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2011年11月18日のブックマーク (5件)

  • セガの社内男子トイレから生まれた「トイレッツ」 血と汗とその他を流した苦闘の物語

    今年の夏、セガ(東京都大田区)の男子トイレでは、かつてないゲームの開発が佳境を迎えていた。店舗用電子POP「トイレッツ」。男性用小便器に取り付け、スピードセンサーで計測された尿の勢いや量で遊ぶゲームで、広告表示ができるというもの。10月に居酒屋「養老乃瀧」チェーン40店で先行導入されると、Twitterやブログで「セガの気」「俺たちのセガ」と話題を呼び、プレーする男性が続出。しかし、構想から5年、11月21日の正式発売までには、ゲームの老舗セガが経験したことのない数々の困難が待ち受けていた。 「女性には理解されないかもしれませんが……」と切り出したのは、トイレッツを発案者で開発チームチーフディレクター、十文字新さん(34)。「ずっと昔から、男の子にとって人生で最初に握るコントローラーだと思っていました。子供の頃、誰もが積もった雪の上に尿で文字を書いたことがあります。これは、コントロールし

    セガの社内男子トイレから生まれた「トイレッツ」 血と汗とその他を流した苦闘の物語
  • 使いにくい風力を使いやすく、東京電力など電力3社が風力発電拡大へ

    風力発電にはさまざまな課題がある。中でも風次第で出力(発電量)にムラが生じやすいことが問題視されている。電力の「品質」*1)が悪く、電力需要とは無関係に出力が上下するため必要なときに電力が得られない、余ったときに対応しにくい……。 *1)風力発電の出力が安定しないと、一定の周波数、一定の電圧で系統に供給できない。 発電のムラを吸収する手法として、幾つかの技術が開発されている。風力発電の先進国であるスペインでは、精密な気象観測と予測を基に全国の風力発電所を連携させることで対応している*2)。 *2)スペインは全発電量の約2割を風力発電に頼っている。これはガス火力(コンバインドサイクル)や水力発電、原子力発電などとほぼ同等の規模である。 六ヶ所村二又風力発電所(青森県六ヶ所村)では、出力51MW(34基)の風力発電機を、容量34MW(17基)のNaS(ナトリウム硫黄)電池と組み合わせている。N

    使いにくい風力を使いやすく、東京電力など電力3社が風力発電拡大へ
  • 粗大ゴミを10キロ58円で処理する方法〜前編〜 - GIGAZINE

    前回のオフィスリフォーム時にも以前から会社にあった大量のゴミを業者に持っていってもらうために6トンほど、全費用込みで大体25万円ほどかかったのですが、今回はそれをはるかに上回るゴミの量。なんとかして安く仕上げたいと思い、いろいろなところに相談してみたところ、「10キロ58円で処理する方法がある」というので、試してみました。業者に持っていくのではなく、自分で処理施設に持ち込むという方法です。 フォトレポートは以下から。 方法自体は簡単で、自治体の持っているゴミ処理施設にゴミを持ち込むというただそれだけ。自動車の後ろに満載して走っていけば計量してくれるので、その重さ分の料金を払うわけです。なお、安い理由は自分で捨てるため。クレーンが焼却炉に捨てる寸前まで自分で作業します。時間はかかりますが格安。1トンでもわずか5800円。業者に頼んだらこの6倍~12倍程度の見積もりでした。また、こちらからも作

    粗大ゴミを10キロ58円で処理する方法〜前編〜 - GIGAZINE
  • チベットへの旅先でマラリアを発症したというlalalacozyさんの顛末がすごすぎる

    LaLa @lalalacozy 嘘みたいな話なんだけど。2回目のマラリアを中国のゴルムドって僻地で発症した時病院で「自己診断マラリアですぅ」っても英語が通じず死にそうになった。英語がわかる中国人にマラリアは中国語で「疟疾(ユェジィ)」というということを聞き出した頃には、体重は5キロ落ちほぼ歩けない状態。 LaLa @lalalacozy 街で一番大きい病因に行ったらもう野戦病院みたいで、だくだく血を流してる人とかいて、自分も死にそうなんだけどとても順番を先になんていいだせず。で、やっと診察してもらったら「急性腸炎だよ」「え?マラリアですよ」医者は急性腸炎とノートに書いた。見れば、自分の前の人も全員急性腸炎の診断。 LaLa @lalalacozy で、とにかく注射しましょうといい医者は紙に「青霉素」と書いた。わからない。別室で尻にまず一打たれた。衝撃が走る。今迄体験したことのないショッ

    チベットへの旅先でマラリアを発症したというlalalacozyさんの顛末がすごすぎる
  • 佐伯矩 - Wikipedia

    佐伯 矩(さいき ただす、1876年〈明治9年〉9月1日 - 1959年〈昭和34年〉11月29日)は、日栄養学者、医師。医学博士[1]。「栄養学の創始者」、「栄養学の父」と称される。世界に先駆けて医学から栄養学を独立させ、栄養研究所、栄養士制度を発展させた。 栄養は保健・経済・道徳の基をなすと「栄養三輪」を唱えた[2]。著書『栄養』[3]では、栄養学だけでなく糧政策にも言及し、魚類を重んじ畜産は小動物にすべきとしている。自分で料理をすることはほとんどなかった[4]。 佐伯が少年時代に育った愛媛県郡中町(現・伊予市)の栄養寺には、佐伯の筆による「栄養」の書と「栄養」顕彰碑が建立されている。 1876年9月1日、愛媛県新居郡氷見村(現・西条市)の医師の家に生まれる。3歳ごろ、愛媛県伊予郡郡村(現・伊予市)に移り、少年時代は北山崎村、郡中町(現・伊予市)で育つ。旧制松山中学校(現・愛

    佐伯矩 - Wikipedia