ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (21)

  • 「個人の尊厳」の贖い - 地を這う難破船

    選挙結果が判明して以来色々とゴタゴタして更新が滞りました。都民の私は比例は社民に入れました。 ⇒「種としての個体」と自民自滅後の表現規制(追記アリ - 地下生活者の手遊び ⇒2009-09-04 反論、ということでは必ずしもなく、フォローとして少しコメントを。駆け足の雑駁な議論になりますが。 私の見解では。レヴィ=ストロースの仕事とは、共同体的社会の「可能性の中心」を近代の場所から読み解く試みでした。だから、彼は共同体的社会を人類の事実性の問題として単に主張しているのではもちろんない。共同体的社会の「可能性の中心」に「個人の尊厳」がある、とはたして彼は言ったか。――「個人の尊厳」を何によって贖うか、という問題です。 僕はここで、「権力と自然両者」を「システム」と読み替えますにゃ。 文化とはもともと「自然の鉄則」とか「弱肉強の原理」「世界はこういうもの」とかいった「システム」への否定として

    「個人の尊厳」の贖い - 地を這う難破船
    toriatori
    toriatori 2009/09/10
    あとで
  • 表現規制から遠く離れて - 地を這う難破船

    ⇒世間様から公共圏へ - 地下生活者の手遊び 先のエントリを挑発的に書いた甲斐があったようで、議論が前に進みそうです。包括的な社会観の議論として、私とtikani_nemuru_Mさんの見解の相違点について確認していきたいと思います。 確かに各人が緊密に結びつけられて相互に影響がでかいところが「世間」の特徴のひとつにゃんが、それだけで「世間」となるわけではにゃー。 「世間」というのは、「個人の尊厳」がないところ これは基にして必須の論点のはずだにゃ。阿部謹也も「世間とは何か」で言っていたぞ。 仰る通りです。だから、そういうのを「東洋の土人部落」と言うのだと思いますが。佐藤亜紀氏も使用していた「世間様」という言葉を一連の議論で最初に使用したのはtikani_nemuru_Mさんだと思いますが、その典拠は阿部謹也の世間論だったのですか。ならば「東洋の土人部落」という話には必ずしもならないでし

    表現規制から遠く離れて - 地を這う難破船
  • 調停装置の在処 - 地を這う難破船

    ⇒陵辱表現が問題とならない社会を - 地下生活者の手遊び なるほど、了解しました。私の誤読についても。失礼致しました。性犯罪の暗数に言及する理路がそのようなものであるならば―― 『フロン』を書いていた頃の岡田斗司夫が「オカマエンジン」搭載のススメを男性に説いていました。岡田氏は、当時TV番組で共演していたおすぎにそれを説かれたそうですが。要するに、束の間でも、自分が女性であると思ってみる。すると、深夜のタクシー乗車中に恐怖を感じた、と。これまで深夜タクシーに乗って恐怖を感じたことなど当然、なかったのに。職業差別をしているのではない(余談だが、私の父親はタクシードライバー)。深夜の車内という密室で見知らぬ男と乗り合わせている、しかもハンドルを握っているのは先方である、というシチュエーションに、否応なく恐怖を感じてしまった、と。 自分はこれまで深夜タクシーを利用して恐怖を感じたことなどなかった

    調停装置の在処 - 地を這う難破船
  • 自由の享受条件 - 地を這う難破船

    tikani_nemuru_M 困ったもんだ  "「淘汰されるための枠組」について考えておられる。それが「公共圏」です。" 失笑した。 はてなブックマーク - 性的搾取の後始末 - 地を這う難破船 「失笑」ですか。そんなブコメ番長なレトリックを書き付けている暇があったら、正面切った反論をエントリとして上げてください。sk-44は問題の所在についてコレとコレとコレとコレがわかっていない、ココとココとココとココを踏まえていない、と、そういう話を。存分に反論してほしいので、待っているんですけど。そして待ちくたびれかけています。「自分はそんなことを言っているのではない」という話なら了解です。確かに読み違えていました。申し訳ありません。改めて、tikani_nemuru_Mさんの一連の発言を確認しました。議論の軌道を修正するべきでしょう――むろん私の責任なので、私が。 このところ挑発的なエントリを書

    自由の享受条件 - 地を這う難破船
  • 性的搾取の後始末 - 地を這う難破船

    tikani_nemuru_M  sk-44はわかって書いているはずだけれど、僕はいかなる「性」も否定しない。加害を問題にするだけ。最初からその論点/自律的判断主体であるという「みなし」が人権の根底にあるから「合意」を問題にしているだけ はてなブックマーク - 寝室の市民権 - 地を這う難破船 ええ、だから、何を「加害」と見なすか、その枠組をめぐって議論を続けてきたのだと思いますが。特定の性行為が「加害」を伴う限りにおいて問題である、と。私が言っているのは、「加害」という概念と寝室の問題であるところの性はそもそも整合しないという話ですが、「だから」児童ポルノの単純所持規制に及んで「搾取」という問題系が提出される。そして、ポルノは性的搾取の証明としてある、というラディカル・フェミニズム以来恒例の話になる。搾取に対して国家は介入すべき、というのはその通りです。時に超国家的に。児童ポルノの問題は

    性的搾取の後始末 - 地を這う難破船
  • 周縁文化と世間様 - 地を這う難破船

    ⇒2009.7.6: 日記 佐藤亜紀様 また、遅くなってしまいました。申し訳ありません。時間が取れなかったこともあるのですが、書きあぐねていたことも確かです。認識の面では同じくしうる点が多いと考えるにもかかわらず、対立することについて。tikani_nemuru_Mさんとの議論についても併せて考えていました。 ■ そもそも自由主義とは、タダ乗りを認める社会思想です。タダ乗りを認めるところに社会思想としての自由主義の意義がある。だから、タダ乗りについて指摘したところで自由主義の立場においては「それがどうした」になる。以降は個々人のモラルの問題。むろん、タダ乗りが過ぎてシステム自体が瓦解する危険性は常に孕んでいる。しかし、リソースの有限性を問う必要がない表現の問題においては、タダ乗りが過ぎた結果によるシステムの瓦解は新式のスターリンの登場でしかありません。 保守主義的な立場においては、タダ乗り

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  • 自由の核心にあるもの - 地を這う難破船

    些か応答が遅れて申し訳ありません。更新の時間が取れませんでした。 ⇒ロクでもないけどこれしかない - 地下生活者の手遊び ■ まず第一に、国がマンガの美術館を作るということは何ら不自然ではない。すでにある国立の美術館に並んでいる芸術作品と同じくらいの気合で、我々はマンガを描いている。国立のマンガ美術館、やれるものならやってください、でも無理でしょう? というのが僕の考えだ。 アート全体にも言えることだが、マンガの中には政府や政治家にとって都合の悪いもの、眉をひそめるようなものがたくさんある。そういうものがほとんどだ、と言ってもいいくらいだ。国や政府が保護したり育成したりバックアップできる代物ではない。 例えば非常にエロチックなもの、あるいはくだらないもの、「くだらない」とくくられるもの、そんなマンガがすべて、国の建設した建物の、劣化を防ぐために空調が完備された部屋の棚にズラーッと並べられ

    自由の核心にあるもの - 地を這う難破船
  • 力学と理念 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.23: 日記 佐藤亜紀様。 整理された点については異論ありません。法規制が、されてしまうだろうことについても。私も、見通しの良い話をさせて頂きます。 いわゆる匿名者による、現実の力学を前提した、規制反対論に対する戦術指南めいた指摘に対して、当初、不可解に思っていたことがありました。ヤクザに借りを作ればいいのに、となぜ誰も言わないのか、と。当然、第一に、インターネットでそのようなサジェスチョンを行うのは単なる馬鹿であり(「で、お前はどこの誰でどの方面と話が付けられるのか」という返答が1秒で返ってくるでしょう。トークポジションが問われて当然)、第二に、それは戦術指南の体裁を纏った、「表現の自由」一槍の規制反対論に対する、批判だからです。 現実の力学を主張するなら、誰もその外側には出られません。にもかかわらず批判は、力学からの距離を、自分自身を棚に上げることを、要請します。そう

    力学と理念 - 地を這う難破船
  • スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船

    来、佐藤亜紀氏への応答を先に行うべきなのですが、tikani_nemuru_Mさんへの応答をひとまず先に行います。佐藤亜紀様、「後回し」にして申し訳ありません。次回のエントリで応答させていただきます。 ⇒スターリニストなのでスターリンになりたくない(追記アリ - 地下生活者の手遊び だから私には「社会意識は言論や表現とその流通のあり方をメッセージとした表象に対する読解の文脈として反映される」がわからない。最初この一節を読んだときは、ただの言葉遊びだと思ったことを正直にいっておきます。今は、それが言葉遊びでも詭弁でもないことはわかりますが、その意味するところは正直なところ腑に落ちてはまだわからない。私にとって表象は、それはそこにあるもので、読み解くものではない。読み解く主体は私にとって同志スターリンになってしまう。 私も正直に申し上げるなら、『言論・表現への法規制に抗するために』を一読した

    スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船
  • 自由な社会のセキュリティホール - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.19: 日記 蹂躙の肯定はこのように具体的な形を取るか、と改めて閉口したのは確かです。当然、言論の自由は個々人の傷付く心と関係がない。言論の自由を制限しうる公共の利益は個々人の傷付く心と直接には関係がない。個々人の傷付く心の問題は人権問題ではない。 これは、古典的な自由主義の原則です。個人の傷付く心の問題は、自由の問題でも人権の問題でもない。貴方の傷付く心の問題は貴方が手当てすべき問題であり、この利権で動く国家の、それも法的規制において、傷付く心の手当てを要求するなど、自由の価値を毀損する論外の行為である、と。 少なくとも、表現規制を行政サービスと捉えることを退ける自由主義においてこの基線は動かないのですが、しかし、個々人の傷付く心の問題は存在する。そして、その場所に、現存する差別構造が圧倒的な非対称性として作動している。自由で寛容な社会の差別問題とはそのことで、そのとき

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  • 泣きと抜きの政治学 - 地を這う難破船

    ⇒id:seijigakutoさん、マジで言ってんのそれ? - あままこのブログ ⇒ポルノについての個人的な意見 - WinterMuteの日記 inspired byとしてリンクしますが、ほぼ独り言として。 『CLANNAD』を私はゲームどころかアニメもほとんど見ておらず、よって何も知らないのだが、人生と真面目に力説する友人の啓蒙にはよく触れていた。父になる男の成長物語で、男になることとは女性たちとの関係の中でまがりなりにも父になることだ、と。実際、友人はそうした問題と直面していた。 私はどういう話か知らないので聞くだけだったけど、それなら『莫逆家族』と同じだな、と思って、『莫逆家族』は私はとても好きなので頷いた。『莫逆家族』なんて家父長制肯定に決まっているのだが、あれを家父長制肯定として片付ける者を私は馬鹿と見なすだろう。『莫逆家族』の世界は歪んでいますね、って当たり前の話。イーストウ

    泣きと抜きの政治学 - 地を這う難破船
    toriatori
    toriatori 2009/06/23
    “自身の抱える性愛の観念をツボとして押されることと、他者を前提する性愛に対するコミットメントは違う”
  • 表象と欲望 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.17: 日記 性の問題は聖域ですが、暴力の問題は当然聖域ではないし、蹂躙の肯定もまた聖域ではない、というのが私の認識です。むろん「聖域」とは社会的合意の問題ですが。そのような社会的合意を採らない、という立場はあると考えます。あるいは、そのような社会的合意の欺瞞性について指摘する立場も。だからこそ、性の問題を聖域と考える私は、聖域たらしめるために、暴力や蹂躙の肯定については問題と考えます。聖域とは神聖不可侵ということではない。神聖不可侵と考えることは近代の神話そのものです。 「聖域」だからこそ、私たちはその「秘密」を「告白」することにおいて個人の尊厳を贖ってきた――そうした発想の賞味期限がとっくに切れたのが現在です。そして現在において、私たちは告白さるべき秘密をネタ化し商業化し、結果、暴力的で差別的な欲望がインターネットを媒介として世界に伝播する。そのとき、野放しにされた欲望

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  • 欲望が問われるとき - 地を這う難破船

    ⇒リベラリズムと他者危害(追記アリ - 地下生活者の手遊び 流石と思ったけど――やはり私の見解とはこの点で決定的に相違する。 問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら(そういう表現者もとうぜんいるでしょう)、陵辱をテーマとした作品を作ればいいのです。 たとえ表現の自由に紐が付こうと、表現には紐が付かない。私はそう考える。Chim↑Pomのときも書いたけれど、原則論として、表現したい人は勝手に表現するのであって、その表現を社会的な文脈に位置付けるのは他者。「問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら」などという紐は、およそあらゆる表現に対して付いてはならない。だから、雉と射手の存在を同時に肯定してなお事態を収拾する法の執行について述べた。 Chim↑Pomと陵辱エロゲの相違点は、現代アートと商業ということで、だから市場の性

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  • 暴力と擬似暴力、ベタとメタ - 地を這う難破船

    ⇒「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。 ⇒「レイプレイ」と言論の自由、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。 ⇒「レイプレイ」と言論の自由、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。 そのような話をするのなら、「陵辱」を「陵辱」として愉しむことと人と人の間に暮らすことは普通に両立する、でFAです。「陵辱」を「陵辱」として愉しむことはヘイトスピーチではない。「陵辱」を「陵辱」として愉しむことと人と人の間に暮らすことは普通には両立しない、という結論は「差別意識は顔に出すな」以外のどこから出てくるのか。見当は付きますけど。メディアがメッセージとして機能している以上、ヘイトスピーチに等しい陵辱表現の、その意義を説け――か。 先日、交際相手からレイプゲームについて訊かれて心停止しかけた。ブログが彼女バレしたら死ねるが、そうではなかった、よかった。レイプシミュレータってな

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  • 自由と寛容を自称する社会 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.5: 日記 佐藤亜紀様 ファトワと自力救済はそれは違います。これは、日の法の問題です。問題は、ある書物を翻訳した日の翻訳家がおそらくはそのことを理由として日国内で殺害され、そしてそれは事件解決へと至らなかったことです。つまり、「ムスリム対ヨーロッパ」の文脈を私は問題にしているのではない。『悪魔の詩』を引き合いに出しておいてそれはないだろう、という指摘は受けます。しかしそもそも強姦ゲームの問題は「排他的な信仰に基礎を置く二つの文化が、相互の不信感と敵意は消え去ることがないとしても、当座は潰し合いに至ることなく休戦状態を保つこと」の問題ではないと私は考えるので、その点について、『悪魔の詩』を引き合いに出したことに対する誤解については、正させてください。 言明する必要があると思うので言明しますが、この問題の筋論については、私は所謂「西」の世界――つまり「自由で寛容な社会」を

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  • 逆鱗と道徳 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.3: 日記 『悪魔の詩』がそのような小説であることは承知です。当然読んでいるので、ダシにしているのではない。ムスリムが表現の自由を圧殺する、ということではない。そういうのは単に「ゴキブリどもを殺せ」というプロパガンダであり、よく言って偏見の羅列です。問題は、ある表現が誰かの逆鱗に触れたとき、強制力の行使としての「自力救済」を私たちは認めるか、ということです。認める、というのが私の立場ですが、自力救済の範疇に人殺しが含まれうるか。むろん含まれますが、自力救済の範疇に人殺しが含まれることは認めない、というのが私の立場です。五十嵐一氏の事件は時効を迎えました。犯人が出国中は時効停止しますが。 尊敬すべきイスラム研究者であった氏に対して「五十嵐氏はあのを翻訳しなければよかったのに」と、後から言えるか。当然、読者が言えるはずもない。にもかかわらず、表現が必然的に誰かの逆鱗に触れうる

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  • NakanishiBさんへのレス - 地を這う難破船

    ⇒「特定ポルノ」という発想 - 地を這う難破船 NakanishiBさんが言いたかったことは伝わっていますよ。だからエントリで長く引用しました。他人の「不見識」を示して、貴方はそれをスルーするのか、という問いの立て方が私は好きではない。 私が指摘したかったのはtikani_nemuru_Mさんが今回の議論をはじめたきっかけはまさにこの「不見識」からでしょう。それはtikani_nemuru_Mさんが議論を進めるべきことではあります。しかし、この論点が明らかにされないままではまずい、これのについて知っているはずのs-k44さんはこの問題について態度を明らかにした上でtikani_nemuru_Mさんを批判すべきだと思ったのです。 「sk-44さんはこの問題について態度を明らかにしたうえでtikani_nemuru_Mさんを批判すべき」他人の議論の添削は結構ですが、私の態度は明らかにしました。

    toriatori
    toriatori 2009/06/04
  • 「特定ポルノ」という発想 - 地を這う難破船

    ⇒表象は読み解かれなければならない - 地を這う難破船 スターリンと左翼と何か関係がありますか。今は21世紀ですが。佐藤亜紀が言う通り、スターリンにウヨもサヨも関係がない。左翼批判の含意はありませんよ。文脈もない。私が問題にしているのは、社会綱領の主張と社会意識の反映としての表象に対する綱領の主張を一緒くたにする考え方で、私は前者には同意しますが後者には同意しません。スターリンと指しているのは「一緒くたにする考え方」のことで、それは右翼も左翼も関係がない。 NaokiTakahashiさんが「道徳の問題」と言っているのは「一緒くたにするな」ということだと私は理解しています。「構造的差別の撤廃」という社会綱領の主張に対して、私もNaokiTakahashiさんもtikani_nemuru_Mさんも同意するもの、と私は考えています。自由な社会において綱領と法が不即不離ではないということについて

    「特定ポルノ」という発想 - 地を這う難破船
  • 表象は読み解かれなければならない - 地を這う難破船

    ⇒言論・表現への法規制に抗するために - 地下生活者の手遊び 仰りたいことはわかりました。趣旨には同意です。「まとめ」の部分にはほぼ異論はありません。率直に言って、NaokiTakahashiさんのブログのコメント欄での応酬を拝見した限りは、もっと突っ込んだ議論を展開されるのかと思っていました。 「女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲーム」の表での流通が「人権侵害と認めるところからはじめ」るというのは、相当に強い議論です。DV等を見るまでもなく、児童虐待を見るまでもなく、そして人身売買を見るまでもなく、私的セクターにおいて、あるいは商行為の名のもとに、侵害されている人権の回復には強制力の執行を伴います。その強制力を市民は国家に付託しています。むろん数多の非営利団体が活動していますが、彼らは強制力もまた強制的な執行の権限も持ち合わせません。そうした社会を、私たちは選択しているし、私は「自

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  • ある図書館戦争 - 地を這う難破船

    ⇒実際に性犯罪が増えるか減るかは(あまり)問題じゃないんだってば - Chambre Resonnante ⇒http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090510/1241885465 ⇒http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090510/1241967305 メビウス祭りと文学フリマに推参していたので遅くなったけど。昔、エロゲやらない私に勧めてくれた人がいて、その人が『絶望』というタイトルを挙げて(・∀・)イイ!! と言っていたのだが、後日内容を把握し、なぜ私に勧めようと思ったのか小一時間問い詰めた。cmasakさんのエントリのコメント欄で『絶望』への言及があって、それで思い出した。 この問題は、内心――つまり個室におけるマスターベーションの問題ではなく、流通の問題と1年以上前に書いた。任意の欲望が問題なのではなく、任意の欲望を喚起するための

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