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日本語と文学に関するtweakkのブックマーク (9)

  • 信じられない話だが日本人は学校で漢文を勉強するらしい……中国人オタクの疑問(百元) : 中国・新興国・海外ニュース&コラム | KINBRICKS NOW(キンブリックス・ナウ)

    中国オタク「日人が漢詩を勉強しているってホント?ネタじゃないの?」■ 日の国語の授業では漢文が教えられていますが、その件に関して中国では案外知られていないようです。 私が昔中国現地の学校に通っていた時に知り合った中国人の学生に日の国語の教科書を見せたら、漢詩が原文で載っているのに驚かれたり、書き下し文に関して不思議に思われたりしたなんてこともありました。 先日、中国のネットでこの「日では漢文や漢詩を普通に教えているらしい」という事に関するやり取りを見かけましたので、今回はその辺に関するやり取りを例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。 ■中国オタクの議論 日人が漢詩を勉強しているって聞いたが、ホントなの?ネタじゃないの?なんかどうも信じられないんだが。 日人がウチの国の古代の詩人の詩歌を学ぶなんてできるのか? そら当然だろ。日はウチの国の古代文化の影響が大き

  • [書評]「古文」で身につく、ほんものの日本語(鳥光宏): 極東ブログ

    現代日語と古語を結びつけてやさしく解説した書籍があるといいと常々思っていてので、書「「古文」で身につく、ほんものの日語(鳥光宏)」(参照)を書店で見かけたとき、手に取り捲り、買ってみた。どういう感じなのかと読み出したが、ちょっと微妙である。自分の思い入れがズレた分で批判してしまうのはよくないが、この著者の知識ならばもう少しシンプル(簡素)に、かつプラクティカル(実用的)に、このテーマが書けそうな気はした。 「はじめに」で枕草子でも有名な表現「いとおかし」があり、この「いと」を数年前の流行語「チョー」に対比して説明していた。面白い趣向だと思った。清少納言の「いとおかし」はたしかに「チョーグッド」みたいな印象もある。また、「これは知りたることぞかし」の「ぞかし」は現代の「だよね」と比較されている。この対比も現代人にはわかりやすい。 古語と現代語は違うものだが、言語の機能としては等価な部分

    tweakk
    tweakk 2012/02/04
    「いきなり平安朝の古文を文法として提示するより、変遷の中間点として、唱歌や讃美歌など明治・大正時代の近代擬古文を学んでおくよいのではないか。候文なども併せて教えておくとよい」
  • 江戸時代の人は平安時代の文章をごく自然に読めたのでしょうか? - 古文というと一般に平安から江戸時代の文章を取り扱い、素人目には平安と... - Yahoo!知恵袋

    江戸時代の人は平安時代の文章をごく自然に読めたのでしょうか? 古文というと一般に平安から江戸時代の文章を取り扱い、素人目には平安と江戸の文章は同じようにしかみえません(とはいえ江戸は会話文の中では割と言文が一致しているものも出てきます)が、実際のところはどうなのでしょうか。 鎌倉時代の鴨長明だか藤原定家だかが平安時代の文章がすでに読みにくくなった旨のことを言っていることを聞いたことがあったので質問してみました(でも記憶違いだったらすみません)。

    江戸時代の人は平安時代の文章をごく自然に読めたのでしょうか? - 古文というと一般に平安から江戸時代の文章を取り扱い、素人目には平安と... - Yahoo!知恵袋
  • 中古日本語 - Wikipedia

    中古日語(ちゅうこにほんご)とは、上代日語と中世日語の間に位置する、日語の発展における一段階である。平安時代中期に用いられた。日語の文語体の基礎となる言語である。 平安時代の初期(10世紀)に日語を記したものは漢文・変体漢文と訓点資料(漢文訓読を記号・文字で記した資料)・古辞書を除いて残存資料に乏しく、実態ははっきりしない。一方平安時代末期(11世紀末ころ〜12世紀)には中期とは異なる現象が現れ始め、「院政期」と呼ばれる。院政期は後の鎌倉時代と似た特徴を持ち、「院政鎌倉時代」と一括して考えることがある。従って「中古日語」という時は平安時代の中期を中心に、初期も含めるが、院政期を除いて考えるのが一般的である。そして院政期は「中古」に対して「中世前期」と呼ばれる。

    中古日本語 - Wikipedia
    tweakk
    tweakk 2012/01/07
    「上代日本語と中世日本語の間。…平安時代中期に用いられた。日本語の文語体の基礎となる言葉遣い」「院政期は「中古」に対して「中世前期」と呼ばれる」
  • 文語体 - Wikipedia

    第二次世界大戦前までは特に公文書などで標準的に使われていた。現代の日語における文語は、明治時代からの言文一致運動と、第二次世界大戦後の国語改革の影響により、話し言葉に比較的に近いものになっている。現在の日語で一般的な文体は(書き言葉であっても)口語体とよばれる[注 1]。 文語体は平安時代の京の貴族階級の口語(中古日語)をもとに、以後の言葉の影響も受けながら形成され、口語体とは異なる語彙や文法を持つ[注 2]。 明治期の言文一致運動により、漢文体、和文体、和漢混清体、漢文訓読体、雅俗折衷体、欧文直訳体、和漢洋調和体、普通文など、さまざまな文体が使われ、美文調や高雅体といった新たな文語体が現れた[1]。 明治末、文部省が口語体を主とするよう指導を行う。山夏彦によると、「大正9年(1920年)に三省堂の中学国語教科書がすべて現代文になり、これをきっかけに文語は急速に姿を消していった」と

    tweakk
    tweakk 2012/01/07
    「文語体は平安時代の京都の貴族階級の口語(中古日本語)をもとに、以後の言葉の影響も受けながら形成された」…ということは、平安の貴族階級の狭いサークルの中では、言文一致だったのだろうか?
  • 漢文訓読 - Wikipedia

    漢文を訓読の形にして読解したものを、個別言語・クレオール言語の一種として漢文訓読語(かんぶんくんどくご、英語: Kanbun)あるいは単に訓読語(くんどくご)と呼ぶ。漢文訓読自体は漢文が中国大陸から入るようになった古代の段階で既に存在したと考えられているが、その語形が表記されるようになったのは、9世紀頃とされている。漢文訓読語では、文章そのものには触れず、読解時に日語の文法に合わせて上下を転倒して適切な助詞・助動詞・活用語尾などを補い、それ以外のものは漢語として読んでいく方法が取られる。そのため、訓読自体も漢語の影響を受けやすく翻訳口調になることもある。一方で、その歴史の長さから古い日語の形態を現代に伝える読み方や反対に仮名文字の発生以後行われなくなってしまったものや類似の意味の日語に置き換えられたものもある。 また、漢文訓読語においては、音韻面ではイ音便は~テ・~デ、ウ音便は~ス・

    tweakk
    tweakk 2012/01/07
    「中世以後、初学者や民衆向けに漢文訓読体で書かれた歴史書や儒学書、仏教経典などが現れるようになったほか、軍記物語などにも影響を及ぼしている。江戸時代には庶民向けを中心に広く定着した」
  • 翻訳物の苦手意識について

    癖毛ニャーオ @kusegeN 翻訳ものは、一般人は抵抗強いんじゃないかと。 RT @ashitahaame: 『夜明けの睡魔』といえば昨日たまたま友人Kにすすめたけど、どうやら彼は翻訳恐怖症であるらしい。

    翻訳物の苦手意識について
    tweakk
    tweakk 2010/08/04
    1970年代の翻訳の日本語がすごく好みだ。
  • I AM A CAT の翻訳ごっこ

    @yakumoizuru さん曰く 『1000年後、日語版『吾輩はである』がなにかの拍子に失われており、英訳版だけが残っていたら、翻訳者たちは冒頭をなんと訳すか。"I AM A CAT. As yet I have no name."』 そして、翻訳者たちの暴走が始まった。

    I AM A CAT の翻訳ごっこ
  • 重大ニュース参考記事:村上春樹氏インタビュー 僕にとっての<世界文学>そして<世界>(08年5月12日) - 毎日jp(毎日新聞)

    作家、村上春樹さんがこのほど毎日新聞の単独インタビューに応じた。『海辺のカフカ』(02年)以来となる大長編小説を執筆中という村上さん。多忙な時間を割いて、最近翻訳した名作への思いから出版界の古典新訳ブーム、「9・11」後の時代認識に至るまで幅広く、熱く語った。【構成・大井浩一】 ◇物語の骨格、文章のリズム 名作4作の翻訳通じ学ぶ ■翻訳の限度は50年 村上さんは創作と並行してアメリカ文学の翻訳、紹介に積極的に取り組んできた。そうした中で、「これだけはやりたいと思っていた」重要な作品が、サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、チャンドラー『ロング・グッドバイ』(以下では『L・G』)、カポーティ『ティファニーで朝を』の四つの長編小説。これらを03年から今年にかけて次々に新訳・刊行した。いずれも各作家の代表作というだけでなく、高校時代以来、何度

    tweakk
    tweakk 2010/02/08
    「日本語の文体の賞味期限は50年」
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