2007年7月26日のブックマーク (3件)

  • 「どうせオレは」とキミが泣く。

    「そして唐突におっぱい5.0について語りたい是非とも語りたい」ってボクは言って、 「は?お前、なに言ってんの?」ってキミは笑った。よし。 「おっぱいは最初は敵なのだが、適度に乳首をしばくことによって乳首が起き上がって仲間にして欲しそうにこちらを見る」 「うん」 「つまりボクは彼女が欲しい」 「おう、オレも欲しい」 「ボクはキングおっぱいが苦手だ。最初からそこそこ強いのだが、最高レベルが低い。そもそも見た目が下品だ」 「そうだな。並のおっぱいは最高レベルにすると瞑想とか灼熱とか使えるんだよな」 「そう。そしてなにより、冒険の最初から共に歩いていってくれるタイプの良いおっぱいだ」 「まぁな。でも、オレはどっちかというとホイミおっぱいだな。癒し系なの。馬車に入れておきたいタイプ」 「それはまた古風な考え方だな」 「おう、オレは古風だ」 へへへ。とボクが笑って。 ははは。とキミが笑って。 キミもボ

    「どうせオレは」とキミが泣く。
    tubame0604
    tubame0604 2007/07/26
    "ウーロン茶"飲んで語り合えばいいのに・・・。 / それが大人になるってことかもなあ。
  •  『時をかける少女』を見ても死にたくならない。 - Something Orange

    『時かけ』を見ると憂になるというひとがいる。ぼくにはわからない感覚である。 近頃気づいたのだけれど、ぼくにはひとがうらやましいとか妬ましいという気持ちが欠けているようだ。どんなを読んでも、映画を見ても、そんなことを思ったことがない。 ぼくの青春だってべつに明るくはなかった。いまとおなじように、ひたすら図書館からを借り出し、読んで過ごしただけの、灰色の季節。 でも、いまになって思えば、そんなに悪いものじゃなかったと思っている。ひどいこともあった。辛いこともあった。でも、それもまた思い出。 真琴たちには真琴たちの時間があり、ぼくにはぼくの時間がある。それでいいと、いまは思う。 そもそも、人間の人生は、ひと通りの尺度で測れるようなものじゃない。女の子にかこまれて、明るく笑って過ごせたら、それが「正しい青春」で、友達も恋人もなく、悩んだり苦しんだりして過ごしたら、「間違えた青春」だとは思わな

     『時をかける少女』を見ても死にたくならない。 - Something Orange
    tubame0604
    tubame0604 2007/07/26
    鬱になる人・嘆く人は、『不幸話する自分が好き』的な自己肯定だと思ってる。
  • 根っからのビッチなど存在しない説 - CROOK

    こんにちは。貴重なコメントどうもです! ビッチを利用する男性は自分の後ろめたさを直視したくない あー、利用者視点で考えてなかったけどこれはかなりあるでしょうね。むしろコレが全てか。 男に対してそれをいかにもたいしたことでないかのように振舞いますよ。そうしないと相手にしてもらえないから。 確かに大した事があるように振舞われたら離れて行くね!ウゼーで終わり。ホントその通りだ。でヘラヘラしてたら男は安易にビッチ扱いする、と。そういう態度になる背景を読み取ってもらえない。再び傷つく。ものすごい悪循環だ。 ビッチが潔癖症の女性を見下す時には、そうしなければ精神のバランスがとれない自分への自嘲と、そうしなくてもやっていける相手への羨望と、表面しか見ようとしてないことへの嘲笑。そういった気持ちを含んでいると思います。 ああああーこれも思い当たるフシがあるな・・・・。 同じビッチでも知り合いだとそういった

    根っからのビッチなど存在しない説 - CROOK
    tubame0604
    tubame0604 2007/07/26
    ビッチ批判って元を辿れば、『ビッチとヤッてる(利用してる)だけなのにモテてるように振舞う』男性への侮蔑的意味合いが強いんじゃないかしら。事実、ビッチ批判してるのって男性ばっかだし。