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ブックマーク / www.honsagashi.net (220)

  • 『吾妻ひでお原画展』:迷走する天才の独自性の深まり/行動記録および収穫物

    【行動記録および収穫物】 行動記録および収穫物。一昨日は夜、錦糸町の東宝シネマズでスタジオジブリを取り上げた砂田麻美監督のドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』を見たことは昨日お伝えした通り。その際、映画プログラムを購入。600円という大変良心的な値段。最近、映画ビジネスもこういうところで稼ごうという姿勢があるが、良心的なビジネスを展開した方がまたみたいという気持ちにさせてくれる。正直、もう二、三回見てもいい感じなのだが、忙しいのでいつになることか。 昨日はお昼頃池袋の西武ギャラリーで『吾ひでお原画展』を見た。その時買ったのがトートバッグとクリアファイル。私は吾さんの美少女キャラ自体のファンではないのでそういうものではなく不条理ギャグ系(すでにギャグかどうかすら怪しいものも多いが)のものを好むのだが、このトートバッグの『静かな湖畔』の輪唱に連れて人間がダブルトリプルになっていくと言うネ

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    toki 2013/11/26
    『吾妻ひでお原画展』:迷走する天才の独自性の深まり/行動記録および収穫物 "Feel in my bones" ブログ書きました
  • 『夢と狂気の王国』は、「特別なアニメ」たちを生み出す「ありのままのスタジオジブリ」を描いた傑作だった

    【『夢と狂気の王国』は、「特別なアニメ」たちを生み出す「ありのままのスタジオジブリ」を描いた傑作だった】 忙しい中で、なぜかたまたま行きたい企画、見たい映画が何もあるという事態に。その中で、昨日は錦糸町へ砂田麻美監督『夢と狂気の王国』を見に行き、今日は池袋へ『吾ひでお原画展』を見に行った。 今日は、『夢と狂気の王国』の話を。 『夢と狂気の王国』は、スタジオジブリを舞台にしたドキュメンタリー映画。デビュー作の、自らの父の死をドキュメンタリーで撮った『エンディングノート』で脚光を浴びた34歳の砂田麻美監督が、2012年から今年にかけてスタジオジブリに密着してカメラを回し、スタジオジブリの空気感のようなものを描き出した作品。 今年夏の宮崎駿監督の『風立ちぬ』、今まさに公開の始まった高畑勲監督の『かぐや姫の物語』と重なったために、きっと多くの人が見に行くだろうと思っていたのに公開される映画館の

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    toki 2013/11/25
    『夢と狂気の王国』は、「特別なアニメ」たちを生み出す「ありのままのスタジオジブリ」を描いた傑作だった "Feel in my bones"
  • 心の動かし方

    【心の動かし方】 やることがたくさんあるのに心がうまく動かないときというのがあって、それをうまく動かすにはどうしたらいいんだろうと思うのだけど、基的にはまず心を澄ますことなのだと思う。 心を澄ますための作業というのはいろいろあるのだけど、いま一番習慣になっていてとりあえずうまくいくのが『モーニングページ』を書くことだ。これはジュリア・キャメロンの『アーチスト・ウェイ』という(邦題は『ずっとやりたかったことを、やりなさい』で紹介されている方法なのだけど、とにかく毎朝3枚、心に浮かぶことを何でも書きとめる、という方法だ。私は1ページ200字の縦書きの原稿用紙掛けのノートを使って、最低3ページ、つまり最低600字書くことにしている。 朝起きて寝床の中で心が開いた状態になっているときはなるべくそのまま浮かんできたことを寝床の中から直行してノートに書くようにしているのだけど、やはりトイレに行った

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    toki 2013/11/24
    心の動かし方 "Feel in my bones" ブログ書きました
  • 自分がものを作る時のイメージ

    【自分がものを作る時のイメージ】 自分がものを作る時のイメージは、と言ってもいつもそうなるというわけではないけど、ひとつの典型的なイメージは、「0が±1になる」というイメージだ。なるべく心を無にする。身体の緊張を抜く。瞑想のイメージ。身体の状態をなるべく自然な感じにする。身体の中から出て来る動き、身体の奥底、心の奥底の中から出てくる言葉、イメージに耳を傾ける。それがふっと面白いと思ったときに、言葉を書きとめる。それは0が揺れて±1になるイメージ。もうずっと以前になるが、『ホーキング宇宙を語る』を読んでいて不確定性原理からゼロはゼロと定めることはできない、という文を読んだ時から、無は有を生む、ゼロはもっとも豊饒なイメージの宝庫への扉なのだという意識を持った。 だから意識をニュートラルにするというのは、数直線上の0の点、あるいはガウス平面上の原点に置くということで、そこに意識を置いているとおの

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    toki 2013/11/23
    自分がものを作る時のイメージ "Feel in my bones" 再送
  • 聖地巡礼

    【聖地巡礼】 今日は朝からちょっと変な感じがあったのだが、何が変なのかが良くわからなかった。なかなか起きられず、起きたのは7時で、布団を畳んだりして少し動いてからモーニングページを少しだけ書き、気温を調べるとマイナス0.8度。寒いからだ、ということはわかった。自室のごみをまとめ、車で職場に出かけてごみを出す。どうも踏切や信号にいちいち引っ掛かるのがいらいらする。『週刊漫画タイムズ』を買いに市役所の横のサークルKに行ったら置いてなかった。売り切れかもしれないが。仕方ないのでお城の横のサークルKまで行って買った。気分を変えようとお城に上り、お城の写真を撮って携帯百景にアップ。そのまま部屋に戻るともう朝の時間だった。鯉に餌をやってから朝。 朝後、草を刈りに上の畑へ。草刈りはだいぶ進んできたのだが、斜面になっている部分が多く、どうやって刈ろうか場所を変えるたびに考える。少し太い灌木もあるので

    聖地巡礼
    toki
    toki 2013/11/22
    聖地巡礼 "Feel in my bones"
  • 教養とは何かについて仕切り直して考えてみる

    教養とは何かについて仕切り直して考えてみる】 教養というテーマで何回かブログを書いて、まだ書き足りないことがあると思い、月曜日の朝に続きを書いた。 ・学問の目的が教養から専門に変化したことによって、扱われているものも生きるための「知」か生と直接関連性のない「情報」に変化したこと。 ・学問というのは来、人生の指針を与える力を持っているとともに人生をも狂わす魔的な力も持っていたということ。 ・自分が卒業後も学問にこだわりを持ち大学院へ生き直したのは自分の生の目的を求めてであったこと。 ・学問や教養というものは来東寺曼荼羅やカトリック教会の内陣のようなゴージャスなものであったはずなのに、なぜ優秀な若者たちがオウム真理教のようなチープでキッチュなトリックにはまってしまったのかということ。 ・人間性の内奥に迫る人文系の学問の院生が集まる研究室で、なぜ研究の話題でなく「エヴァンゲリオン」に固執す

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    toki 2013/11/21
    教養とは何かについて仕切り直して考えてみる - ブログ書きました
  • 「フリック入力」と「人はなぜ新しいものにトライすることをやめてしまうのか」

    【「フリック入力」と「人はなぜ新しいものにトライすることをやめてしまうのか」】 月曜日、ポール・マッカートニーの公演に出かける前に書いていた教養についての文章をブログにアップしようと思っていたのだけど、今打ち直して見ると論旨があまりにもあっちこっちに言っていてまとまっておらず、とりあえず内容を考え直してみることにした。で、ブログとしてアップする文章がなくて困ってしまった。 毎日モーニングページを書いているので、今朝書いた文章もあるのだが、これを読んでみるとなんだかすごくトリップしている系の文章になっていて、前提なしでアップ出来ないなと思う世界になっている。 で、それなら今日は、ここ数日書こうと思って書いてなかった、iPhone(やスマホやタブレット)のフリック入力について書いてみようと思った。 フリック入力というのは、知っている人には常識であることだと思うが、私は全然認識していなくて、こち

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    toki 2013/11/20
    「フリック入力」と「人はなぜ新しいものにトライすることをやめてしまうのか」 "Feel in my bones"
  • ポール・マッカートニーを聴きに東京ドームへ行った:むしろ若い人たちにこそ見てもらいたいステージだった

    【ポール・マッカートニーを聴きに東京ドームへ行った:むしろ若い人たちにこそ見てもらいたいステージだった】 昨日はポール・マッカートニーのジャパンツアー、東京ドーム公演の初日に行った。 早めに家を出て東京駅の丸善で時間を潰したり腹ごしらえをしたりして、6時前にドームに到着。すでに大群衆になっていて、パンフレットを買うのに長蛇の列になっていた。席は2階、3塁側で、わりとホーム寄りだったので席からそんなに首をひねらないでバックスクリーン方向のステージを見ることができた。 客は予想通り中高年多め。みんなどっしりと構えていてあまり動かない。ただ私の周りの席には数人若い女の子がいて、嬌声を放っていた。ドームの席ってこんなに狭かったかなと思ったが、東京ドームに来ること自体が多分かなり久しぶりなので、もう忘れているんだろう。野球以外で来るのは多分初めてだ。 予想通り定刻より少し遅れ、あたりが暗くなって、バ

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    toki 2013/11/19
    ポール・マッカートニーを聴きに東京ドームへ行った:むしろ若い人たちにこそ見てもらいたいステージだった "Feel in my bones" ブログ書きました
  • 「教養=生き方としての学問」と「専門=飯の種としての学問」:「塩野七生はなぜ叩かれるのか」再論

    昨日は『諸星大二郎原画展』を見終って少しトリップした頭で「リブロ」へ行き、を物色。読みたいというより、あ、読んでなかったな、と思ったを二冊買った。しかしその両方とも、読み方がわかるというか、読むコツを知っているという感じなので、割と気楽に読めそうなもの。アントニオ・タブッキ/須賀敦子訳『供述によるとペレイラは』(白水社Uブックス、2000)と小林秀雄『小林秀雄対談集』(講談社文藝文庫、2005)。リブロというのはこういうが割と目につくところにある。文芸好きの初心者向けに、わりと探しやすくできている、と言えるのかもしれない。 小林秀雄の対談の目次を見ていて、「教養ということ」と題してソクラテス・プラトンの研究者である田中美知太郎と対談しているのを見て、さっとそこを開いてみた。昭和39年6月の対談だから、1964年、東京オリンピックの年だ。田中・小林とも62歳。ただ学年は田中の方が

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    toki 2013/11/18
    「教養=生き方としての学問」と「専門=飯の種としての学問」:「塩野七生はなぜ叩かれるのか」再論 "Feel in my bones"
  • 池袋西武ギャラリー『諸星大二郎原画展』:諸星大二郎の初期作品を見て私が『進撃の巨人』を好きな理由がよくわかった/『ピアノのムシ』複製原画を入手した

    昼前に神保町へ。古屋街をぶらぶらしながら書泉ブックマートへ行った。先週まで、芳文社『週刊漫画タイムズ』連載作品の原画展がブックマートとブックタワーで行われていたのだが、ブックマートで『これからコンバット』を買って抽選に参加したら、『ピアノのムシ』の複製原画に当選したのだ。先週の月曜の夜に連絡をもらったのだが都合がつかず、今日ようやく受け取りに行った。いただいた原画はこちらの『戦利品』の写真の右下のもので、単行1巻の第1話のものだ。複製なので当に細かいところまでは分からないが、おそらくは原寸大のその表現は雑誌掲載時より印象的で面白い。原画も複製原画も手に入れたのは初めてだが、こういうものを集めるというのも面白いかもしれないと思ったのだった。こういう機会があるときに積極的にチャレンジしてみてもいい。 朝、モーニングページを書く暇がなかったので帰ってきてから少し書く。 【池袋西武ギャラリー

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    toki 2013/11/18
    池袋西武ギャラリー『諸星大二郎原画展』:諸星大二郎の初期作品を見て私が『進撃の巨人』を好きな理由がよくわかった/『ピアノのムシ』複製原画を入手した "Feel in my bones"
  • 世の中をよくしていくために、考えたこと:あのころ堀江貴文さんは何をやろうとしていたのか

    【世の中をよくしていくために、考えたこと:あのころ堀江貴文さんは何をやろうとしていたのか】 世の中の階層というものの特徴は、上に行けば行くほど周りが良く見えてきて、視界が広くなり、すっきりして来るということにあると思う。 そうなると、世の中を動かしている「構造」が良く見えて来る。資主義とか何とか、言葉や概念では知っていても、実際にそれがどう言う威力を持っていて、それをどう使ったらどう動くのかとかは、階層の上の方に行かないと分からない。というか、実際に「会社」というものを経営してみないと分からないだろう。 それは多分、自動車を運転するようになって、道路や地域に対する感覚が全く違ってしまうあの感じと似ていると思う。自分が歩いたり自転車に乗ったりしている時には自動車というものは邪魔なだけだが、あたりまえだけど自動車というのはある目的地に向かって運転されているわけで、自分が運転してみると前の車が

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    toki 2013/11/15
    世の中をよくしていくために、考えたこと:あのころ堀江貴文さんは何をやろうとしていたのか "Feel in my bones"
  • 段々畑が冬枯れて/「一流、二流、三流」と「ネットがフラットにした世界」

    【段々畑が冬枯れて】 火曜日に帰郷してから、諏訪にいる。諏訪は毎日最低気温が氷点下になったりかろうじてプラスになったりしているのだが、今朝はマイナス1.4度だった。 セブンイレブンで『モーニング』を買ってから資源ごみを出すために職場へ行き、ペットボトルの皮を剥いたり瓶のキャップを外したりしていたら、瓶のキャップの開け口で指を切ってしまった。その処置に手間取って時間がかかってしまい、ようやく瓶缶ペットボトルをまとめ使用済みの蛍光灯を抱えて集積所に出しに行ったら凍えてしまった。家に戻ると草刈りの時間があまりなくなっていたが、少しだけでもと思って畑に上って行った。 畑に上る道は、一部にもう霜柱が立っていて、踏むとさく、さく、という。斜面を上って行くと、落葉樹が一斉に葉を散らして、坂道が落ち葉で滑りやすくなっている。それを踏み越えて崖を上って畑に出ると、ほんの少し前まで密林のようだった叢が、冬枯れ

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    toki 2013/11/14
    段々畑が冬枯れて/「一流、二流、三流」と「ネットがフラットにした世界」 "Feel in my bones"
  • 教養はテクノロジーのようには世の中を変えないかもしれないが、逆境の時や頂点へ行ったときに自分を助けてくれる

    教養テクノロジーのようには世の中を変えないかもしれないが、逆境の時や頂点へ行ったときに自分を助けてくれる】 2時過ぎに帰郷。諏訪はもうだいぶ冷え込んでいる。今朝は氷点下まで下がったようだ。最高気温は9度で、この時間はもう6度まで下がっている。山もすっかり紅葉し、落葉松も黄色く色づいている。寒くなればなるほど、東京との温度・湿度の落差が激しくなり、帰郷してから慣れるまでに時間がかかるようになる。 今朝は朝からあまり調子がよくなかった。最近どうもブログを書くのが夜遅くになってしまい、それからクールダウンして寝るのに時間がかかってしまう。やりたいこともたくさんなって、昨日は久しぶりに『進撃の巨人』の録画を見たりしていたら寝たのが2時になってしまった。朝は7時起きでこれはそんなに特別でもないのだが、どうも体の調子と相談しながら動かなければならない感じがあって、それは東京の家を出てから特急に乗っ

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    toki 2013/11/12
    教養はテクノロジーのようには世の中を変えないかもしれないが、逆境の時や頂点へ行ったときに自分を助けてくれる "Feel in my bones"
  • 木枯らし/「まど☆マギ」と「進撃の巨人」をなんとなく比べてみる/教養の持つ本当の意味の一つは、階級転落に対する下方硬直性にあるのではないか

    【木枯らし/「まど☆マギ」と「進撃の巨人」をなんとなく比べてみる】 今日も不順な天候で、通り雨が降ったと思ったら急に冷え込み、木枯らしが吹いた。夕方になってから出かけたのだが、寒いからと思って久しぶりにジャケットを着てネクタイを締めて出たが、外を歩いているとマフラーをしている人やコートを着ている人もいて、晩秋から冬へと一直線に落ちて行っている感じがした。 昨日見た『まど☆マギ』のことを考えていて、(あ、ネタバレなのでこれから見るつもりの方はこの段落はスルーしてください)なんかどうも自分は十分には満足しなかったのだけど、それはなぜだろうと思う。やはりテレビシリーズの時の緊張感が、今回は足りないなと思ったからなのだろう。予想よりもどんどん悲惨なことになるあの展開力が、今回は少し足りないというか、予定調和的な部分が大きかったからではないかなと思う。魔法少女たちも前回はマミ、さやか、杏子と三人死ん

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    toki 2013/11/12
    昨日ブログを書いてて、教養、というより文化というものは、本当に自分を支えてくれているものだと改めて思った。
  • 『進撃の巨人』の破格の凄さはどこから来るのか/気分がぐずぐずしている日は映画を見に行く/『魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』を見た

    【『進撃の巨人』の破格の凄さはどこから来るのか】 まとまったことを書こうとは思うのだが、なかなかそういう心持にならない時もある。時もある、というのは今がそうだということなのだが、ということなのでつらつらと取り留めなくいくつかのことを。 昨日は書くべきことを用意しておいたのだけどなぜか全然書く気にならなくて、結局更新しなかった。どうも昨日から精神的にあまりよくない状態に入ったらしくて、でも確実に、ものをつくるときにはそういう精神状態でものを考えるのが必要な部分があるから、それはそれで置いておいたら、どちらが先なのかはよくわからないけど体調もいまいちになってきた。そういうわけで昨日の上京の特急の中ではあまりポジティブにいろいろやったりツイートしたりする気にもならず、ずっとiPhoneで『自由への進撃』や『進撃の巨人サウンドトラック』を聞いていた。あんまりそういうこうとってないんだけど、そういえ

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    toki 2013/11/11
    『進撃の巨人』の破格の凄さはどこから来るのか/気分がぐずぐずしている日は映画を見に行く/『魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』を見た "Feel in my bones"
  • 自分の考えたことについての文章と何かのコンテンツを取り上げた文章と/時代感覚と世代感覚と、コンテンツを作り続けるということ

    【自分の考えたことについての文章と何かのコンテンツを取り上げた文章と】 自分の考えたことについての文章と、何かを批評した、感想を書いたときの文章とでは、後者の方が反応がある。自分自身というのは、自分自身にとっては面白いコンテンツなのだが、他人から見たらそんなに面白いわけではない、ということがよくわかる。それを面白いと思って読んでもらうには、まだまだいろいろやらなければいけないことが多い、ということなんだろう。 この辺のコミュニケーションの取り方というのが最近ようやく呼吸が分かってきたのだけど、もともと私は『日記猿人→日記才人』とか『テキスト庵』などのウェブ日記リンク集に参加していて、参加している人たちがどう言うことを考えていてどう言う日常を送っているか、みたいな話を読んだり書いたりするのに慣れていた、ということが、自分語り習慣みたいなものがある大きな理由なんだろうなと思う。どちらも既に閉鎖

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    toki 2013/11/08
    自分の考えたことについての文章と何かのコンテンツを取り上げた文章と/時代感覚と世代感覚と、コンテンツを作り続けるということ "Feel in my bones"
  • 「理想」と「使命」と「正しさ」と:いかがわしかったり不細工だったりする言葉たちを見直し、自分の思想を立て直してみる

    【「理想」と「使命」と「正しさ」と:いかがわしかったり不細工だったりする言葉たちを見直し、自分の思想を立て直してみる】 言葉にはいろいろな「色」がつく。特に子供の頃から耳にしていた言葉は、ある一定のイメージが来の意味とは別についてしまう。身近な人に対しては、遠くにいる人と同じように客観的には見られないのと同様、そういう言葉に対しては一定の色のついたイメージを持ってしまい、それを使いにくくしたり、あるいは口にしただけで気恥かしい、と感じる言葉にしてしまったりする。 自分にとって、そういう言葉はいくつかある。たとえば、「正しさ」というのはその一つだ。正しいって一体何だろう。 私は子どものころ、世の中ではいろいろな争い事は起こるけれども、みんなが気で話し合えば解決して、ひとつの「正しさ」の認識に至る、と思っていた。みんなが方便でいろいろな主張はするけれども、当はひとつの正しさがあるのだと。

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    toki 2013/11/07
    「理想」と「使命」と「正しさ」と:いかがわしかったり不細工だったりする言葉たちを見直し、自分の思想を立て直してみる "Feel in my bones"
  • 堀江貴文『ゼロ』読了:人の人生をなぞる必要はない/岩田健太郎『主体性は教えられるか』:褒めることのむずかしさ/佐々木紀彦『5年後、メディアは稼げるか』:ウェブでコンテンツをマネタイズするということ/理想がなくなると「一獲千金」を言い出すタイプ

    堀江貴文『ゼロ』読了。ゼロをイチにするために働こう、というシンプルなメッセージなのだけど、彼のたどってきた人生をいろいろに見て、一番感じたのは「人の人生をなぞる必要はない」ということ。自信がなくなって来ると人はどうしてもロールモデルを求めてしまうのだが、そうするよりも目の前のやりたいこと一つ一つを全部やることで誰にも真似の出来ない自分だけの人生を送ることが出来る。その時その時のやりたいことが、自分をどこかに連れて行ってくれる、そういうものなのだなと思った。 【岩田健太郎『主体性は教えられるか』:褒めることのむずかしさ/佐々木紀彦『5年後、メディアは稼げるか』:ウェブでコンテンツをマネタイズするということ】 並行して読み始めたのが岩田健太郎『主体性は教えられるか』(筑摩選書、2012)と佐々木紀彦『5年後、メディアは稼げるか』(東洋経済新報社、2013)Kindle版の2冊。今までKindl

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    toki 2013/11/06
    ブログ書きました 堀江貴文『ゼロ』読了:人の人生をなぞる必要はない/岩田健太郎『主体性は教えられるか』:褒めることのむずかしさ/佐々木紀彦『5年後、メディアは稼げるか』:ウェブでコンテンツをマネタイズ
  • 森尾正博『これからコンバット』:人間がパワーを手にするとどう変わるか

    このところ自分にとって重要な出会いのあるに多くであっているのだが、堀江貴文『ゼロ』も間違いなくそういう一冊になりそうだ。 自分のたどってきた道との重なる部分の多さ、同じ時期にある人生の決断を迫られたこと、そしてそのあとの対処の仕方の違いなど、考えるべきテーマが多い。 このあたりのところ、またもう少し考えがまとまったら書いてみたい。 昨日買ったは森尾正博『これからコンバット』1巻(芳文社、2013)。主人公小西ゆいの天然振りと、他の登場人物のキャラの立ち方が楽しい。それぞれの登場人物がサバイバルゲームに関わる過程の中で自分を解放していく感じがこのマンガに開放感を与えているのだろう。 私が特に好きなのは、ゆいがマシンガンを連射するときの恍惚とした表情だ。もちろんゲームだと割り切って読んでいるからだが、ある意味ソフトな戦争マンガとして読むとまた違う解釈になるかもしれない。というか戦争映画とか

    toki
    toki 2013/11/05
    森尾正博『これからコンバット』:人間がパワーを手にするとどう変わるか "Feel in my bones"
  • 堀江貴文『ゼロ』を読んでいる:「今ココ」から脱出する手段としての受験勉強と「ゼロをイチにすること」/犬も歩けば棒にあたる:書泉ブックマートで複製原画をゲットした

    堀江貴文『ゼロ』を読んでいる:「今ココ」から脱出する手段としての受験勉強と「ゼロをイチにすること」】 二三日、書こうと思ったテーマがないわけではなかったのだが、うまく文字にならないまま書けないでいた。 一番書こうと思ったのは堀江貴文『ゼロ』(ダイヤモンド社、2013)についてなのだが、まだ読み終わっていないということもあるし、読んでいてあまりにもたくさんのことを考えてしまったということもある。 昨日も、自分とマンガのことについてなどをまとめて書こうと思ったのだが、日シリーズ第7戦を見てしまい、この野球というコンテンツについて書くべきではないかと思い始めて、書く方向性が定まらなくなってしまった。 「見るスポーツとしての野球」というコンテンツとは、それを自覚した中学生のころ以来30数年の付き合いがあり、さまざまな個性の選手・チーム・球団を目撃することでいろいろなことを感じ、考えてきた。 特

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    toki 2013/11/05
    堀江貴文『ゼロ』を読んでいる:「今ココ」から脱出する手段としての受験勉強と「ゼロをイチにすること」/犬も歩けば棒にあたる:書泉ブックマートで複製原画をゲットした "Feel in my bones"