米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの所長を務める、「Joi(以下、ジョーイ)」こと伊藤穰一の新書「教養としてのテクノロジー」が2018年3月、NHK出版新書から出版された。わたしは前職でジョーイが共同創業者を務める「デジタルガレージ」で働いていたため、ツイッターやブログ事業など、幸いにも彼とプロジェクトをご一緒させていただく機会に恵まれた。 当時、ジョーイが講演でよく話してた鉄板ネタのひとつに「BIとAI」という概念がある。「BIとAI」といえば昨今、「BI(ベーシックインカム)と「AI(人工知能)」の文脈で語られることが多いが、彼が話したいたことはそうではない。 ジョーイが言う「BIとAI」は「Before Internet」と「After Internet」のこと。インターネットの登場前と登場後で、世の中が大きく変化した、という話だ。 MBA取得者が力を持った「BI時代」
Jxckが以前、SafariのUA文字列が固定されたというのを書いていた。 Safari による User-Agent 固定化と Web における Feature Detection | blog.jxck.io Safari Technology Preview 46で入った変更だ。 Release Notes for Safari Technology Preview 46 | WebKit Froze the user-agent string to reduce web compatibility risk and to prevent its use for fingerprinting TwitterでもAppleのRicky Mondelloがそれを伝えていて、ちょっと騒ぎになっていた。「それは困る」的な反応が結構多かったのと、中には「やっぱりSafariは新たなIE6だ」み
情報管理LOGの@yoshinonです。 最近は、LINEを始めとして、即時性のあるコミュニケーション手段が山ほどありますよね。一歩間違えると、コミュニケーション量が上がりすぎて、疲弊してしまうこともあるぐらいです。今まで人間の歴史の中でかつてないほど、コミュニケーションコストが下がりまくっているとも言えますよね。 今回は、コミュニケーションコストが下がることについて考えてみたいと思います。 今回の記事を書くきっかけになったのは、あるマンガを読んだからです。 「届くこと」と題された、ものすごく短い短編読み切りマンガです。 これですね。 コミュニケーションコストが、下がるとさらにコミュニケーション密度を上げたくなるんだよね。でも、密度が上がっても、質が高まるわけではないということかもね。 届くこと|ミツコ|note https://t.co/4JAjy5fkdF pic.twitter.co
サイバーエージェントとテレビ朝日が共同で展開しているインターネットテレビ局「AbemaTV」が、4月11日で本開局から2周年を迎えた。多様なジャンルの番組が配信されているなか、開局当初から人気が高いアニメチャンネルが大幅に刷新したほか、声優による生放送帯番組といった新しい試みを開始した。その背景などについて、開局当初からアニメチャンネルを担当しているAbemaTV編成制作本部 アニメ局 局長を務める椛嶋麻菜美氏に聞いた。 新アニメチャンネルを告知 (C)2016 川原 礫/KADOKAWA アスキー・メディアワークス刊/SAO MOVIE Project (C)臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK (C)秋本治・アトリエびーだま/集英社・ADK (C)満田拓也・小学館/NHK・NEP・ShoPro (C)猫部ねこ・講談社・東映アニメーション AbemaTVは無料で楽しめるインター
客観評価:★★★★★5つ (僕的主観:★★★★★5つ) キマリこと玉木マリの主人公の視点から物語は始まる。南極を目指す少女・小淵沢報瀬(こぶちざわしらせ)と出会うことにより、何となく退屈な日常の、どこかへ行きたいという気持ちに、具体性がが生まれ、そして、「ここではないどこか」という否定形ではなくて、「そこ=南極」というはっきりとした具体的な場所に、キマリたちは突き進んでいく。 とてもコンパクトでまとまっている傑作なので、ぜひとも「いま(2018年)」に見たい作品なので、頑張れる人は、ぜひとも見ることをお勧めします。あとで対比で説明する『ゆるキャン△』と比べてとても見やすいと思います。同じ日常系・無菌系の特徴である少女がたいてい4人いて、その関係性のみで話が展開するという作品は、通常の意味ではドラマトゥルギーが弱いので、ある種の文脈や、関係性のみにフレームアップすることに安らぎを覚えるという
以下は、ウィリアム・パターソン大学哲学教授のエリック・スタインハート氏の記事 "The Singularity as Religion" の翻訳です。 宗教としてのシンギュラリティ シンギュラリティにまつわる文化と言説のほとんどは、宗教的であると思う。この考えは、部分的には、デイヴィド・ノーブルの本『The Religion of Technology』とロバート・ゲラチの『Apocalyptic AI』を読んだことに基づいている。どちらも素晴しい本である。また、私はテクノロジーと宗教に関する書籍や記事のリストを編集して、ウェブサイトに掲載している。 宗教としてのシンギュラリティは、完全に悪いものではないかもしれない。宗教はいろいろな形でポジティブな力となりうる。少なくとも、シンギュラリタリアニズムは新たなタイプの興味深い宗教運動となりうるだろう。 なぜシンギュラリティは宗教であると考える
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