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社会と宗教に関するtsugo-tsugoのブックマーク (2)

  • むらログ: エジプトぱねぇ! アルカイーダにガチンコ勝負。

    僕は今非常に感動しています。 1月7日が無事に過ぎようとしているからです。 1月7日。 それはエジプトなどにいるコプト教徒にとってのクリスマスです。 コプト教はキリスト教の一種で、アルカイーダから、このクリスマスにテロを行うことを予告されていました。 実際に、大晦日のミサにはアレキサンドリアの教会前で大規模な爆弾テロがあり、少なくとも23名のエジプト人が亡くなりました。 以下は、なくなった一人がFacebookに最後に書き込んだ内容。これが人生最後の書き込みだったなんて、あまりにも悲しすぎます。 さて、日だったら、「集会でテロを起こす」とアルカイーダ並みのテロリストに予告されたら、まず、どんな集会であれ、中止にするでしょう。 エジプトでは、ここからまず違いました。コプト教の人たちは「それではテロリストに屈したことになる」といって、クリスマスのミサを中止しなかったのです。ちなみにミサはイブ

  • スローターハウスの倫理 - 地を這う難破船

    ⇒たとえどんなにエホバが間違っていようとも、私はエホバの側に立つ - すべての夢のたび。 個人の意思は人命に先立つ、という「一般論」は普通に危険思想です。ナチナチ言う気もないけれど、「だから」カトリックを私たちは否定できない。「私たちの命は神の御心だから、人間の意思で命を左右してはならない」。 「意思は人命に先立つ。それが人間の尊厳だから。危険思想かも知れませんが何か?」――それがみちアキさんの一貫したスタンスと思っているけど、「だから」当該の司教にダメを出すことは「探る」までもなく当然と、他人ながら思った。みちアキさんにとって「倫理」の下位概念であるところの「教義」に基づいて他者の意思に干渉しているのだから。 もちろん、みちアキさんは「人命」をなんら問題にしていない。「思い至」るまでもなく「妊娠4ヶ月の胎児の命も1歳児の命もその重みに大差はないと考えている」ことは当然と他人事ながら思った

    スローターハウスの倫理 - 地を這う難破船
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