「中国雑技団の『生きた化石』」 「『最後のボス』が亡くなった」 今年7月。そんな見出しと共に、相次いで中国メディアにある男性の評伝が載った。心筋梗塞で95歳で亡くなったということと共に、中国雑技団の団員として、激動の中国の歴史の渦の中を生き抜いてきたということが書いてあった。 名前は金業勤。私の祖父のことだった。 ラオイェ(姥爷)。 中国語で母方の祖父のことをこう呼ぶ。中国出身の母と日本人の父親がいる私のラオイェ、金業勤は、日本製のカメラが大好きで、北京の自宅にはNikonやCanonのカメラが何台も置いてあったのを記憶している。85歳を過ぎてからパソコンとスマートフォンを習い始め、中国国内で海賊版として出回っていたフォトショップを使いこなし、自分で撮った写真を加工するのが趣味だった。 私はラオイェとは血がつながっていない。中国人の祖母(89)とは、私が産まれた少しあとに結ばれた再婚同士の