ブックマーク / www.highriskrevolution.com (147)

  • ゲームレビューについて(3)::Colorful Pieces of Game

    よくレビュー批判をする人が公平性がだの客観性だの言うが、レビューに客観性などありえない。 自分がプレイした、どう思ったかを書くのだから、主観に決まっている。 客観性だの公平性だのをレビューに求める人は、根から間違っている。そんなことを出来ると信じるほうがどうかしているのだ。人は客観になれるわけもないし、公平になれるわけもない。 レビューは分かりやすく書けば「僕はこのゲームを面白い・詰まらないと思いました、なぜならXXだからです」が書いてある場所だ。 そして「なぜ面白いと思ったか、詰まらないと思ったかを分かりやすく人に伝え、人がソフトを買いやすくする(もしくは回避しやすくする)」のが努力目標だ。 客観だの公平だのと言う人は「何が客観で公平なのか」を定義して、次にそれを実現する方法を明快にしてから語ってもらいたい。 あと、ケチつける低得点のレビューを辛口とか喜ぶ人がいるが、ケチつけるレビュー

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    toronei 2012/03/21
  • ゲームレビューについて(2)::Colorful Pieces of Game

    ところですっかり書き忘れていたのだけど、隙がない作りが高得点になるのは減点がないからだ。 第1回で書いたとおり、ゲームのレビューは基的に満点からの減点方式だ。だから、隙がないと減点がないから高得点になる、たったそれだけの話だ。つまり満点からの減点方式は欠点があっても長所も強烈なゲームよりも、ともかく欠点がない(ケチをつけにくい)ゲームのほうが高得点になる。 ところが「隙がない作りのゲームは、最低限、この程度の面白さは保証してくれるだろう」程度のものでしかなく、しかも僕の長いゲームライフ経験では往々にして裏切られるものだ。 馬鹿でかい大穴が開いている、隙だらけのゲームや、とんでもない超マニアックなニッチ向けゲームで、信じがたいほど面白いゲームなどいくらでもある。 バランスがぶっとんじゃってたり、エーな部分があったりしても「僕はこのゲームが面白いと思ってるんです」と、叩きつけるような情熱が感

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    toronei 2012/03/17
  • ゲームレビューについて(1)::Colorful Pieces of Game

    実は結構書いてから時間のたった文だったりする。 4gamerのダンガンロンパの記事を読んだとき、同人誌にちょろっとレビューに関する文を書いてから思っていたことが、一気に凝縮した感じで書き上げたのだけど、公開したからといって、別にだからどうしただよなあと思って放置してたのだけど、聞いてみたら、結構読みたい人がいるらしいのでアップすることにした。 馬鹿馬鹿しく長い文なので、3-4回ぐらいに分割してアップするつもり。 さて。話はここから始まる。 ゲームの評価ってなんだろう?――クリエイター魂が溢れ出る怪作「ダンガンロンパ」を遊びながら考えてみる 結構納得できる内容だったのだが、一つ「え?」と思ったのが、この一節。 ここから話は少し作自体から離れるが,ここ数年,開発費数十億円,場合によっては100億円超というハリウッド映画クラスの大作ゲームが世界を席巻しているのはご存じの通り。それらのゲームは確

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    toronei 2012/03/13
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(補足)::Colorful Pieces of Game

    書き上げたあと、自分的にとても気に入っているのと、やっぱブログで書いたのは構成が気に入らない…連載みたいなもので、あとからあーこうしたらとか、こんな事実が! みたいなのがあって、4月の終わりにあるコミックイチでにしちゃおうと思って、現在、構成を組み立てなおしながら、資料なども追加しつつ、書いているところ。 で、書いてるうちにわかった細かいことなどを、ちょっとメモ書き代わりに残しておきたい。 1982年のX1での協力で、ハドソンではX1は安く買えたということだった。だから一時、ハドソンはX1だらけになっていたとのことだった。僕がハドソンにいった1988年にはもうX1は開発では使われていなくて、飛田さんとか一部人たちの机の上に残っていた程度だったので、さっぱりわからなかった。 X1でゲームを書き始めた最初の頃、迫(もとさこと読む)さんが作ったX1用のBASICコンパイラがあり、それを使って

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    toronei 2012/03/11
  • 1991年3月 久石譲さんに音楽が決まる::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    toronei 2012/03/04
  • さよなら、ハドソン::Colorful Pieces of Game

    今日はハドソンがなくなる日…なので遠いオークランドからだが、少しハドソンについて書きたい。 僕がハドソン北海道いた期間は1988の3月ごろから1990年のゴールデンウィーク明けまで。 そのあとも天外Ⅱを作るので90-92年まではハドソンとずっと仕事をしたことになる。 その間に関わった(実際にコードレベルまで関わった)作品は、凄ノ王伝説、CDROMBIOS、イースⅠ・Ⅱ、ボンバーボーイ、イース海外版、天外魔境Ⅱ…ivまで含めても7つぐらいしかないわけだけど、ハドソンで仕事して、僕はゲームを作るプロになれた。 だから、とても思い出深い会社だ。そしてまた、80年代終わりの、あの元気だったハドソンを知っている僕としては、その会社が組織としてはなくなってしまうというのはちょっと信じられない気持ちだ。 反面、1980年代の終わりから、1990年代の初めは、ハドソンがすごく変化して行った時期で、そしてそ

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    toronei 2012/02/29
  • DSの『有野の挑戦状2』をプレイして思ったこと::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    toronei 2012/02/26
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(5/終)::Colorful Pieces of Game

    これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のサードパーティとして、ファミコンに参入するときの物語だ。 たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。 ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。 さて文。 1983年の秋までファミコンの売れ行きを見たハドソンは、これならイケるということで、サードパーティとしてファミコンに参入するべく、まずファミコンソフトの開発ツールを開発してから、任天堂との交渉に臨むことにした。 複数のハドソンの関係者によると、任天堂とハドソンの交渉があったのはハドソンが開発ツールを完成し

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    toronei 2012/02/16
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(4)::Colorful Pieces of Game

    ところで、何人かから質問されたけれど、今回の話がハドソンの解散に重なったのは全くの偶然だ。 どうしてこんなことを調べだしたのかといえば、たまたまTwitterでM2のほりいさんたちとハドソン参入前後の話になり、自分が雑に当時聞いた話をしゃべったところで「待てよ、これは当なんだろうか?」と思ったのが最初だ。 ハドソンの連中が昔はなんでも解析してたのもICEぶっさしてたのも知ってたし、確かファミリーベーシックを書いたのも知ってたし、だいたいどんな風に参入したのかの話も聞いたことはあったけれど、そこらへんの知識が自分の中で入り混じって、どこまで正しいか自信がなくて、ちょっと当時のハドソンの中核メンバーにお気楽に聞きはじめたのが最初だ。 いざ調べだすと、当時のPC事情や、実はハドソン東京が格的な開発拠点を持っていたこと、参入の流れが自分が思っていたのとゼンゼン違うことなどなど、いろいろわかって

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    toronei 2012/02/12
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(3)::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    toronei 2012/02/07
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(2)::Colorful Pieces of Game

    前回、1983年に任天堂が…というところまで書いたのだけど、ハドソンと任天堂の関係が出来る話に入る前に、もう少しこの当時のハドソンについて話をしておきたい。 というのも、ツイッターで、どうしてハドソンがシャープと仲がよかったのか、どうしてX1を使っていたのか、当時どんな会社だったのかみたいなことを聞かれて気がついたのだけど、結局当時のことを、今の人が知るわけもない。そしてこの話は、当時のパソコン市場や、ゲーム市場、さらに開発環境などがどんなものだったのかをわかってもらわないと、うまく繋がらない。 というわけで、ハドソンや当時のことについて、今回もう少し書いていきたい。 以下文。 と書いたところで、のっけからハドソンじゃなくて任天堂の話。 まずこれを分かっていないと、話にならない。 当時、つまり1983年ごろの任天堂のイメージは今の任天堂のイメージとは全くの別物だ。 例えば僕より数歳上にな

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    toronei 2012/01/28
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(1)::Colorful Pieces of Game

    これは1984年に、ハドソンが初のサードパーティとして、ファミコンに参加するときの物語だ。 前のポストで、野沢さんの証言を元にブログを書いたら、いろんな人から細かい情報が集まって、どんな風にハドソンがファミコンに参入したのか、そのプロセスはどういうものだったのかを、ようやくその全貌が正しく明らかになったと考えられるようになったので、再度具体的に書いていきたい。 ところで、この記事は、前の物とかなり激しくかぶるのだけれど、前のものを消すとどのように変化したか? が分かりにくく、かつ前回のに付け加えをするには、あまりに多すぎるので、あえて新しい記事としてアップロードすることにした。 あと今回、何人か名前を出して欲しくないといわれた関係者が現れてしまったので、野沢さんの言葉と一緒に、当時のハドソン関係者と、今のところは伏せておくことにしたい。 …って考えてみたら、野沢さんの名前出していいかどうか

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    toronei 2012/01/25
  • ハドソンがファミコンに参入したとき(オリジナル)::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    toronei 2012/01/16
  • 海外版イースを作ったとき、そして今::Colorful Pieces of Game

    ふと思い出したので、書いておこうと思ったこと。 僕は1990年、ハドソンで海外版イースを1月から5月頭まで作ってみた。 1990年当時は、まだSNES(スーパーファミコンのアメリカ版)の時代ではなく、NES、Genesis(メガドライブ)の時代で、ここにPCエンジンはTG16(Turbo Grafx 16)という名前で割り込もうとしていた。 なんで16って名前がついているのかというと、当時は「8ビットより16ビットの方が速い」とか「性能がいい」といった、ソフト屋…いやコンピュータのことをまともに知っている人間からするとエーな信仰が一般にはあり(今はこれが動作クロックだったりコア数だったりするけどw)、それでGenesisが麗々しく16ビット! って宣伝をしていて、当然SNES(スーパーファミコン)は16ビットだといっていて(いやあれは結構ダメな16ビットだったけど)、ともかく16ビットが必

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    toronei 2012/01/10
  • 1991年2月 開発スタート。ivとgnu(下)::Colorful Pieces of Game

    前回は iv を作る寸前まで終わってしまっていたので、今回がその続き。 ivを作っていたのはイースが最終デバッグに入り始めたあたりから、1990年の頭ぐらいまで。 そしてivが初めて実用に供されたのが『うる星やつら STAY WITH YOU』(1990.6/ハドソン)から。 確かメインプログラマが三上君だったはず。彼は飛田さんのサブプログラマをやったことがあり、結構ツーカーだったので、ivの開発には関わっていないけれど、飛田さん的にはやりやすかったのではなかろうか。 シナリオライターは当時企画にいた高津君。 映画&アニメマニアだったので、シナリオライターに抜擢されたのだろうと思う。 ただ、彼は「うる星やつら」は実は全然知らず、勉強してシナリオを書いたので、最初のシナリオではエンディングが「うる星」風になっていなかった(普通の恋愛映画のようなエンディングになっていた)。 で、僕は当時「うる

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    toronei 2011/12/05
  • 現代ゲームデザイナー向け基礎教養本::Colorful Pieces of Game

    の5つの要素技術について、僕が大いに参考にしているを並べる次第。もちろん、自分の浅学菲才をなんとかするために、日夜参考にするレベルw 実は、これ全部横には並べてあるのだけど、なんの説明もしていないも同然だし、一度自分自身の整理もかねてレビューを書いておこうという次第。 もちろん、あなたが天才なら、こんなものいらない。 世の中には、普通の人が壁になって苦しむことを簡単に乗り越えていく超人がウン万人に一人ぐらいいる。そしてそういう人はみんな「え? なんか難しい?」とか平気で言う。 けれど、たいていの人(もちろん僕も含めてw)は、そうじゃない。そして、そうじゃない人にとっては、こういう困ったときに立ち返れる基礎知識はとても大事だと思っている。 ■ゲームエンジン・アーキテクチャ ともかく長い・デカいだけど、近代的なゲームエンジンに必要とされている要素のすべてについて、ほぼ網羅的に解説されている

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    toronei 2011/11/20
  • ドラゴンクエスト1(3/終)::Colorful Pieces of Game

    前回は習作に近いドラクエ1だが、その中に強烈なオリジナル要素があり、それが死の概念の扱い方だという話を書いた。 ドラクエ1以前はRPGの死には2種類あり「死んだらキャラクタが消滅する(ウィザードリィなど)」と「死んだら最後のセーブまで巻き戻る」で「おお XX しんでしまうとは なさけない おまえに もういちど きかいを やろう」というセリフと共に生き返るドラクエは実はすごくオリジナルだった。 そして、これはプレイアビリティ・ユーザー層・当時のマシンの貧弱なリソース、そしてさらにこれから書く理由を勘案して「死んだら、お金半分」を採用したと思われる…つーところまで書いたわけだけど、今回はその理由。 確かに市場の要請と技術的な問題があったのは疑いもない事実だろう。だが市場の要請やマシンのリソースが「死んだらパスワードを入力させる方式(コンティニュー)を取らない」とする決定的な理由には全くならない

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    toronei 2011/09/05
  • ドラゴンクエスト1(2)::Colorful Pieces of Game

    (1)でいきなり大チョンボ。スーパーハイドライドじゃなく、ハイドライドスペシャルっす。 ということで、パート2。 前回で書いたとおり、パソコンではRPGが中心にのし上がりつつあった時代、そして「なんとかファミコンでもRPGがプレイ可能だ」と認識された時代を背景として『ドラゴンクエスト1』はファミコンに登場したが、ドラクエは、当時の目で見ても、オリジナル要素はほとんどないゲームだった。 ストーリーは風来の騎士が悪の大王に襲われピンチとなっている国と姫を救う、極めて基的かつシンプルなストーリー構造で、別段取り立ててみるべき物はない(だが、反面、このストーリーには重大な意味があるが、それは後に書く)。 ゲームシステムに目をやれば、スクロール型のフィールドマップで、フィールド上に置かれている街に入ると、スケール比の変化した街の詳細マップに入る型式は、RPGの元祖の一つである『ウルティマ』の手法そ

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    toronei 2011/09/02
  • ドラゴンクエスト1(1)::Colorful Pieces of Game

    実は発表するあてもなく、ゲームについて書いている文章がたまっているので、それをブログにでもアップしていくかという試み。一時「XXなゲームライフ」って同人誌を作っていて、それの延長上みたいなもの。 調査が甘く、記憶に頼って書いているところがあるので、間違いなどがあるかも知れない。 もし、そういう間違いがあったら教えていただきたい。 今回は「ドラゴンクエスト1」…その1。 ファミコンにおける、いや日におけるRPGブームの火付け役であり、日のRPGのほとんど全てに対しての、恐ろしいほど沢山の常識を作ったゲームである。 まさに日の「コマンド型RPG」の元祖と呼ぶにふさわしいゲームなのだが『ドラゴンクエスト』(1986.5.27/ファミコン)について書くためには、まずなにより発売された時代の背景を知らなければならない(以後ドラクエ/DQ)。 ドラクエ発売より2年ほど前の1984年頃。ファミコン

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    toronei 2011/09/01
  • PCエンジンの開発システム(補足2)::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    toronei 2011/06/24