前回の記事: blog.shinoegg.com 結局、父の真意は分からず終いだった。 遺言どころか、まともな言葉すら、娘の私にかけられることはなかったが、それでも出来る限りの親孝行をしようと決意し、「やるだけのことはやった」と、清々しい気持ちで帰ってきたのが、先週末のこと。 それから数日。 きっと誰も悪くない 満身創痍で「ただいま」東京。 娘と、本当にクタクタになって帰ってきた。 東北新幹線から降りた時、東京は嘘のように暖かかった。 6才の足には負担が大きく、頑張り屋の娘も、歩きながらとうとうしゃがみ込んでしまった。大荷物を抱えて、なんとかオンブしようとしても、私に体力がなく、倒れそうになってしまう。「ママ、いいよ、頑張るよ」と言って、フラフラになりながら歩こうとする娘。 もう限界だ、というところで、車で迎えに来てくれていた旦那と、なんとか合流することができた。 遠くから手を振る旦那の顔
![実家は選べないが、自分で家族を作ることはできる。 - 望月志乃の ひびわれたまご|ADHD主婦](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/100687b5588c3caf35f6ed6e8801b5a23c5ab033/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fs%2Fshinoegg%2F20181206%2F20181206142627.jpg)