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2010年6月24日のブックマーク (8件)

  • オンラインで使える英英辞典 英和・和英辞典 [無料]: 外国語広場 :英語

    【外国語広場のコラム】 ■英語辞書についての解説「英語とのつきあい方(2)」(英英辞典) おすすめの英英辞典の紹介やネットとPCを使った英語辞書の活用方法を解説。 ■英英辞典の比較 - おすすめはユニークなコウビルド英英辞典 ■英英辞典・英語電子辞書の選び方 英語上級者向け電子辞書の比較と選び方。 ■イベント:英語勉強会 Vital English「英語コミュニケーション能力向上の勉強会」

  • 東洋経済オンライン

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  • 英語を死ぬほど勉強してきたからわかる、英語学習のありかた

    前のん: http://anond.hatelabo.jp/20100620143255 前回エントリのブコメ/トラバに逐一答えることはできないけど、眺めていて誤解があったかなと思う点について補足しておく。 まず一つ言っておくと、俺は自分の英語学習の成果としての英語力に「満足している」。俺の英語力は俺に対して果たすべき役目を十分に果たしてくれている。そして同時に、自分には場合に応じてネイティブの力を借りなければならない状況があることを知っている。しかしその自覚は、決して自分のコンプレックスを掻き立てるようなものではない。 なんつーかな、例えて言うなら、超サイヤ人になれなくてもクリリンにはなれる、ってことです。フリーザ一味のザコならガチでボコれるし、フリーザ相手にだって気円斬駆使して、クラッチプレイヤーとしての役割を果たすことはできるわけですよ。しかしやっぱり最終的にはサイヤ人やナメック星人

    英語を死ぬほど勉強してきたからわかる、英語学習のありかた
  • 死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界

    6/21追記: http://anond.hatelabo.jp/201006210004476/21追記2: http://anond.hatelabo.jp/20100621194920俺は英語学習オタクだ。これまでの人生の中で大量の時間を英語学習に費やしてきた。中学校から始めて、日にいてできる英語学習法は殆ど試したと思う。高校時代には学習参考書や問題集を二百冊以上終わらせた。ネイティブの個人家庭教師がついていて、さらにマンツーマンの英会話スクールにも通った。大学は迷わず英語学科を選んだ。大学在学中にTOEFLのスコアは640を超えた(厳密には覚えていないが、目標が640でそれを超えたのは間違いない)。 大学を卒業後、アメリカの大学院の博士課程に留学した。ここでも俺の英語は「通用した」。授業に問題なくついて行き、ディスカッションにも十分に参加できる。タームペーパーや授業でのプレゼンの

    死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界
  • 格差社会と想像力

    http://anond.hatelabo.jp/20070829100649の続き。 何だかえらい数のブックマークが付いていて驚いた。色々なコメントを頂いたが、どれも面白かった。それを読みながら考えたことがあるので、蛇足だろうけど少し書いてみる。 もし仮に、私が高校生のときに自分自身の文章を読んだとして、今の自分よりも賢い人生を送れる自信は無い。むしろ、軽く聞き流して忘れてしまう可能性のほうが高いように思う。自分がハーバード?MIT?寝言にしたって恥ずかしいくらい現実味の無い話だ。別世間の苦労話を聞かされたところで、せいぜい世の中広いのねと思うくらいのものだろう。 実のところ、似たような話をしたのはこれが初めてではない。大学生に話したことも何度かある。留学を既に考えている学生には大いにウケたが、そうでない学生からの反応は薄かった。特に複数の学生に同時に話した時には大概うまくいかなかった。

    格差社会と想像力
  • 地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない

    地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない一連のエントリを見て考えてみた。 俺は現在のと都心にある某私大在学中に知り合って以来、くっついたり離れたりを繰り返しながら同棲結婚に至った。 そしてが子どもを身ごもったときに「身寄りのない都会での子育ては不安がある」と言うので、の実家である寂れた街に引っ越すこととなった。 その地域は、今思い出しても実に特徴的だったと思う。 まず、のように(ましてや女一人で)東京の大学に進学するというのは極めて少数派であることがわかった。そして、東京の大学なんかを出ているよりも地元の高校を出ている方が就職などで有利なときすらあるということもわかった。 何しろ、そこの土地の人たちときたら、東京六大学の校名すらロクに言えないのだ。 俺は、地場の事務機屋に職を見つけて勤めることとなった。そこでまっ先にきかれたのは、「キミは○×

    地域格差と言うけれど、それはそれで一つの需給社会が形成されているのかもしれない
  • re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

    スレ元の増田氏が羨ましくてちょっと書いてみる。 「裕福でないと大学にいけないという幻想」を読んでモヤモヤしていた。 面白くないかもしれないが、ぼくの在郷の話をしよう。 ぼくの田舎は丸ごと貧乏だった。一部土建屋連中が公共事業のお零れに預かりそこそこ儲けていたようだが、大半は世間の六割以下の収入だ。 運命は中学卒業で決まる。ぼくが卒業した十数年前には50名のクラスメイトが居たが8割は山一つ向こうの偏差値最低の屑のような高校に進む。高校くらい出なければ恥ずかしいからだ。そして1割は山を10ほど越えた工業高校へ下宿して進み、ほんの一握りの4名が大学へ行くためにこれも下宿して各進学校へ進んで行った。 当時ですら大学の進学率は4割を軽く超えていたが、我らが田舎から大学に進んだ同級生は4名だった。単純に成績で篩に掛けられ1割が残った。 「裕福でないと大学にいけないという幻想」というのは分かる。努力すれば

    re:努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった
  • 質より量に学ぶ - Radium Software

    Coding Horror - Quantity Always Trumps Quality Art & Fear という芸術家向けのの中に,こんなエピソードがある ― ある陶芸クラスでのこと,最初の授業において,教師は生徒をふたつのグループに分けた。一方のグループは作品の「量」によって評価を行うとし,もう一方のグループは作品の「質」によって評価を行うとした。 これはどういうことかというと,「量」グループの生徒たちは,提出した作品の量のみによって評価が下される。作品の総重量が50ポンドに達していたらA評価,40ポンド台ならB評価,というように。それに対して「質」グループの生徒たちは,たったひとつの最高の作品を提出すればいい。その作品の出来に対して評価が下される。 すべての授業が終わり,さて評価は,となったとき,少し奇妙な事実が判明した。提出された作品のうち,最も高い質を持つものは,すべて

    質より量に学ぶ - Radium Software