2011年5月24日のブックマーク (9件)

  • 詩は認識を遂行する記号システムである - 現在思想のために

    『知覚の哲学』(ちくま学芸文庫、7月10日刊行)でメルロ=ポンティがマラルメに論及しながら、〈詩的認識〉について述べているところがある。該当する箇所を引用しよう。 言葉は自然の事物を表意するためにつくられたものです。すでにかなり以前に、マラルメは言語の詩的用法を日常談話から区別しました。おしゃべりな人が事物の名を口にするのは、ただ「何が話柄であるか」を言うために、手短に事物を指すためでしかありません。これとは反対に、詩人は――マラルメによれば――事物のふつうの名称を別の名称と取り換えます。ふつうの名称は事物を「周知のもの」として指示しますが、詩人はこの種の名称を、事物の質的構造を記述し、私たちをこの構造にはいり込ませるような名称で代替するのです。世界について詩的に語るということは(……)、ほとんど発言せず、黙っていることです。実際、マラルメが沢山の詩篇を書かなかったのはよく知られています

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/24
    メルポンはソシュールに依拠してたと。"マラルメは、伝達の手段としての言語とは異なる詩的言語の必要を主張し、語と語の結合が生みだす音楽的効果から、事物の純粋な観念が立ち上ってこなくてはならない、と説いた"
  • 磯部涼「音楽の(無)力」 - ビジスタニュース

    磯部涼「音楽の(無)力」 2011年05月24日00:00 担当者より:音楽ライターの磯部涼さんに、311以降の状況を踏まえ、音楽の力について論じていただいたものです。磯部さんは今年の夏にこれまでの原稿をまとめた『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)が刊行予定で、そちらも要注目です。 更新日:2011/05/23 3月11日14時46分、その時、部屋に流れていたのはアンテナのベスト・アルバムだった。早春の午後の柔らかな日差しに、如何にも80年代的な音色を纏った薄いサウダージがぴったりで、実に良い気分だったのを覚えている。そして、あの地震が起こった。筆者は渋谷区在住のため、被害は床に積んであったCDやレコードが倒れたぐらいで大したことはなかったのだが、それでも経験したことのない揺れで何処か非現実感があった。同時に、その間も鳴り続けていた音楽が上滑りして行くような妙な感覚が印象に残

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/24
    イージーな応援ソングより現実をリデザインする音楽を、と。
  • 「小室直樹博士記念シンポジウム」 視聴メモ - Freezing Point

    いろんな意味で刺激的であり、すべて拝見した。 http://www.ustream.tv/recorded/13116411 http://www.ustream.tv/recorded/13120051 http://www.ustream.tv/recorded/13123376 http://www.ustream.tv/recorded/13125164 ウリ/グァタリの制度論を経由して聞く「構造-機能分析」の顛末。 【参照PDF】 考える方針それ自体が、主観性や集団のあり方を強く規定する。 ある理論事業は、「理論的に考えるとはどういうことか」をめぐる態度決定の終わったあとの試行錯誤になっている。 精神分析に出会い、システム論を生み出した時期のパーソンズは、個人的な危機にあった? 社会システム論じたいが、症候論的創出だったかもしれない。 【参照】*1 ▼選びとられた理論方針は、その

    「小室直樹博士記念シンポジウム」 視聴メモ - Freezing Point
  • SYNODOS JOURNAL : Bad Science 「デタラメ健康科学---代替療法・製薬産業・メディアのウソ」に寄せて 菊池誠

    2011/5/2319:43 Bad Science 「デタラメ健康科学---代替療法・製薬産業・メディアのウソ」に寄せて 菊池誠 2010年夏、日学術会議がホメオパシーについての会長談話を発表した。ホメオパシーには効果がないから、医療に使うべきではない、というのがその内容。 ホメオパシーは200年ほど前にヨーロッパで始まった民間療法(代替医療なんていうしゃれた言いかたもある)のひとつだ。そういう特定の民間療法に学術会議会長がわざわざコメントを発表するなんて、異例の事態なのだけど、それくらい、学術会議はホメオパシーの流行に危機感を持ったわけだ。なにしろ、ホメオパシーに頼って、きちんとした医療を受けなかったばかりに、亡くなった人もいるというのだ。 健康や医療は怪しい話の宝庫だ。当はなんの専門家ともいえないような人たちが、専門家のような顔をしてテレビや雑誌で無責任な思いつきを話し、みんなが

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/24
    "理系か文系かなんていうのはただただ不毛な話で、どちらであれ、ダメな人はダメということじゃないかな"
  • new book - 'Landscape of the Mind: Human Evolution and the Archaeology of Thought' - my mind on books

  • 最近の女児向けアニメが自由すぎてヤバい。part1

    テレビ東京系列で放送中の女児向けアニメ「ジュエルペット サンシャイン」第7話より。朝9時半からやりたい放題やってます。うp主はこれ以前のシリーズ(無印、ティンクル)を見ていないので詳しくはわかりませんが、こんなのは今作からだとか。他にも(いい意味で)酷い話が多いのでちょくちょく上げていこうかなと思います。ジュエルペットサンシャイン迷シーン→mylist/25466413

    最近の女児向けアニメが自由すぎてヤバい。part1
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/24
    こんどみる
  • Toward the Sea : エクリチュールとフィクション  (デリダ、蓮實重彦、あるいはロラン・バルト)

    読書ノート(ほとんど引用からなっています)蓮實重彦は2005年5月、ソウルで開催された「世界文学フォーラム」(テーマ:平和のために書く)での講演で冒頭の簡単な導入後、次のように語り出す(「『赤』の誘惑」をめぐって)。 「葛藤」や「無秩序」への私の執着は、言語をめぐるごく単純な原則に由来している。それは、ある定義しがたい概念について、大多数の人間があらかじめ同じ解釈を共有しあってはならないという原則にほかならない。とりわけ、文学においては、多様な解釈を誘発することで一時の混乱を惹起する概念こそ、真に創造的なものだと私は考えている。そうした創造的な不一致を通過することがないかぎり、「平和」の概念もまた、抽象的なものにとどまるしかあるまい。 このように述べた後、《「フィクション」という単語の意味をめぐる大がかりな不一致》を取り上げる。今日の理論的な考察の基盤にある西欧的な思考にとって、「フィクシ

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/24
    デリダ-サール論争に言及あり
  • Amazon.co.jp: Understanding Knowledge as a Commons: From Theory to Practice: Hess, Charlotte, Ostrom, Elinor: 本

    Amazon.co.jp: Understanding Knowledge as a Commons: From Theory to Practice: Hess, Charlotte, Ostrom, Elinor: 本
  • iPhoneネコババしたついでにTwitterアカウントも乗っ取り(?)

    隆元さんが@つけない書き方なので一覧用に。 5/19 19:30より前の@Gen5ryu5あてMentionはTwitter検索APIの不調で拾えませんでした。 (5/24追記:「わかりにくいので色分けしろ」とのご要望が複数ありましたが、読む方も混乱の何分の一かを味わってみるといいかも、という思惑から、登場人物名以外の色付けは見送りました。あとめどい。あしからず)

    iPhoneネコババしたついでにTwitterアカウントも乗っ取り(?)