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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (4)

  • なぜボクたちは「不条理な社会」という宙吊りを生きるか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    倫理的な社会と不条理な社会 最近BSでチャップリン特集をやってますが、チャップリン映画をみるとあの時代の不条理がよくわかります。チャップリンが描くのは学なく貧しい弱者が社会で虐げられている姿です。たとえば今の下層なら当然の人権が守られていないのではと対立が始まりますが、教育、社会整備の不備な時代には彼らは権利の概念さえない不条理にいきています。だからチャップリンは最後は正義が勝つということではなく、その不条理の社会で逞しく生きる人々を描きます。 ボクたちが生きる現代社会はそのような意味で幸せな時代であり、高度に「倫理的な社会」です。みなある程度豊かで教育がいきとどき、他者に対して倫理的な振るまいを期待できます。ボクたちは場の中で空気を読むことが期待できることを当たり前に感じていますが、チャップリン的「不条理な社会」、すなわち不平等と不自由な社会は、おそらくそれは有史以来かわらず、そしていま

    なぜボクたちは「不条理な社会」という宙吊りを生きるか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    traverse
    traverse 2006/07/27
  • なぜ「空気を乗りこなせ!(コンテクストサーフィン)」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    アウラ論とエクリチュール論 かつて芸術作品にはアウラ(神性)が宿ると信じられていた。芸術作品は神のための書かれ、現代のように美術館で人々に公開されることも、ましてやコピーされて流通することもなく、「隠され」、その唯一性としてのアウラが保たれていた。しかし「複写技術の時代」には、人の目にさらされ、コピーされた作品は、様々なコンテクスト(文脈)にペーストされる。そこではもはやかつてのようなアウラを保つことはできない。 このようなベンヤミンのアウラ論は、デリダのエクリチュール論につながる。デリダはエクリチュール(書かれたもの)はコンテクスト(文脈)からの断絶性をもち、無数のコンテクストに置かれ、無数の意味(散種)を持ちうる可能性がある。そして通常、エクリチュールに対する「意味」として認識されるものはこのような無数の意味を、単一な意味へと還元する、ある種の「錯覚」によるものである、と考える。だから

    なぜ「空気を乗りこなせ!(コンテクストサーフィン)」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜもはや「ホリエモン」では笑えないのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ①「隣のにいちゃん」「ホリエモン」 ライブドアショックである。ボクはライブドアに捜査のメスが入ったということよりも、片腕が死んだ、ということが、大きなターニングポイントになると思っている。もはや「ホリエモン」では笑えない、ということだ。 ボクは、ホリエモンというのは、どこまでも「隣のにいちゃん」だったと思う。想像界の住人で、何千億だろうが、リアリティがないのは、ホリエモン自身もリアリティを持っていなかったからだ。それはただの数字である。 何千億!!!!というとてつもない金額のすごさが伝わらないという意味で、リアリティーがない。しかしまあ会社買うんだから数千億するだろう、普通だな。というリアリティーをボクたちも、「ホリエモン」と共有している。それはマネーゲームということではなく、べたな例でいえば、酒代で数千円ってなんともないが、それがメシ代だとすげー高級と思ってしまうような感覚の差がある。単

  • なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「空気を読む」という闘争 ボクは「コンテクスト(まなざし、文脈)」についていくつか語ってきたが、SocioLogic(lovelesszero5.0)*1に面白い内容が書かれている。 空気の読める社会(1) 以前、子どもたちの間では「空気が読めないこと」が最も嫌われる、という話があったが、これは、大人の間でも共通しているようである。価値観が多様化した、とされる社会では、「素直に」考えれば、ハイコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が多い)コミュニケーション空間からローコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が少ない)コミュニケーション空間へと変化するということであり、「コミュニケーション」の来の意味である、(特に異なる価値観の人の間での)意思疎通のためにはより明確に言語化した対話が重要になると考えるのが一見自然である。・・・しかしその一方で、冒頭の「空気を読む」というの

    なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    traverse
    traverse 2005/08/26
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