「女子大生ホイホイとしてのプレリュード」「アイドルはみんな聖子ちゃんカット」。80年代に青春を送っていた人には懐かしいワードだが、かつて消費社会が隆盛を極めていた時代はこのように「ああ、それ知ってる!」とみんなでわかり合える共通認識のもとに流行するものがあった。 しかし消費社会が終わりを告げ、みんなでわかり合える“何か”を失ったいま、私たちは社会というものをどこか遠い存在として感じている。この孤独感を埋められる手立てがあるとすれば、それはどのようなものだろうか? 前々回、前回から続く話題の対談、いよいよ完結。 社会がコモディティ化し、モノが輝かなくなった 武田:先日、宮台さんがされていた「クルマが輝かなくなった」というお話が非常に示唆的でした。「むかしクルマは輝いていた。いまはかつての輝きはない」とおっしゃっていました。品質の面でいえば向上していると思われるのに、なぜなのでしょうか? 宮台
![【宮台真司氏×武田隆氏対談】(後編)「生活のリアリティ」が「社会のコモディティ化」を打破する|識者に聞く ソーシャルメディア進化論|ダイヤモンド・オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/67231c1eb04b7e4032eb2960e5fe5dd3ccb94f85/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fdiamond.jp%2Fmwimgs%2F5%2Fd%2F-%2Fimg_5d190a58ebbe02b4a3e3113e951b507c67997.jpg)