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ブックマーク / note.com/shinshinohara (6)

  • 優等生は「テヘペロ」力を身に着けよう|shinshinohara

    私は子どもの頃、失敗するとひどく落ち込む子どもだった。 中学生になった頃、父親から言われた。「お前は失敗するとひどく落ち込む。けれど周囲からしたら面倒くさいだけ。「あはは!やっちゃった!すんません!」って笑うくらいのほうが頼もしく思えるものだよ」 私はそれもそうか、と思った。 今思えば、ひどく落ち込んで見せるのも「これだけ反省して、自分を責めてるんだから、これ以上僕を責めないでね、もし責めたらそれはあなたが極悪人ということだからね」という防御壁を設けていたのだと思う。責める人を道徳的に反撃する構えを見せていたわけ。そりゃ面倒くさいわ。 それから何年もかけて、失敗したら落ち込むクセをなるべくやめ、代わりに「あー!やっちゃった!ごめーん!てへぺろ!」と、朗らかに笑って謝るスタイルへと移行した。すると周囲は「こいつ失敗したくせに」と思いつつ、「しゃーないな」と笑って許してくれることが増えた。切り

    優等生は「テヘペロ」力を身に着けよう|shinshinohara
  • 体験欠乏症|shinshinohara

    お金もらうわけにいかないし、晩飯だけべさせて」という約束で家庭教師をしていたことがある。指導することになったその子の状況について、家族全員に説明していたところ、その子の妹が不思議そうに「なんで文章みたいに話せるの?」と聞いてきた。 その家族の会話は、ほとんど単語で終わっていた。「ねえ、○○は?」「おい、△△しろ」その場の状況から察することができるから、単語で事足りる生活をしていた。状況から察する能力があるのだから、頭は悪くない。ただし、言葉を鍛えられる環境にはなかった。 もちろん家族の誰も、を読む習慣がなかった。「文章」と出会うのは、学校の教科書くらい。そんな生活環境の中で、私のように「文章」のように論理を組み立ててしゃべる人と出会って、その妹は驚いたようだ。 そのような生活環境で言葉を鍛えることができるかというと、難しい。言葉を鍛えなければ、学校の勉強についていくのも難しくなる。何

    体験欠乏症|shinshinohara
  • 「子ども食堂、フードバンク」考|shinshinohara

    子ども堂やフードバンクの問題を考える際、注意しなければならないことがある。子ども堂に通う子供の親御さん、あるいはフードバンクに品をもらいに行く方に、仕事はあるのか、低賃金で苦しんではいないか、という問題。その問題さえ解決すれば、子ども堂やフードバンクは、来不要。 確かに、今日の事に事欠く、という人に品を届けるのは重要。その機能として、子ども堂やフードバンクの存在意義があるのはその通り。しかしこれは緊急事態対応。中長期的には、なぜべるのにも事欠くような子供や大人が発生しているのか、という点に目を向けなければならない。 だから、当に必要なのは、子ども堂に通う子どもの親に何らかの形でアプローチし、もっと賃金の良い仕事を紹介するとか、フードバンクに来た方には、もし仕事の面で不安・不満があるなら、その相談に乗り、改善を図ることが大切。 しかし、どうも世間では、子ども堂やフード

    「子ども食堂、フードバンク」考|shinshinohara
  • 「よそ者」考 郷に入っては郷に「驚け」|shinshinohara

    「よそ者」考。 農業の研究やってると、よそ者が農村に入ってきてイザコザが起きる話をよく耳にする。多いパターンは、大企業勤めの経験のある人が「このど田舎に俺の貴重な経験を教えてやろう」というもの。そして村の慣習を因習と決めつけ、偉そうに説教始めて、疎まれるタイプ。 関係がこじれると、もと都会人は「田舎者めらが!」と見下し、田舎にもともといる人は「なんや、感じの悪い人」となる。都会人が田舎に新風を入れてやろう、と、自分が優位に立ってると考えるとき、よそ者は不適応を起こしがちな気がする。 他方、すんなり順応する「よそ者」も少なくない。 「えー!これどうやったらできるんですか?」「うわー、こんなの、頂いていいんですか?」田舎で目にするもの耳にするもの、全て新鮮で驚き、面白がるよそ者には、みな親切。そして寄り合いがあれば「あの若者に、よそから来た視点を教えてもらおうよ」と、「よそ者」の話に耳傾けよう

    「よそ者」考 郷に入っては郷に「驚け」|shinshinohara
  • 落ち着き始めた被災地に必要なのは「無料の供給」ではなく「お金を伴う需要(消費)」?|shinshinohara

    阪神淡路大震災の時、散髪屋さんがボランティアで無料散髪。被災者にとても喜ばれ、定期的に開催した。 被災地が少し落ち着いてきたある日、地元の散髪屋という人から声をかけられた。 「あんたは善意やろうけど、それやられると、ワシら生活でけへんねん」 それできっぱり、無料散髪をやめた。 サービスを受ける消費者からすると、タダで散髪してもらえたらその分生活費が浮き、助かる。しかし散髪屋は全く客が来なくなり、収入がゼロになり、生活できなくなる。その人は「消費者」でさえいられなくなる。すると、社会から一人、消費者が消える。結果的に消費が減り、誰かの収入が減る。 無料というのは、究極のダンピング(不当な安売り)。消費者は生活費が浮いて助かると考え、ついそのサービスを受けてしまうが、そうすると、そのサービスを有料で提供することで生活している労働者であり消費者の生活を破綻させる。無料、あるいは不当に安いサービス

    落ち着き始めた被災地に必要なのは「無料の供給」ではなく「お金を伴う需要(消費)」?|shinshinohara
  • 読解力より、音読み単語|shinshinohara

    今の子どもは人工知能より読解力がない、と警鐘鳴らされてるけど、もう少し丁寧に考える必要がある。 私が塾を主宰していた時でも、公立中学で偏差値55以下だと「音読み」の熟語に反応できていなかった。意識、思想、速度、制御、提示・・・音読み熟語を聞いてもピンとこず、ポカンとしてしまう。 そうした子どものご家庭は、NHKを見ない、見たことがないというケースが非常に多かった。見るのは民放のバラエティー番組ばかり。「NHKなんか見る人、いるんですかね?見たい番組一つもないのに、なんで受信料払わなきゃいけないのか」と文句を言ってる親御さんが多かった。 家庭での会話は、単語が多い。文章になっておらず、せいぜい単語は2つ。 そして、音読み単語はほぼ使わない。家庭じゃなく、ウチ、いえ。会話じゃなく、おしゃべり。単語じゃなく、ことば。 このツイートの前半に使っている音読み単語でも、私が指導していた子どもの多くがピ

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