ちょうど七十年前の六月十五日、米軍は日本の委任統治下にあったサイパン島の南西に上陸し、圧倒的な兵力と最新鋭の武器で大地を焼き尽くした。当時、日本からの移民は二万人以上。半月余で日本軍が壊滅状態となる中、北端のマッピ岬に追い詰められ、大勢の人が自ら命を絶った。その後、米軍の進攻とともにグアムや、沖縄へと連鎖していく民間人の「集団自決」の始まりだった。 (安藤恭子) 「死ナナイデ、クダサーイ」。海上の艦船からマイクで投降を呼び掛ける米兵の声が響いていた。十四歳だった杉浦昭子さん(84)=東京都八王子市=は一九四四年七月十二日朝、父と弟と手をつなぎ、波が激しく打ち付けるマッピ岬の崖に立っていた。