前作『アルツィーラ』の上演が失敗した後、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場からの委嘱で、1845年の末頃に作曲に着手する。まずヴェルディが次のオペラの題材として選んだのは、ツァハリアス・ヴェルナー(Friedrich Ludwig Zacharias Werner ,1768-1823)の代表的な戯曲『フン族の王アッティラ』であった。この戯曲を基に、フランチェスコ・ピアーヴェに台本を依頼をするが、ヴェネツィアの都市の成立という物語に非常に相応しい題材で書くことにあたって、別の作者の方が良いと考えたのか[1]、直前にヴェルディは作者をテミストークレ・ソレーラに変更する。 しかし作曲は難航し、様々なトラブルが起こる。1845年に『ジョヴァンナ・ダルコ』と『アルツィーラ』を立て続けに生み出したヴェルディは疲労が溜まっていたうえ、リウマチを患って苦しめられる。今度はソレーラが第3幕の後半を下書きのまま