小学生くらいの子供たちがおそるおそる、でも楽しそうにフェンスに掴まりながらスケート靴を滑らせる。リンクの真ん中ではインストラクターが生徒に声をかけている。銀色の天井、傷のない壁、広々としたラウンジ、そこにあのときの痕跡はない。 リンクを出て、出入口の方に歩いていくと展示ギャラリーがある。その一角のみならず施設内のあちこちにこのリンクで育った羽生結弦の名が見て取れる。リンクサイドの壁に掛けられた自叙伝の看板、ラウンジにおいてある雑誌、受付のサーモグラフィーカメラ、そしてリンクへの感謝を記したメッセージボード。ここ、アイスリンク仙台は、羽生とともに、今日(こんにち)を迎えた。 あれからもう10年が経とうとしている。2011年3月11日。東日本広域に大きな被害をもたらしたその日は、今なお忘れることのできない一日となった。