「現代存在論入門」のためのスケッチ 第一部 http://bit.ly/hLCRzT 第二部 http://bit.ly/euK3rf とても参考になる便利な論文だけど、入門向けというには内容が高度かな。後で類似性唯名論を取り上げるなら、普遍を類似で説明するのは循環になるかな
ちょこっとまとめた。99-02年ぐらいまでの詳細な著作&活動資料がどこかにあるかと探してみたが、全然ない。この時期が最も不安定、あるいは先の読めない契機に満ちていた時代だったように覚えている。 Wikipediaの項目にある「2001年には、『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』を発表。これは『ユリイカ』誌上で2001年に連載された「過視的なものたち」をまとめたものであり」というのは、『誤視覚化論(仮)』がどうやら全面書き直しになるようだ、と当人から告知されたあと、書き直されたあとの第一章がユリイカに連載されたという経緯がある。もともとはInterCommunication連載記事だった「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」(近々、河出から文庫化されるらしい)の書き直しあるいは継続路線と目される本となるはずのものだった。 続きを読む
Kensuke SUZUKI @kskszk うかつなことを言うと「不謹慎」と非難される風潮への批判が目立ってきました。あるいは、日本人としての一体感を鼓舞したり、政府・技術者への無条件の感謝を捧げる声に、戦争中のナショナリズムに近いものを感じる人もいるようです。この点について、少しだけ考えてみます。 2011-03-16 10:49:29 Kensuke SUZUKI @kskszk まず、こうした思考法は、特に社会学において顕著だと思います。戦後のある時期からの社会学は、行政官のための道具作りのような仕事だけでなく、マジョリティの視点や常識的な見解からでは見えてこないリアリティを映し出すことが重要だ、という立場をとってきたからです。 2011-03-16 10:51:15 Kensuke SUZUKI @kskszk それとは別に過去の研究で参考になるのは、R.K.マートンが『大衆説得
蒼龍 @deepbluedragon @totojuni_sanche 自由意志は心の哲学っぽい話もあるけど、結局は決定論か非決定論かの違いしか基本的にはなくて、せいぜい量子論による確率論を加えられる程度。自由に感じるけど決定論なんて議論は簡単だが、結局この辺りは堂々巡りの不毛な領域である可能性が高いかも ととじゅに @totojuni_s 確率論ということで言えば、「神の意思」はサイコロ問題であると昔誰かが言ってたな。パスカル的な雰囲気の話だけれど。 RT @deepbluedragon: 自由意志は心の哲学っぽい話もあるけど、決定論か非決定論かの違いしか基本的にはなくて、量子論による確率論を加えられる程度。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon フランス思想界隈でユングの名を持ち出すと激しく噛み付かれるらしい。中村雄二郎がフランスに招かれて講演したときにユングの名を挙げただけでデリダらにこっぴどく非難されたとか。原因はナチス。内容に関係なく無条件にユング即ナチスと関連付けて叩く風潮がフランスにはあるとのこと。 2010-12-26 01:08:57 7 @object_7 デリダは親ナチ的な評論書いて叩かれたド・マンを擁護していたのにRT @Abraxas_Aeon:[...]中村雄二郎がフランスに招かれて講演したときにユングの名を挙げただけでデリダらにこっぴどく非難されたとか。原因はナチス。内容に関係なく無条件にユング即ナチスと関連付けて叩く風 2010-12-26 01:13:49
しんじけ @shinjike @tenapi 自我の問題は中学生には重すぎるテーマかもしれません。たとえば、野矢茂樹の『無限論の教室』などは、中学生でも十分理解できることばで、数学の哲学入門を論じた傑作だと思っています。『数学ガール』に近い感じですね。海外にはないけど日本にあるのはこういうすぐれた入門書かも。 2010-12-12 19:24:01 @tenapi @shinjike 中学生相手に「心は本当にあるのか」なんて言っても聞く耳ないでしょうねえ... たしかに「無限ってなに?」ならいいかもしれない。でも「先生、くろもじがありません」って、いまの中学生はわかるのかな。 2010-12-12 19:28:49
@assazi 慶応出身でM・フランクの下で学位を取得した澁谷さんのシェリング研究。Rie Shibuya 'Individualtiaet und Selbstheit' http://amzn.to/cGyydB @ttt_ceinture これなんて読む名前だったっけな…。RT @hyshk ユクスキュルと並んでハイデガーが影響受けたEmanuel Rádlというチェコの生物学者、日本でほとんど紹介されてないんじゃないか。英・独の文献以外で見たことない。 @ttt_ceinture ドスのDG伝のジャン・ヴァールの箇所を拾い読みしてたら、戦後フランスにおけるニーチェ読解の転換点に、バタイユ、ヴァール、イポリットらがいた「マルセル・モレを中心とするサークル」に青年時代ドゥルーズがいた、とかキルケゴールやホワイトヘッドをドゥルーズに教えたのはヴァール、とあった。
@someru @someru 鼎談で参加した本が二冊続けて出ました。どっちも読み応えすげえ。まず「エクス・ポ」テン/イチ号でばるぼらさんと大谷能生さんとオタクとサブカルの話してます。オタクとサブカルというか「今どきオタク対サブカルという対立軸で話すんのなくない?」みたいな話。http://ex-po.net/ 2010-11-23 02:29:50 @someru @someru さて「エクス・ポ」の鼎談では、今あるオタク・サブカル対立の最古に近いケースとして、ニフティのオタクアミーゴス会議室で伊藤剛さんが受けた扱いについて言及できたことが僕の発言の中では意味のあるものだと思ってます。(続く) 2010-11-24 05:07:29 @someru @someru 件の会議室の議論で分かりやすいのはエヴァについてです。一言で言うと当時の「オタク」は諧謔趣味で、本来なら価値のないアニメをあ
ゲーム性に関する、「行動選択の幅の広さ」を重視するcatfistさんと、「目的と手段の連鎖」に注目するsirouto(まとめ人)の議論。 siroutoが何を言いたいのか分かりにくい場合、後半10ポストの説明を先にご覧下さい。なお、マリオの話が言いかけですが、次に回します。 【前回】 続きを読む
三谷武司 @takemita 初期のルーマンは「事実的行為のシステム」みたいな言い方をしますが、ここに見られる「事実的」という形容は、後期の「Es gibt Systeme」と同じ意味です。つまり、「システム」とはモデルの名前ではなく、対象の名前だと。 三谷武司 @takemita 経験的研究と規範的研究の橋渡しを目指すシステム理論にとって、この「事実的」という限定は、とりあえず「経験的」の方に偏向することを意味します。モデルであれば、規範的(合理的)に立てることができますが、それを禁じているわけですから。 三谷武司 @takemita システムの形容詞としての事実的・現実的・具体的はほぼ同じ意味で、それに対立するのがモデル的・分析的という形容です。ルーマンがこの区別を持ち出して前者の立場を強調するとき、念頭に置いているのは、後者の立場をとっているパーソンズ理論です。
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