東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉5月16日 - 2014年〈平成26年〉1月1日)は、日本の僧侶。旧皇族。旧華族。久邇宮邦彦王の第3王子。旧名邦英王(くにひでおう)。香淳皇后の弟。第125代天皇・明仁(上皇)は甥、第126代天皇・徳仁(今上天皇)は大甥にあたる。妻は伯爵・亀井茲常の次女・東伏見保子。元衆議院議員・亀井久興は妻の甥。後述の経緯により1931年に皇族の身分ではなくなったが、皇族出身者としては記録に残る限りで一番長寿であった人物である(死去時点で103歳7か月16日、37851日)。 生涯[編集] 皇族時代[編集] 1910年(明治43年)、久邇宮邦彦王の第三男子として誕生[1][2][3]。東伏見宮依仁親王・同妃周子より実子のように可愛がられており、子女がなかった同夫妻は、邦彦王と相談の上、当時9歳であった邦英王を東伏見宮に永く預かりの形で迎えること