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人生と書誌に関するtsuneaki02のブックマーク (9)

  • 怪男児が吾妻ひでおから聞きまくった『失踪入門』 ~床屋に行くのも社会性の一歩:日経ビジネスオンライン

    ひでお氏は、知る人ぞ知るギャグマンガ家である。 1969年にデビューしたあと、『やけくそ天使』、『不条理日記』などで注目を集めるが、80年代半ばから作品の発表が減り始め、89年と92年に仕事を放棄して長期間失踪してしまう。その後、アルコール依存症で精神病院への入院も経験するが、自身の失踪経験、アルコール依存症経験をギャグ仕立てに描いた『失踪日記』が2005年にベストセラーとなり、多くの賞も受賞する。 書は、『失踪日記』の熱がまだ冷めやらぬ2006年9月から09年11月号まで雑誌に連載された「失踪入門」に加筆修正したものである。 往年のギャグマンガ家のベストセラー人気に当てこんだ企画は、吾マンガのファンを連れてきて吾氏に人生の教えを請おうというもの。言っちゃあ悪いが、2匹目のどじょうを狙った、安直な企画だ。 師匠も真っ青の弟子が入門 第1回の対談でも、「栄えある失踪入門者第一号に名

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  • 愛するということは、自分の精神と身体の喜びを拡大させるものを好むこと:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (「わたしは愛する【2】」から読む) 内在と超越 すでに考察してきたように、ストア派の哲学には、自分に親しいもの(オイケイオーシス)を愛すること、自己を愛することから始まる道徳の考え方を示していた。これは外的な価値観、自己から超越したものに依拠する必要がないという意味では、「内在」の哲学の考え方と呼べるだろう。外部にその権威をもたず、誰もが自分の心にたずねてみるだけで、納得できる考え方なのだ。 この超越に対する内在という概念は、すでにプラトンが提起していたものだった。プラトンはごく初期の対話編『エウチュプロン』において、敬虔とは何かという問いを提起している。そしてそれは「神が愛するものだ」という答えを聞いて、「神が愛するものが敬虔なのか、それ

    愛するということは、自分の精神と身体の喜びを拡大させるものを好むこと:日経ビジネスオンライン
  • 失業者マックス・ヴェーバー、負け戦から「天職」をつかむ 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ヴェーバー著:日経ビジネスオンライン

    マックス・ヴェーバー(1864年生―1920年没)は優秀だった。 25歳で法学博士となり、30歳で大学教授だ。 晩年に行った講演では「教授就任は幸運だった」と謙遜しているけれど、運であれ実力であれ、彼の人生が良いスタートを切ったことは間違いない。風は順風、広げた帆いっぱいに受けとめて、滑るように出航していったのである。 ところが港を出た直後、不意に横波を受けて、船はたちまち転覆してしまう。ヴェーバーは神経を病んでしまったのだ。そのため33歳で辞表を提出、その後、54歳になるまで教壇には戻れなかった。 いったいヴェーバーの神経を何がそんなに痛めつけたのだろう。 失業者ヴェーバー 晩年の講演では、大学の先生の仕事は「研究者」と学生を指導する「教員」のふたつだと語り、「研究者としてどれほど優れていても教員の務めをきちんと果たせなければやっていけない」と強調している。すると、若いヴェーバーは「教員

    失業者マックス・ヴェーバー、負け戦から「天職」をつかむ 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ヴェーバー著:日経ビジネスオンライン
  • 自殺の「理由」なんて、デュルケームは信じない:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 大学の教室で 今から数十年前、ぼくが二十歳前後のときだ。 大学の教室で、ぼんやりと講義の始まりを待っていると、友人がひどく真面目な顔をして近寄ってきた。 彼は小さな声で、同級生のAが自殺したと言った。 その瞬間ぼくは、まるで熱いストーブに手が触れて飛び上がるみたいに、席から腰を浮かして、調子はずれの声で「なぜ」と叫んでいた。 いや、ぼくは自殺の理由を知りたかったのではない。 遺書はあったのかとか、何か事情を知っているかとか、そんな詮索をしたかったのではない。 たとえそのような話を聞いたとしても、自殺の理由などわかるはずがないと思っていたのだから。 もちろん、自殺者の最後の言葉が残されているのなら、それを文字どおりに理解することはできるだろう。

    自殺の「理由」なんて、デュルケームは信じない:日経ビジネスオンライン
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 大切なことは、何なのかね? 「正確さ」ではないだろう? マティスは問いかける:日経ビジネスオンライン

    20世紀を代表する画家アンリ・マティス 20世紀を代表する画家をこんなふうに言ってはいけないけれど、アンリ・マティス(1869年生-1954年没)は、いつも、なんともいいかげんなタッチで、しかし、なんと形容したらいいのかわからないくらい、微妙で明るく優しく親密な画面を作る。 こんなふうに絵が描けたら、どんなに気持ちいいだろう! 画面の前に立つと、きっと誰もが美術理論や歴史的価値など忘れて、ただ、こういう絵が描ける人になれたならなあと憧れる。そういう画家なのだ、アンリ・マティスとは。 そのマティスの言葉を、インタビューや取材記事、手紙から集めた、素晴らしいがある。『画家のノート』だ。 マティスが自分の芸術観や制作方法を語っているのだから、美術に関心がある人(たとえばぼく)にはどのページだって興味深い。 では、美術に関心がない人には? それでも十分に読む価値はある。 優れた芸術家やスポーツ選

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  • 「できそこない」のためのマルクスの読み方:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン はじめに~「出来損ない」のためのブックガイド 初めて外国を旅行するときは、誰だって24時間、緊張を強いられるだろう。 朝、目を覚ましても、ぼんやりとしてはいられない。すぐに頭の中で、その日これからの行動を予習し始める。話すべき外国語を組み立て、起こるであろうさまざまなことを想像する。よし、これで準備は完璧だ。そう思ってから、やっとシーツをはねのけ、まるで戦いに赴くかのような覚悟で一日を始めるのである。 ところでぼくは、どこにいても、いつもそういう感じだ。 ものごころついたときから、まるで外国旅行中のような緊張の中で生きている。根的に異質な時空間に投げ込まれたワケのわからなさを感じ、頼りなく、不安と苛立ちに付きまとわれている。人々が何気なく、

    「できそこない」のためのマルクスの読み方:日経ビジネスオンライン
  • ローマ皇帝が「本も読めない日々だけど、おたがいがんばろうぜ」と肩を叩いてくれた:日経ビジネスオンライン

    ぼくの「課題」 なぜならぼくは、できそこないの人間だから。 「自然」に、「普通」に生きることができない。「あたりまえ」とはどういうことか、実感がもてない。 何をどうしたらいいのか、いつも考えて、過剰に意識的に振る舞う。 「コップに水を汲んで飲むだけなのに、なぜそんなに真剣な顔してるの?」 そう聞かれたことがある。「なぜ」だって? ぼくは、何をするにも、正しい位置を測定し、手順を考え、自分を操作し続けなければいけない。「自然」も「普通」もないのだから、きっちり自分をコントロールしなければ何もできない。いつもと同じようにそうしているだけだ。 なんて、めんどうくさいのだろう。 できそこないが生きるということは! どうにかして、せめてもう少し、スムーズに自分をコントロールできないか。 これが10代からの、ぼくのひとつの課題だった。 いつか考えよう、というわけにはいかない。既に人生は、生活は、始まっ

    ローマ皇帝が「本も読めない日々だけど、おたがいがんばろうぜ」と肩を叩いてくれた:日経ビジネスオンライン
  • 出口なし - 内田樹の研究室

    『日辺境論』の書評がだいぶ前の「赤旗」に出ていた(昨日、アダチさんがファックスしてくれた)。 いろいろな媒体に取り上げられたけれど、「赤旗」とはね・・・ 代々木の(けっこう)えらい党員知識人であるところのワルモノ先生と共著で『若者よ、マルクスを読もう!』(仮題)を執筆中であることは党部のすでに知るところであろうから、「ウチダは代々木的には OK」というご判断がくだったのかも知れない。 私は右も左もなく、頼まれればほいほい寄稿する。 国民協会でも(ボツになっちゃったけど)、『第三文明』でも、『月刊・社民』でも、『赤旗』でも、身体が空いていれば、取材も寄稿も「いいすよ」と引き受ける。 私は政治イデオロギーによって人を差別しない。 人々が固有の政治イデオロギーを奉ずるに至るには、余人には窺い知れぬ個人的ご事情というものがあって、それはやはりできる限り配慮せねばならないと思うからである。 そ

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