projects year 2008200920102011201220132014201520162017201820192020202120232024
projects year 2008200920102011201220132014201520162017201820192020202120232024
2011年7月30日(土) 13:00~17:30、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館 講堂において、特別集会「被災地の博物館に聞く」が開催された。 全国の博物館職員と関係者が集い、被災地の博物館職員の方から震災後の状況についてじっくりと話を聞くというのが第1の趣旨で、それによって情報を共有し、精神的に支援するとともに、今後の連携のあり方を考えるというのが2番目の趣旨である。 講演者は岩手県立博物館から赤沼 英男 氏(保存科学)、陸前高田市立海と貝のミュージアム及び陸前高田市立博物館から熊谷 賢 氏(考古学)、陸前高田市立博物館から砂田 比左男 氏(昆虫学)、多賀城市教育委員会から高倉 敏明 氏(考古学)、仙台市博物館仙台市史編さん室から菅野 正道 氏(歴史学)、東北学院大学博物館から加藤 幸治 氏(民俗学)、福島県文化振興事業団福島県歴史資料館から本間 宏 氏(考古学)だった。 赤沼さ
「雀隠れ日記」さんが、東京帝国大学附属図書館ネタを投入している→「北原放二」 そこに挙がっている北原放二(本名・加藤素治)司書の同僚について、私の過去のエントリーをまとめると、次のとおりである。増田については、その後、書物蔵「屠れ米英われらの敵だ! 分捕れLCわがものだ!!`・ω・´)o ……。 ん?(・ω・。):図書館の日本性論争(あったかもしれない大東亜図書館学 ; 3)」『文献継承』18号という決定版が出ている。 ・増田七郎 「東京帝国大学附属図書館司書増田七郎」(2007年7月8日) 「東大附属図書館司書増田七郎は増田義一の養子だった」(2010年2月17日) ・渋川驍(本名・山崎武雄) 「東京帝国大学附属図書館司書渋川驍」(2007年5月11日) 「渋川驍が東大図書館を辞めた理由」(2008年6月22日) ・河合博・鈴木繁次 「図書館員も差配した中田邦造司書官」(2007年4月6
最近、ギョーカイの流行りコトバに「MLA(えむ・える・えい)」といふものがあるらすぃーが(海外ではALM(あるむ)とぞ)。 天地の別れし始め、ってか、近代の初め、博物館、図書館、文書館はそもそも不分明のものであった。 ところで、最近、国会サンが戦前期「雑誌記事索引」を開発したの、知ってた?(σ^〜^) いちど、皓星社の戦前期雑索にからんでクサしたことがあったけれど、それはともかく、記事索引は調べ物をする上で必須のもの。日本ではなかなか索引事業はうまくいかなかったんだけれども、ぢゃあ、戦前からぜんぜんなかったのかといえば、そうでもない。だとすれば、最初に日本でやったのは誰?という疑問がわくのは理の当然。 金沢に武蔵が辻あり… きのふのリブロ古書市で、ここ5,6年さがしていた稀書を得た 金沢武蔵家おぼえ書 / 中村春江. -- 〔中村春江〕, 1979.4 ※所蔵:国会、石川県立、金沢市立、七
坪内祐三氏も『週刊現代』の書評でほめてた駒村吉重『君は隅田川に消えたのか 藤牧義夫と版画の虚実』(講談社)。同書によると、小野忠重「回想の藤牧義夫」『藤牧義夫』(かんらん舎、昭和53年)に藤牧が昭和9年「隅田川両岸画巻」を描いたきっかけに関連して本所図書館長の山田正佐が出てくるという。孫引きすると、 その頃私の向島の家の近くの本所図書館長でまもなく日比谷図書館長となる故山田正佐さんの好意で、貴重書の「隅田川両岸一覧」が借りられて、私が彼に見せたのが直接の動機だった。館林から出ていらいほとんど隅田川周辺の東京にくらす彼が感激したのは当然であった。 小野が藤牧について書いた内容は、虚偽が多いとされるが、「貴重書」とある北斎の『隅田川両岸一覧』についても、大正6年の復刻版であることが、大谷芳久『藤牧義夫 眞偽』で明らかにされている。小野が山田の名前を出した意図は不明だが、山田の経歴を『簡約日本図
『図書館雑誌』昭和12年7月号の「彙報」欄で、第一書房の長谷川巳之吉が林繁三の紹介で日本図書館協会の特別会員として入会していたことが判明。この林は、『簡約日本図書館先賢事典』によると、 林繁三 はやし しげぞう 1896−1948 1本籍又は生地:福岡、2最終学歴:1921/東大、3職歴:1927/台中州立図書館長,1929/図講聴講生修了,帝国図書館司書官,1945/退職,北海道水産会社に就職,1948/国立国会図書館部長に就任すべく上京中死去 昭和12年の帝国図書館というと松本喜一館長に、岡田温、加藤宗厚、舟木重彦*1らが司書だった時代である。 林は長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』にも出てこない人物だが、どういう関係があったのだろうか。 美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉 作者: 長谷川郁夫出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2006/08/22メディア: 単行本
東日本大震災の津波で傷んだ写真のデジタル化を進めてきた宮城県山元町は30日、画像データ検索システムの運用を始めた。推定70万枚程度という町内の被災写真を捜し出す有効な手段になりそうだ。 町ふるさと伝承館に専用パソコンを2台設置。地域やキーワードを入力することで、被災写真のデータを検索できる。町内8カ所の仮設住宅集会所にも順次配備する。 津波で流失した町内の写真は約15万枚で、アルバムは約7500冊(推定50~60万枚)に上るとみられる。このうち、当初の検索対象は磯、上平、中浜、町の各行政区で見つかったアルバム450冊。将来的には全ての被災写真を検索できるようにする考えだ。 被災写真のデジタル化作業は、山元町にボランティアで入っていた日本社会情報学会の若手研究者でつくる災害情報支援チームが4月、町の協力で始めた。 ボランティアが写真を洗浄し、デジタルカメラで複写。インターネット接続大
楽しそうだなあ。 【NII・学術ポータル担当者研修 (H23)】 Webを使った新たな学術情報の提供・発信サービスを企画する ・概要 - http://www.nii.ac.jp/hrd/ja/portal/ 続きを読む
レンズの口径が3.8メートルと国内では最大となる光学赤外線望遠鏡が、岡山県浅口市に完成した。将来の望遠鏡のために新しい技術を満載し、大きな割に機動的に動かせられる。宇宙で突発的に起…続き 銀河誕生の謎探れ 130億光年見通す望遠鏡の仕組み [有料会員限定] ケプラー宇宙望遠鏡が引退 太陽系外惑星を多数発見
日本IBMは8月1日、国立国会図書館が進めている蔵書のデジタル化作業に関連して、全文テキスト化システムのプロトタイプを開発、提供したことを発表した。 同プロトタイプは、IBM東京基礎研究所が開発した、一般のユーザーと視覚障がいをもつユーザー、アクセシビリティの専門家などがインターネット上で協働し、Webページのアクセシビリティを向上させるSocial Accessibilityのコンセプトが応用されており、多数の作業者がWebブラウザ経由で同時に協調して作業することを可能にする。ひらがなやカタカナ、漢字、ルビ、縦横書きの混在など、日本語特有の問題を解消し、明治以降の日本語書籍の全文テキスト化作業の効率化、全文テキストデータ検索および表示などが実現できるという。 具体的には、Webブラウザ経由で多数の文字校正者が同時に作業を行う「共同校正機能」を実装し、校正の作業結果をOCR(光学式文字認識
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く