(1)の続きです。 近世・近代の「実学」についてのイメージとは別の切り口でも少し考えてみたい。 何故か生き生きと「学問」している人々を描く小説 最近読んだ冲方丁の歴史小説群は、『光圀伝』にせよ、あるいは『天地明察』にしてもそうだが、なんだか実に生き生きとして「学問」する人々が出てくる。印象的なのは、筋骨隆々のマッチョなお侍ほど、若さと体力に任せて力いっぱい「読書」することだ。それが「文武両道」なのだと言わんばかりに。 皮肉屋で線の細い連中は、それはそれで驚異的に頭の回転が速く、みな書物が好きである*1。相手を論破するために、相手のよっている解釈を批判する文献を血眼になって探したりしている。史実かフィクションかはさておき、ある種の限界状況みたいなところでそれでも学問するしかないと思い定めた人たちの物語なので、私もそうだったが、周りにも勧めてみたら、院生時代を思い出して「身に詰まされる…」とい