ウォーラーステインのいう近代世界システムに対する反抗は、何度も試みられ、すべて失敗した。日本の近代も、その一例だろう。特にありがちなのは、「ヨーロッパ的普遍主義」に対して「アジア的特殊性」を対置し、後者によって前者を「超克」しようというパターンだ。これは戦前の「近代の超克」から最近の「東アジア共同体」論まで同じだ。そこでは「過去の戦争犯罪を清算し、アジアの中心になる」ことが日本のとるべき国家戦略とされる。 著者は、これに対して福沢諭吉の「脱亜論」を再評価する。「脱亜入欧」というのは福沢の言葉ではないが、『時事新報』の社説で彼が「脱亜論」を主張したことは間違いないとされる。福沢の発想は、金玉均などの改革派を支援することによって李氏朝鮮を倒し、朝鮮を(明治の日本のように)近代化することだった。しかし朝鮮の改革は挫折し、福沢の「国権論」は対外膨張主義に利用され、中国への侵略戦争に脱線していった