浅草・東本願寺境内にある憲政碑 憲政碑(けんせいひ)は、昭和戦前期に立憲政友会に所属して衆議院議員を務めた胎中楠右衛門(たいなかくすえもん)を発起人として、日本近代の憲政における功労者の慰霊を目的に、神奈川県海老名市上今泉の国指定の史跡秋葉山古墳群第2号墳墳丘上と、東京都台東区西浅草の浅草本願寺[† 1]境内の2か所に建立された碑である。 概要[編集] 海老名市上今泉の秋葉山古墳群第2号墳墳頂部にある憲政碑 海老名と浅草の2か所の憲政碑建立を主導した胎中楠右衛門は、1876年(明治9年)高知県に生まれ、10代半ばから生活の拠点とした神奈川県で自由党に入党し、壮士として自由党で活躍する。胎中は壮士として活躍する中で自由党幹部の星亨の知遇を得て、星の門下となる。星が駐米公使となると、胎中は星の後を追うようにアメリカへ向かい、その後約20年あまりアメリカで生活する。 胎中は星亨門下の先輩である横