶったぎるのは恥ずかしくないのか。 増山:勝谷さんや宮家さんは

    ロスジェネシンポジウムレポート - the deconstruKction of right
  • ゼロアカ道場第三回課題 - the deconstruKction of right

    「東浩紀のゼロアカ道場」第三回関門内容 ゼロアカ道場の関門をすべて突破したあと、あなたが講談社BOXから出版したいと考えている著作の内容を要約せよ。 そして同時に、その書籍がいま(2008年5月)出版されたと仮定し、あなた以外の架空の執筆者による好意的あるいは批判的な書評を作成せよ。 著作の要約は10000字程度、書評は5000字程度とする。 という課題なんですが、提出前なんですが、叩いて欲しいのでブログにアップしてしまいます。スタンドプレイオッケーと仰っていたので多分問題ないと思います。ほぼ丸三日家に引きこもってぎりぎりに書けました。これで勝負できるだろうか。 修正してみた。 6/14 さらに修正 ゼロアカ道場第三回課題             藤田直哉 非現実(バーチャル)の祝祭(カーニバル) 悪というのは文学の重要なテーマであり、安吾には善と悪を分けて考えようとするところがなかった。

  • 思想地図シンポジウムレポート - the deconstruKction of right

    当だったら昨日即アップする予定でしたが、筑波批評社のみなさんと合流し、ゼロアカ参加者と混ざって朝まで飲んでしまったので朝帰りだったのと、量が膨大なので、寝てしまいました。今もノートを見ていて呆然としています。どうせ思想地図の2号に載るからいーだろとかとも思うのですが、はてな民や東浩紀スレッド住人が喜ぶだろうということを考えると、こんな無駄な作業をしてしまいます。偉大なり、ブックマーク欲しさの欲望(笑)正直言って、むちゃくちゃ面白いシンポジウムでして、僕が行った中でひょっとすると一番面白かったかもしれない。ノート10枚分ぐらいあるメモをほぼそのまま書いてしまいます。実際の発言と違う場合もありますのでご注意ください。 思想地図シンポジウム「公共性とエリート主義」姜尚中、宮台真司、鈴木謙介、北田暁大、東浩紀 打ち合わせで超盛り上がってるらしい。 北田(敬称略。すいません)の基調報告 (最低限の

  • 武田将明「囲われない批評――東浩紀と中原昌也」 - the deconstruKction of right

    群像新人文学賞評論部門受賞作、武田将明氏の「囲われない批評――東浩紀と中原昌也」を読んだ。実はこの二人は、僕が個人的にもっとも敬愛していると言ってもよい文芸評論家と純文学作家であるために、受賞作決定のニュースを見たときに「やられた」と思ったものでした。そのために並々ならぬ関心を持って読み始めたのでした。 内容は大きく分けて三つ、東浩紀「ソルジェニーチン試論」論、中原昌也「点滅」論、そして批評論、この三つが「確率」という「事実性」をブリッジにしてつながっていく。むしろ、批評がどう可能であるのかを問うためにこそ東と中原が召還されているかのようだ。 「ソルジェニーチン試論」の矛盾を炙り出す読みの手腕はすごいと思った。「論理的な体裁の文章に、ノイズのように非論理が軋みをたてている」。これを東のデビュー作に見出す。「しかし注目すべきは、この最初の論文において、東浩紀はある種の批評がむしろ非論理を志向