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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (13)

  • テニソン Tennyson 菅野徳助、奈倉次郎訳 アーサー王物語 KING ARTHUR'S ROUND TABLE

    アーサー王物語 KING ARTHUR'S ROUND TABLE テニソン Tennyson 菅野徳助、奈倉次郎訳 叢書は洽ねく大家の手に成るもの、或は青年の必讀書として世に傳はるものゝ中より、其内容文章共に英文の至珍とすべく、特に我青年諸氏に利益と快樂とを與ふるものを撰拔せり。 英語を學ぶに當り、文法字義を明かにし、所謂難句集に見る如き短文を攻究するの要あるは云ふまでもなしと雖も、亦可成多く一篇を成せる名家の著を讀み、英文に對する趣味を養ひ、不知不識其の豐富なる語類成句に習熟することを怠るべからず。前者は專ら學課として教師の指導に待つべきも、後者は學生諸子自ら講學の餘暇を利用して之を心掛くべきなり。著者等は親しく學生諸子に接し、教場以外獨習の助けとなるべきものゝ要求を知れり、是れ叢書刊行の企ある所以にして、其冊子の小なるも諸子が携帶の便を計りたればなり。 直譯なるもの及び之れと密接

  • 芥川龍之介 羅生門

    ある日の暮方の事である。一人の下人(げにん)が、羅生門(らしょうもん)の下で雨やみを待っていた。 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗(にぬり)の剥(は)げた、大きな円柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路(すざくおおじ)にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風(つじかぜ)とか火事とか饑饉とか云う災(わざわい)がつづいて起った。そこで洛中(らくちゅう)のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹(に)がついたり、金銀の箔(はく)がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪(たきぎ)の料(しろ)に売っていたと云う事である。洛中がその始末であ

  • 作家別作品リスト:米川 正夫

    公開中の作品 クリスマスと結婚式 ――無名氏の手記より――(新字新仮名、作品ID:60812)     →ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ(著者) クロイツェル・ソナタ 01 クロイツェル・ソナタ(新字新仮名、作品ID:58199)     →トルストイ レオ(著者) クロイツェル・ソナタ 02 解題(新字新仮名、作品ID:51339) 正直な泥棒 ――無名氏の手記より――(新字新仮名、作品ID:60809)     →ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ(著者) 身体検査 (新字新仮名、作品ID:56654)     →ソログープ フョードル(著者) 地下生活者の手記 (新字新仮名、作品ID:57393)     →ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ(著者) 罪と罰 (新字新仮名、作品ID:56656)     →ドストエフスキー フィヨードル・ミハイ

  • 青空文庫 Aozora Bunko

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  • 芥川龍之介 藪の中

    さようでございます。あの死骸(しがい)を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝(けさ)いつもの通り、裏山の杉を伐(き)りに参りました。すると山陰(やまかげ)の藪(やぶ)の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科(やましな)の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩(や)せ杉の交(まじ)った、人気(ひとけ)のない所でございます。 死骸は縹(はなだ)の水干(すいかん)に、都風(みやこふう)のさび烏帽子をかぶったまま、仰向(あおむ)けに倒れて居りました。何しろ一刀(ひとかたな)とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳(すほう)に滲(し)みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾(かわ)いて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅(うまばえ)が一匹、わたしの足音も聞えない

  • 芥川龍之介 蜜柑

    或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗(のぞ)くと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻(をり)に入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘(まま)、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。 が、やがて発車の笛が鳴つた。私はかすかな心の寛(くつろ)ぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまへてゐた。所がそれよりも先に

  • 作家別作品リスト:芥川 竜之介

    東大在学中に同人雑誌「新思潮」に発表した「鼻」を漱石が激賞し、文壇で活躍するようになる。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物・事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材をとり、スタイルや文体を使い分けたたくさんの短編小説を書いた。体力の衰えと「ぼんやりした不安」から自殺。その死は大正時代文学の終焉と重なっている。 「芥川龍之介」 公開中の作品 愛読書の印象 (新字旧仮名、作品ID:4872) 秋 (新字旧仮名、作品ID:16) 芥川竜之介歌集 (新字旧仮名、作品ID:178) アグニの神 (新字旧仮名、作品ID:15) アグニの神 (新字新仮名、作品ID:43014) 悪魔 (新字旧仮名、作品ID:3804) 浅草公園 或シナリオ(新字新仮名、作品ID:21) 兄貴のような心持 ――菊池寛氏の印象――(新字新仮名、作品ID:43361) あの頃の自分の事 (

  • 折口信夫 死者の書

    彼(か)の人の眠りは、徐(しず)かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱(よど)んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。 した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫(まつげ)と睫とが離れて来る。膝が、肱(ひじ)が、徐(おもむ)ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけているのだ。 そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず圧(あっ)しかかる黒い巌(いわお)の天井を意識した。次いで、氷になった岩牀(いわどこ)。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う雫(しずく)の音。 時がたった――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居

  • 太宰治 人間失格

    私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹(いとこ)たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴(はかま)をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、 「可愛い坊ちゃんですね」 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、謂(い)わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、 「なんて、いやな子供だ」 と頗(すこぶ)る不快そうに呟(つぶや)き

  • 海野十三 十八時の音楽浴

    1 太陽の下では、地球が黄昏れていた。 その黄昏れゆく地帯の直下にある彼の国では、ちょうど十八時のタイム・シグナルがおごそかに百万人の住民の心臓をゆすぶりはじめた。 「ほう、十八時だ」 「十八時の音楽浴だ」 「さあ誰も皆、遅れないように早く座席についた!」 アリシア区では博士コハクと男学員ペンとそして女学員バラの三人がいるきりだった。タイム・シグナルを耳にするより早く、三人は扉を開いて青い廊下にとびだした。 その青廊下には銀色に光る太い金属パイプを螺旋形に曲げて作ってある座席が遠くまで並んでいた。 三人は自分たちの名前が書かれてある座席の上に、それぞれ、ピョンピョンと飛びのった。それをきっかけのように、天井に三つの黄色い円窓があいて、その中から黄色い風のシャワーが三人の頭上に落ちてきた。すがすがしい風のシャワーだった。 三人は黙々として、音楽浴のはじまるのを待った。 博士コハクは中年の男性

  • 夏目漱石 吾輩は猫である

    吾輩(わがはい)はである。名前はまだ無い。 どこで生れたかとんと見当(けんとう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕(つかま)えて煮(に)てうという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始(みはじめ)であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後(ご)にもだいぶ逢(あ)ったがこんな片輪(かたわ)に

  • 戸坂潤 幾何学と空間

    幾何学とは何であるか、之が私の問題である。云い換えれば、幾何学が或る一種の数学であることを承認し且つ一般に数学の真理が先験的であることを予想するとして、幾何学の――数学一般の、ではない――真理は如何にして成り立つか、というのが私の問題である。更に云い換えれば、幾何学は特殊の数学として如何なる特徴を有っているか、という問題である。 先ず何よりも始めに幾何学なるものの概観を得ることが必要と思われる。恐らく幾何学には無限の種類があるかも知れない。併し何れも幾何学なる名に於て統一されている以上それを一貫する何ものかがあってそれがその区別を与えているのでなければならぬ。吾々は之を攫むことによって幾何学を分類することが出来る筈である。クラインによれば凡ての幾何学は夫々或る一定の形を持った変換に対して不変に残されるものの不変量理論(Invariantentheorie)と考えられるが、クラインは之を解析

  • 青空文庫 Aozora Bunko

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