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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (6)

  • 高校生のうちに準備しておくべきいくつかのこと - H-Yamaguchi.net

    どの大学にもあるのかどうかは知らないが、少なからぬ大学の教員には「地方営業」がある。各地の高校に行って模擬授業とかをやるというものだ。多くの高校では、進路指導の一環として、大学やら専門学校やらといったところから教員やら入試担当職員やらを呼んできて説明会みたいなことをやる。いろいろな大学から集まった教員が控え室で出番を待つあたりはまさに「営業」にふさわしい趣だが、教室での高校生たちに接することができる機会というのもなかなかないので興味深い。 以下は、そういう場で受けた質問に対して答えた内容を思い出しつつ書いてみたもの。 質問は、「貴学部に入学したいと思った生徒は、どんな準備をしておけばよいか」というものだった。残念ながら生徒からではなく高校の先生から。何も質問がないとまずいと思ってとっさに口にしただけなのかもしれないが、私は一瞬つまった。入試問題の傾向みたいな話ではないだろう、というのはとっ

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  • 勢力を拡大しつつある中国がなぜアジアの支配者になれないのか、という話 - H-Yamaguchi.net

    ぜひ原文をお読みいただきたい。最初に登場するのは、筆者が中国政府高官から聞いたというこのことば。 "China can't dominate Asia; there are too many governments in Asia." してその心はというと、というくだりが続く。要するに、いろいろ注目されるところはあるが、いいところと同様問題点もいっぱいある、というしごく当然の指摘。手放しで賞賛もせず、いたずらに過小評価もしない冷静な分析。中国の最大の問題点がナショナリズムにあるという指摘がある。日中だけしか見ていない向きには期待できない視点だと思う。 Heading the list of limitations and weaknesses of China's rise in Asia is strong Chinese nationalism; this seriously comp

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  • H-Yamaguchi.net: 評価基準は難しい、という話

    「仮に、時間外手当を導入すると、社員の仕事を時間で計るということだ。これは、人によってさまざまなやり方をしていた社員の特性や自主性を損なうことにつながりかねない。」 「そのうえ、能力や業績を格的に給与に反映させ、それが拡大すると、何を基準にだれがどのように社員を評価するのかという点がますます問われる。」 「企業現場は、さまざまな課題を抱えている。そのために社員は日々工夫をこらす。時には夜間に及ぶ残業や休日出勤など、普通の会社員とは異なる側面がある。」 「こうした働きは人それぞれで、『時間に換算するのは難しい』という考えから、いまは給与を労働時間に連動させるしくみはとられていない。」 「厳密にいえば、その額に見合った働きをしていない社員もいるだろう。経費削減が求められる中、その点に批判が向かうのは無理もない。」 「しかし、時間外手当を至急するとなると、『残業時間をだれが確定するのか』『社員

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  • 少し暴論:1円入札の何が悪いか - H-Yamaguchi.net

    郵政公社の簡易保険部門が国債などの債券管理業務を外部委託する入札に関連して、資産管理サービス信託銀行が1円で落札していたことを問題視する動きがあるらしい(ニュース)。いわゆる「1円入札」問題だ。 1円入札はよくない。かなり高い確率で、よくない。ただしよくいわれるのとはちがう理由で、だ。 企業がこのような入札を行うことは、別に珍しいことではない。上記リンク先のニュースには、90年代に、大手情報通信会社がシステム機器の受注をねらって、ソフトウエア開発を相次いで1円で落札した事例が問題となった、とある。また最近では昨年12月、財務省が所蔵する金貨のオークション運営業務に関して、ヤフーとシンワアートが1円で応札したことに対して、公正取引委員会が「不当廉売の恐れ」として文書で警告した(ニュース)。 記憶があやふやだが、かつてアップルが、学校向けに自社PCをかなりの安値で売っていたこともあったと思

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  • 子どものインターネット利用の監視は親の責任、という話 - H-Yamaguchi.net

    要はよくある「親の知らない子どもの世界」みたいな話だ。聞き流していたので定かではないが、アメリカでは400万人の未成年者がブログを書いており、300万人が他人のブログを読むとか(ROMってことか)いっていたように思う。で、子どものブログの内容どころか、子どもがブログを書いていることすら知らない親が多い、という。 一方子どもはというと、親が知らないのをいいことに、酒を飲んだり○○○○を吸ったりその他もろもろのイケナイことをしている様子を書いてみたり、公開の場所にふさわしくない内容のことを書いてみたりという無法地帯になっている、というお決まりの問題ということだ。 で、サイコロジストのなんとかいう人が出てきて、タイトルのような発言をしたわけだ。曰く、親は、日記だから子どものプライバシーだと思うかもしれないが、インターネットは公の場所であって決して「秘密の場所」ではない。まず子どもが何をしているか

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    tomber
    tomber 2005/12/03
    ITリテラシーの教育は頭痛い。我が家の向こう何年かの重要テーマの一つ
  • わが国の伝統からすれば男性とすべきである、という話 - H-Yamaguchi.net

    わが国の歴史において、その地位は男性が占めるというのが確固たる伝統である。確かにその歴史の初期において、女性がその地位にあったこともないではないのは事実である。また昨今では、女性の社会進出も進んできており、その象徴として女性を起用すべきという考え方があるのもわからなくはない。しかし、この問題は他の問題とはちがう。日の「顔」を誰とすべきかという重大な問題だ。軽々に決めてしまうのはいかがなものかと思う。 何の話か、いうまでもないだろう。 もちろん、紙幣、つまりお札の「顔」の問題だ。 わが国の紙幣の歴史において、その「顔」となってきたのは、ごくわずかの例外を除いては、すべて男性だった。わが国の紙幣で人物の顔を描いたものは、1883年の神宮皇后札が最初である。実は、日最初の「お札の顔」は女性だったのだ。この点は認めざるを得ない。しかしそれ以降、お札の顔となってきたのは、ほとんどの場合男性だった

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